平凡少女がフランとバジルと出会う

卒業祝いだと言われ、両親に連れられてイタリアに旅行に来た。私のお祝いとは名ばかりで、実際は両親が楽しみたいだけの旅行だったことに気付いたのは、ガイドブック片手にはしゃぐ両親の背中を見た時だ。
二人は新婚旅行でイタリアに来たらしい。懐かしさからかは知らないが、二人だけで勝手に盛り上がったあげく、何処かに消え去った。

つまり、今私は全く知らない土地に一人ぼっちで置いてきぼりなのだ。

平たく言えば迷子なのだ。

「くっそ、あいつら…っ!」

今はいない両親に向かって悪態をついた。
一応、泊まるホテルの名前はわかるが、ごく普通の学生である私がイタリア語など話せるはずもない。結局、人が行き交う道の端で突っ立っている以外には何も出来ることがなかった。ちなみに頼みの綱のはずの携帯は電池切れ。つくづく意味がない。

迷子になった時はその場から動かないほうがいい、というのが鉄則だ。そう思って、はぐれた場所に立ってから数時間。両親が来る気配はない。もうマジで何なのあいつら。

「……」

───……本当は、私だって旅行楽しみにしてたのに。

じんわりと涙が浮かんできて、一気に視界が滲む。瞬きをして、自分の爪先を見つめた。
意味わかんない。この年になって、迷子で泣くとか。

「おかーさん…おとーさん…」

心細さに耐え切れなくて、ぽつんと言葉を零した時に、不意に誰かが顔を覗き込んできた。

「大丈夫ですか?」
「っ」

驚いて顔をのけ反らせた。悲鳴を咄嗟に堪えたのは、我ながらよくやったと思う。
覗き込んできたのは、青い目をした、髪が長めの美少年だった。不思議そうな顔でこちらを見つめている。

……っていうか、今この人。

「…に、日本語…!」
「え?」

た、助かった!
私は生まれて初めて、言葉の通じる人がいる心強さを知った。

「何かお困りですか? 拙者で良ければ力になりますよ」

……せっしゃ?

一瞬固まってしまったが、すぐに我に返る。今の私には、ちょっとばかり一人称が時代錯誤だろうと関係ない。

「その……両親とはぐれちゃって…。それで、泊まってるホテルに行きたいんですけど、場所が…」
「ああ。そういうことなら、」

案内しますよ、と笑った男の子にホテルの名前を告げる。すると、彼は少しだけ困ったような顔をした。

「拙者もその場所は……すみません、名前は聞いたことがあるんですが…」
「そ、そうですか…」

思わずしゅん、と肩を落とす。せっかく、日本語が分かる人に会えたのに…。でも、申し訳なさそうな顔をする男の子に、こっちまで何だか申し訳なくなってしまった。

……元々、悪いのは私なんだ。
ちゃんと両親についていかなかったのが悪い。自業自得だ。

「あの…」

心配そうに声をかけてくれた彼に、笑ってみせた。

「ああ、すみません。とりあえず、適当に歩いてみることにします。ありがとうございました」

そうだ。歩いてみよう。もしかしたら運よくホテルに着くかもしれない。
じゃあ、とお辞儀をして踵を返そうとしたら、何故か男の子に腕を掴まれた。

「え…」

男の子は私の腕を掴んだまま、通り掛かった人に声をかけた。イタリア語だからよく分からなかったけど、話し掛けられた人の動きから察するに、どうやら道を教えてくれているらしい。
目を丸くする私の前で、男の子は片手を上げてお礼らしき言葉を伝えた。それから私の方に振り返り、安心させるような笑みを浮かべた。

「今、道聞いたので案内します」
「え、え?」
「ここからだと、少し歩くみたいですけど……大丈夫でしょうか?」
「え、あの…?」
「ああ、申し遅れました。拙者はバジルと言います」
「えっ? あっ、みょうじなまえです」

つられてした私の自己紹介に、満足したように笑ってバジルさんは歩きだした。……え? え?

「あ、あの!?」
「心配しなくても大丈夫ですよ、ちゃんと聞いておきましたから」
「ありがとうございます。……って、そうじゃなくて、道案内なんて…なんか用事とかあるんじゃ……」
「いえ、大丈夫です。それに、困ってる人を放ってはおけません」

眩しい笑顔のバジルさん。すごくいい人だ。

話しながら歩いていたが、気を使ってくれているらしく、会話が全然途切れなかった。
バジルさんは日本が大好きなんだそうで、私にも分かるような話題を振ってくれた。……のだが。

「拙者は日本の洗濯が好きなんですが、冬は水が冷たくて大変です」
「は、はあ…」

とにかく間違っている。洗濯を、たらいと洗濯板でやるものだと認識している。果てしなく間違っている。……間違ってるんだけど、キラキラとした笑顔で語るバジルさんを見ていると、それを指摘する気にはならない。

「みょうじ殿も、冬場は手が荒れてしまったりしませんか?」
「あ、あはは…まあ、少し……」

ドンッ

誤魔化そうと曖昧に笑ったとき、向かいから歩いてきた誰かにぶつかってしまった。

「あわっ…す、すみません!」
「こちらこそー」

慌てて頭を下げると、やたら間延びした声が返ってきた。……あれ、ていうかこの人も日本語…?

「おぬしは…!」

おぬし…。と思いながら、声を上げたバジルさんの方を見遣ると、たった今私がぶつかった人を見て驚いたような顔をしていた。
ぶつかった人も「あー」と、驚いているんだかいないんだかよくわからない声を上げて、バジルさんを指差した。

「ヴァリアーの…」
「チェデフの人ですよねー」

どうやら二人は知り合いらしかった。
ぶつかった人(エメラルドグリーンの髪の美少年だ)は、私を指差して首を傾げた。

「こんなところでデートですかー?」
「道案内しているだけです」

答えるバジルさんの声音はどこか固い。仲が良いわけではなさそうだ。

「へー。でもどこに行きたいかは知らないですけどー、この先には何もないですよー?」
「…え?」
「あるとしたら廃倉庫くらいですねー」

緑髪の男の子が、自分の背後を指差して言った。バジルさんが目を丸くする。

「でも、先程の御仁は…」
「さあー、ソイツが間違えたんじゃないですかー?」

めんどくさそうに言った少年は、「じゃー、ミーはこの辺でー」と言って私たちの横を通り抜けようとした。……ミー…か。イタリアは個性的な人が多いんだな…。

しかし、バジルさんが少年の腕を掴んで止めた。

「待ってください、フラン殿」

緑さんはフランというのか。
くるっと振り返ったフランさんに、バジルさんが私の泊まっているホテルの名前を言った。

「どこにあるかとか、」
「知ってますけどー…」
「え! 本当ですか!?」
「…なら、案内していただけませんか?」
「えー……めんどくせー」

最後、バッチリ聞こえてますよ。

申し訳ないとは思ったけど、日本語が話せる上に道が分かるらしい人を逃すわけにはいかない。

「本当にすみません、お願いできませんか…?」

頭を下げながら、目線だけでチラッとフランさんを伺う。彼はしばらく無言だったが、「……仕方ないですねー」と呟いた。

「ついて来てくださーい」
「…あ、ありがとうございます!」

バジルさんと顔を見合わせる。信じられない、といった表情のバジルさんは「ダメもとだったのに…」と呟いた。
何はともあれ、ラッキーだ。バジルさんと二人で、振り返りもせずにスタスタと歩いていくフランさんを追った。







「ここですー」

フランさんに連れられて着いた場所は、確かに私が最初に来たホテルだった。ここにいれば、両親も帰ってくるはずだ。
安堵の息が漏れた。

「本当にありがとうございます!」

バジルさんとフランさんに向かって頭を下げる。

「よかったですねー」
「みょうじ殿、申し訳ありませんでした」
「え?」
「間違った方に連れていってしまって…」
「い、いえ! そんな!」

眉をハの字にして謝ってくるバジルさんに、こっちが焦った。

「バジルさんがいてくれて心強かったです! 私、どうしたらいいか分からなくて…」
「…お役に立てたなら良かったです」

バジルさんはにっこりと笑った。

「じゃあ、拙者はこれで」
「ミーも帰りますねー」
「はい、ご迷惑おかけしました」
「イタリア観光楽しんでくださいね」
「はい!」

去って行った二人の後ろ姿は、すぐに見えなくなってしまった。

この時の私は、まさか両親が私のために卒業祝いの品をサプライズ買おうとしてわざとはぐれたなんて知らなかったし、ましてや数ヶ月後に仕事で来日するバジルさんやフランさんと再会するなんて、これっぽっちも思っていなかった。

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