雨色プラスチック | ナノ
数日間、ブルーベル様は私を徹底的に無視した。彼女に求められなければ、私も勝手に動くわけにはいかない。このまま、彼女と話すこともなく一週間が過ぎて、私はまた異動することになるだろう。………さすがにクビはないと思いたい。


ところが、その日は違った。


「のど渇いた」

突然、ブルーベル様が言った。この前のような呟きではなく、明らかに私に聞かせるための声だった。それに驚きながらも、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとすると、彼女は少し怒ったような顔で言った。

「ブルーベル、紅茶が飲みたい気分なんだけどっ!」
「……分かりました。少々お待ちください」

この部屋には、ミネラルウォーター以外の飲み物がない。紅茶を淹れるなら、厨房まで行って茶の葉を取ってこなければ。一礼して、部屋から出る。

……どういう風の吹き回しだろうか。白蘭様の話では、ミネラルウォーター以外は滅多に飲まないとのことだったのに。

歩きながら思案する。歩調は、知らず知らずのうちに速くなっていた。……何だか、面倒なことになりそうな予感がする。葉だけ取って、早く部屋に戻ろう。湯は、備え付けのキッチンで沸かせばいい。そう思い、ほとんど走るような速さで部屋に戻ったのだが───



───なぜか悪い予感ほどよく当たってしまうのだ。

「……」

結論から言って、ブルーベル様は脱走していた。ベッドはもぬけの殻。窓は開いている。舌打ちをしたい衝動を何とか抑えた。
ブルーベル様は、私を困らせたいだけなのだろうが、あまりにも軽率な行動だと思う。真6弔花の方々が強いのは知っている。……けれど、ダメなのだ。この森は。この屋敷の周りに広がる森には───。

私は炎を注入し、自分の匣を開けた。中から、私の匣兵器である犬が出てきた。

「ブルーベル様の匂いを追って」

私が言うと、犬は「わんっ!」と一声吠えて、窓から飛び出した。……これで、脱走したフリをして部屋に隠れている可能性はなくなった。私もすぐ後を追う。早く、速く。はやくしないと、手遅れになってしまうかもしれない。
逸る心臓をどうにか落ち着かせ、冷静を保とうと努める。

幸い、ブルーベル様はすぐに見付かった。見たところ怪我はしていないようだったけれど、安堵の息を吐いている暇はない。
彼女の前には、一匹の熊が居た。桁違いに巨大なその影は、呆然としているブルーベル様に向かって腕を振り上げた。

「…ッ!」

私は一瞬で加速した。

熊の腕がブルーベル様を傷付けるよりもほんの少しだけ早く、彼女を抱えて空中に逃げることができた。無傷で、とはいかなかったけれど、ブルーベル様が無事だから良しとしよう。

「なっ…アンタ…!」

ブルーベル様は大きく目を見開いた。熊はこちらに手を伸ばして威嚇している。…まあ、放っておけばいいだろう。
私は深呼吸してから、腕の中のブルーベル様に言った。

「……この森には、ミルフィオーレの科学班にイジられた動物が放ったらかしにされてるんです。それらは普通より巨大で頑丈で凶暴です。もちろんブルーベル様が強いのは分かっておりますが、危険ですから外に出るのは出来るだけお控えください」

ブルーベル様は、唖然とした表情で私を見ていた。

「……帰りましょう」

ブルーベル様を抱えたまま屋敷に向かって飛ぶ。彼女は終始無言だった。
窓から入り込み、ブルーベル様をベッドに降ろす。今まで何かを考えていたらしい彼女は、そこで何を思ったか私に怪訝な表情を向けた。冷や汗を抑える。……まさか、気付かれた?

「……ちょっと、後ろ向いて」

……あーあ、バレたか。
観念して後ろを向くと、背後でブルーベル様が息を飲む気配がした。

「その怪我…さっきの…!」
「……ええ、まあ」

先ほど、彼女を庇った時に熊に爪で引っかかれたのだ。感覚から言って、結構深く切り裂かれたようだ。血がダラダラと出ているのが分かる。私は基本的に無表情だから、絶対にバレないと思ったのに。……あんな熊に傷を負わされるなんて、役立たずだと言われても仕方ないか。ため息を吐きそうになって、慌てて堪えた。

しばらく無言だったブルーベル様は、やがてぽつりと呟いた。

「……んでよ」
「…はい?」
「何で怒んないのよっ!」

叫び声に、思わず目を瞬いて振り向く。ブルーベル様は鋭い目でこっちを睨んでいた。

「ブルーベルはアンタを困らせてるのに! 何で助けてくれんのよっ! ブルーベルのせいで怪我したのに、何でもないフリして!」
「……ええっと、」
「早く! 医務室!」
「は、はい」

ブルーベル様に手を引かれて、廊下を走る。

……結局、私はなぜ怒られたのだろうか?
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