09
ディーノさんと想いが通じ合ってから数日。
あの後、すぐにディーノさんが「あっ!」と焦ったような叫び声を上げた。どうしたのかと訊くと、ディーノさんは苦笑して言った。
「それが、その…なまえに会わないって決めてから、仕事がずっと捗らなくて、…めちゃめちゃ溜まってるんだよ」
ディーノさんがそう言うと、
「ちゃんと覚えてて偉いぜボス」
「え…」
「ロ、ロマーリオ!?」
いつの間に現れたのか、ディーノさんの部下のロマーリオさんが門の所に寄りかかっていた。
「い、いつから!?」
「最初っからだ。それと、俺だけじゃねーよ」
ロマーリオさんがくいっと後ろを指さす。言われて初めて気付いたけれど、ディーノさんの部下の人たちが電信柱の陰からこちらの様子を窺っていた。……人数多すぎて隠れ切れてないけど。
「おっ、お前らなぁ……」
ディーノさんは顔を赤くして、部下の人たちを睨んだ。部下の人たちは口々に「おめでとう!」「かっこいいぜボス!」「ボスのことよろしくななまえちゃん!」「出来れば俺らとも仲良くしてな!」「そして末永く爆発しろ!」「誰だ今ボスとなまえちゃんに向かって爆発しろっつった奴!」「誰でも良いじゃねえか無礼講だぜヒャッハァー!」「宴会か!?」「宴会だな!」「よし誰か酒持って来い!」「俺は梅酒以外受け付けねえ!」「自分で買ってこい!」と騒ぎ立てている。
……愛されてるんだなあ、ディーノさんは。
そう思ったら、自然と笑みが零れた。
「ま、こいつらはともかく……ボスのこと頼んだぜ、なまえちゃん」
背後の騒ぎにため息を吐きながらも、ロマーリオさんが言った。
「…こちらこそよろしくお願いします」
そう言って笑ったら、ロマーリオさんも笑って頭を撫でてくれた。
その手はすぐにディーノさんによって叩き落とされたわけだけど。…それがちょっと嬉しかったのは内緒だ。
とりあえず、ディーノさんは一旦帰って仕事を片付けてからまた来ることになった。
「仕事頑張ってくださいね」
「おう、すぐ終わらせてくるからな!」
明るく笑ったディーノさんを見送ったのが数日前。
それからの日々、京子や花やハルちゃんに根掘り葉掘り色々聞かれたものの、私は至って普通に学校生活を送っていた。
───ところが。
[2年A組みょうじなまえ。今すぐ応接室]
チャイムすらなく突然流れた放送に、教室内が凍り付いた。……今のは。
「雲雀さんの声、だよね…」
「応接室って言ってたし…」
みんなの視線が集まる。私は呆然としていて、後ろの席の子に肩を叩かれて我に返った。
授業中にも関わらず、教師は出て行くことを了承してくれた。……まあ、雲雀さんだしね。
私は応接室に向かいながら、呼び出された原因を考える。……どうしよう、心当たりが全くない。
考えながら、応接室のドアをノックする。扉はすぐに内側から開いた。
中にいた人に、私は思わず目を丸くした。
「え…ディーノさん?」
「よう!」
輝くような笑顔のディーノさんの向こうに、不機嫌そうな顔の雲雀さんが見えた。
「え…仕事溜まってたんじゃ…」
「即行で終わらせてきた!」
にこにこと笑うディーノさん。
「早く来ちまったから、なまえの授業が終わるまで恭弥のとこに居ようと思ってさ」
「……雲雀さんとも知り合いだったんですね」
「ああ、昔こいつの家庭教師やってたんだ」
「みょうじ」
会話を遮るように、雲雀さんが私を呼ぶ。
「それ、早く連れてってくれない?」
「おいおい、『それ』呼ばわりかよ」
ディーノさんが苦笑する。
「さっきから君の名前ばっかり連呼してて、いい加減ウザいんだけど」
「えっと……私まだ授業中なんですが…」
「今日はもういいよ。僕が許可する」
煩わしそうに手を振る雲雀さん。……相当鬱陶しかったんだな、ディーノさん。
ちらりと時計を見ると、今日最後の授業が終わるまであと15分もないくらいだった。……15分間も我慢したくないくらい鬱陶しかったんだな、ディーノさん。
「…分かりました。じゃあ、荷物取りに行ってくるんで、ディーノさんは校門のところで待っててくれますか?」
「わかった!」
ディーノさんにそう言って、応接室を後にした。
私が教室に戻ると、みんながあからさまに安心したような表情を見せた。
「おお、戻ったかみょうじ」
「すみません、雲雀さん命令で早退します」
「…、そうか」
先生は少し驚いたような顔をしたけど、深く追求しては来なかった。……まあ、雲雀さんだしね。
荷物を纏めて、特に心配そうな顔をしているツナに笑いかけておく。京子と花にも小さく手を振って、教室を後にした。
「ディーノさん、」
「なまえ!」
声をかけると、にこにこと笑ったディーノさんは、私の方に駆け寄って来てくれようとして盛大に転んだ。どうやら自分の足に引っかかったらしい。
……この人は、むしろ誰よりも器用な人なんじゃないかなあ。
「大丈夫ですか?」
「お、おう…」
いつかのように、手を差し出した。ディーノさんはそれを見て、顔を綻ばせながら掴んだ。引っ張って立たせる。
ディーノさんは立ち上がって軽く服を払うと、ちらりと私を見て、手を繋いだまま歩き出した。
そしてしばらく歩いてから、思い出したように私に言った。
「そういやあ、悪かったな」
「何がですか?」
「授業サボらせてさ」
ディーノさんを見ると、少し苦笑いで私を見ていた。
「別に問題演習しかやってませんでしたから、平気です」
にっこりと笑うと、ディーノさんも「そうか」と言って笑った。
……実際、ディーノさんとお出かけできるのは嬉しいから良いのだ。絶対言わないけど。
たわいないことを話しながら歩いていると、いつかの土手にたどり着いた。
会話が途切れてしまった。
何となく、気まずい。
「……」
無意識に、繋いだ手に力が篭った。
「……ディーノさん、」
「……何だ?」
「いつ、イタリア帰るんですか?」
「え!?」
ディーノさんが驚いたようにこちらを向いた。その勢いに、私も目を丸くしてしまう。
「え、な……何でそんなこと聞くんだ!?」
「あ、いや…ただ、いつまでいられるのかな、って思って…」
「あ…、ああ、そうか……」
ディーノさんがホッと息を吐いた。……私、何か変なこと言ったかな?
「一週間くらいは居るつもりだ」
「…じゃあ今日、私の家で夕飯食べて行きませんか?」
「え…」
「いや、あの…嫌だったら全然良いんですけど……今、両親いないし…良かったら…」
「行く!」
叫ぶような声で言われ、思わず目を見開いた。
「なまえの手料理なんだよな?」
「えっと…、はい」
頷くと、ディーノさんの顔がみるみる綻んだ。
「っしゃ!」
ディーノさんは突然叫んで、両腕を思いっ切り突き上げた。
もちろん、私の手を掴んだまま。
「うわっ!?」
「うおっ!?」
いきなり引っ張られてバランスを崩した私はディーノさんに向かって倒れ込んでしまい、ディーノさんもそれを支え切れなくて、二人仲良く土手を転げ落ちることになった。
「うー、いてて……なまえ、大丈夫か?」
「はい…何とか」
バンザイするって、子供かこの人は。と思ったけど、そんなに喜んでくれるとは思ってなくて、普通に嬉しかった。
「…ふふ」
「なまえ?」
笑った私を、ディーノさんが不思議そうに見てきた。
ごろん、と寝返りを打って、空を見上げる。真っ青に抜けるような快晴の空模様だった。
ああ、何だかすごく幸せだ。
「ディーノさん、」
「何だ?」
「好きです」
そう言うと、ディーノさんは目を丸くしてから、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「俺もなまえが好きだぜ」
二人で寝転がり、草まみれで笑い合う。
こんな幸せな日々が、これからもきっと続くんだって、確信に近い予感を抱いた。