白蘭と一般人外出して帰ってくると、家の前に白い人が立っていた。不審者だ。
私はポケットから携帯を取り出して、110の数字ボタンを素早く押す。続いて発信ボタンを押そうと親指を動かした瞬間。
「イタズラ電話はよくないよ」
手から携帯の感覚が消えた。
「警察の人も忙しいんだから、ね?」
にこっと笑った不審者───もとい、一応(認めたくはないが)知り合いである白蘭さんは、携帯を閉じて私のポケットに戻した。
「久しぶりだね、なまえちゃん」
「……久しぶりじゃないです。一昨日会ったばかりですよ」
「そうだっけ? でも僕なまえちゃんと会わない日があると寂しくて寂しくて」
だから僕としては久々なんだよねー。
いや貴様の感覚なぞ知らん。
「それで、何の用ですか」
「会いに来たんだよ。なまえちゃんも寂しかったでしょ?」
「ソーデスネ。……何で私が携帯を取り出しただけで、警察に連絡すると思ったんですか?」
「なまえちゃんのことなら何でも解るよ」
凄いでしょ、と言わんばかりの笑顔で何処かズレた答えを返してきた白蘭さん。
「その証拠に……ほら、これ持ってきたんだ」
冷めた目をしているであろう私の前で、ゴソゴソとポケットを探り、まるで100点満点のテストを見せる子供のような無邪気な表情で、四つ折にされた紙を私に差し出した。……経験と勘から言ってロクでもないものであることは確かなのだが、一応知り合いの上司にあたる彼のことをあまり無下にもできない(今更だろ、という無粋なツッコミはしないでほしい)。
仕方なくその紙を受けとって、開いてみる。
「なまえちゃん欲しがってたよね」
「……何ですかこれ」
「え? 見てわかるでしょ?」
「………私の目がおかしくなければ、婚姻届ですね」
「せーかい」
にっこり。という擬音がピッタリの明るい笑顔を殴りたいと思ったのは、これが初めてではない。
「……とりあえず私にこれを渡した理由を15文字以上10文字以内で答えてください。話はそれからだ」
「アハハ、いくら僕でもそれは無理かなぁ。なまえちゃん面白いね」
手の中で、白蘭さんだけでなく私の名前までしっかりと書き込まれた婚姻届が、グシャリと音を立てた。
「後は判押すだけだから、お手軽でしょ? 僕らの幸せはすぐそこだよ」
「……結婚には両者の合意が必要だって知ってますか」
「モチロン!」
口元が引き攣った。
何だこの人。話してるのは同じ日本語なのに、全然通じている気がしない。
「なまえちゃん、前に正チャンみたいな弟が欲しいって言ってたよね?」
突然話題が変えられて、思わず眉間にシワが寄った。
ちなみに、正チャンというのは、さっき言った私の知り合いの入江正一くんのことで、白蘭さんの部下にあたる。
「……ええ、まあ」
確かに覚えがあったので頷いた。
正一くんみたいなしっかり者のかわいい弟が欲しい、と以前言ったことがある。しかしこの人は何で知ってるんだ。
「僕と結婚すれば、正チャンが本当に弟になるよ」
「……は?」
「実は僕と正チャンは、兄弟なんだ」
「………………」
……もしかしたら、この人はちょっと頭がカワイソウな人なのかもしれない。
少し遠い目をしてしまった私の前で、白蘭さんが「おーい」と手を振る。
ハッと私が我に返ったと同時に、道の向こうから聞き慣れた声がした。
「白蘭さんっ!」
噂をすれば影、とでも言うべきか。
現れたのは正一くんだった。
「もー、正チャンってば空気読んでよ。もう一押しだったのに」
「もう一押しだったのにー、じゃないですよっ! 仕事ほっぽって何やってんですか!」
ため息を吐いた正一くんは、私の方を向いて「毎度ごめんね」と困ったような顔をした。
「……大変だね」
「…うん、まあ仕方ないよ」
ハハハと乾いた笑いを上げた正一くんに、思わず涙が出そうになった。
こんないい子と白い不審者の血が繋がっているはずがない。分かってたけどね。
「正一くん、あの白い人が君のこと弟だとか言ってたよ」
「あっ、なまえちゃんってば正チャンにチクんないでよー」
「……白蘭さん、後で詳しく聞かせてもらいますからね」
ジト目で白蘭さんを見た正一くんは、「もちろん信じてませんよね?」と言う目でこちらを見た。私は大きく頷いてみせる。
すると、何故か白蘭さんは、私と正一くんを遮るように私たちの間に移動した。一気に距離が縮まり、私の目には白蘭さんの肩部分しか写らない。
「今二人でアイコンタクトしたでしょ。狡いよ、僕も混ぜて」
「ハァ?」
何言ってんだこの人。
少し上にある顔を見上げると、白蘭さんは相変わらずの笑みを浮かべていた。不意に、その笑顔が近付いてくる。何を、と問う暇もなく───
ちゅ、
額に柔らかい感触。
「……………な、な」
「あはは、なまえちゃん真っ赤っか〜」
口をぱくぱくさせる私を見て笑った白蘭さんは、じゃあ行こっか正チャン、なんて言いながらむこうを向いた。「行こっかじゃないです最初っからサボらないでください探しに来るのは僕なんですからね」「ごめんごめん」と会話をしながら去っていく背中を見ながら、私は妙に納得したのである。
これが俗に言う“蹴りたい背中”か……と。
「あ、また明日来るからちゃんとハンコ押しといてね〜」
……いま正面向いてるけど蹴ってもいいかな。