雨色プラスチック | ナノ
「ブルーベル様…、お風呂から上がったらちゃんと髪を拭いてください」
「拭いてるもん!」

私の言葉に、ブルーベル様は不服そうに唇を尖らせながら言い返してきた。
ため息をひとつ吐いてから、私は無言でブルーベル様の後ろの床を指差した。そこには、風呂場から今彼女が立っている場所までを繋ぐ、分かりやすい道が出来ている。もちろん、ブルーベル様の髪から垂れた水滴で出来た道だ。

ブルーベル様は振り返ってそれを見ると、ぷくっと頬を膨らました。

「……ブルーベルのせいじゃないし」
「じゃあ誰のせいですか」

そう言うと、彼女は「にゅっ…」と言葉に詰まった。そして、しばらくぐるぐるとあらぬ方向に視線を泳がせてから、キッと鋭い目でこっちを見た。

「仕方ないでしょ! ブルーベルの髪は多いから大変なのっ!」
「開き直らないでください」
「もーっ! なまえのばかーっ!」

ブルーベル様は叫んで、ぷいっと私から顔を背けた。……まったく。

「…タオルを貸していただけますか?」
「……?」
「宜しければ、ブルーベル様の髪を拭かせていただきたいのですが」
「! ほんとにっ!?」

バッとこちらを向いたブルーベル様の顔はキラキラと輝いていた。







「濡れたまま放置しては髪にも良くありませんし、何よりブルーベル様ご自身がお風邪を召されてしまいますよ」
「えへへー」
「……ちゃんと聞いていらっしゃいますか?」
「聞いてる聞いてる!」

ソファに座るブルーベル様の髪を背後からタオルで拭きながら注意する。……本人は何故かひどく嬉しそうにしていて、全く聞いていないようだったけれど。

途中で手を止めると、ブルーベル様が不思議そうに私の顔を見上げた。

「どうしたの? もう終わり?」
「いえ、出来ればドライヤーを使いたいのですが……宜しいですか?」
「ああ、うん。いいわよ」

了承していただけたので、タオルを置いてドライヤーに切り替えた。スイッチを入れれば、ゴォオー、という風の音が静かな部屋に不自然に響いた。

柔らかなブルーベル様の髪が、さらさらと指の間を抜けていく。

「……」

それにしても、本当に慣れてきたなあ。
ブルーベル様の髪を梳きながら、ふと考えた。最初の頃に比べれば、彼女は明らかに打ち解けてくださっている。あの頃に「開き直らないでください」などと言おうものなら殺されていたに違いない。今では食事まで作らせて頂いているし……やはり、熊から助けたことが大きかったのだろうか。

考えている間に、ブルーベル様の髪はほとんど渇いたらしい。少し湿っぽいが、こんなものだろう。水気の飛ばしすぎも良くない。
ドライヤーのスイッチを切ると、カチッという音と共に一瞬で部屋に静寂が戻った。

「ブルーベル様、終わりましたよ」

声をかけたが、反応は返ってこなかった。

「…?」

不思議に思って顔を覗き込むと、ブルーベル様は静かな寝息をたてていた。いや、こんなところで寝られても困るのだけど……。とりあえず控えめに肩を揺すってみても、全く起きる気配はない。……仕方がない。

「失礼しますよっ、…と」

膝の裏に手を入れて、ブルーベル様を横抱きする。……予想以上に軽い。明日からは、少し食事の量を増やすべきだろうか。

「……ん、」

腕の中で、ブルーベル様が身じろぎする。…まずは、ベッドに運ばないと。
方向転換した瞬間、ブルーベル様が小さな声で呟いた。


「…おにい、ちゃ…ん…」


…………お兄ちゃん?

「……」

何だか、聞いてはいけないものを聞いてしまったかのような妙な罪悪感に襲われながら、ブルーベル様を起こさないように慎重にベッドに降ろした。上から布団を掛けると、その手を握られた。

とても、弱い力で。


「…行か、ないで」

「ブルー、ベル…のこと、…置いてかないでよ…っ」


ブルーベル様の寝顔は険しく、閉じた瞼の下から雫が溢れ出していた。

……ぎゅ、と手を握り返して、目尻の涙を拭う。

「大丈夫。置いていったりしないから」


だから、安心してお休み。



安堵したのか、ブルーベル様の寝顔は穏やかなものに変わった。
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