08
お父さんが、出て行った。
……っていうと凄く深刻な話題だと思うかもしれないけど、別にそういう訳じゃない。
世界一周旅行中のお母さんが旅先から送ってくるハガキを見て羨ましくなったお父さんが、娘を置いて自分も世界一周に行ってしまっただけ。うちでは、昔からよくあることなのだ。
そんな話を京子と花とにしたら、ケーキ持って行くね! と元気よく宣言された。ハルちゃんも誘うから! ということらしい。
3人を迎えるために、家の掃除をしていると、チャイムが鳴った。
ずいぶん早いなぁ、3人とも。ケーキ選ぶのに時間掛かると思ったんだけど。特に、京子とハルちゃんが。
「はいはーい」
3人だと思った私は、相手を確認することもなくドアを開けた。
目に入ったのは、輝くような金髪だった。
「は…」
唖然とする私に、ディーノさんは少しだけ気まずそうに片手をあげた。
「…久しぶりだな、なまえ」
「………なん、……?」
「……聞いて欲しいことがあって、来た」
その言葉を聞いて脳裏に蘇ったのは、2回の別れだった。
……いやだ。傷付きたくない。痛みなんてもういらない。
───聞きたくない。
「…聞き…たくない、です」
「頼む」
「もう、嫌なんです。……帰ってください」
ディーノさんが傷付いたような顔をしたのが見えた。
私は涙が出そうになったのを堪えるため、下を向いて唇を噛む。
最悪だ。
私は今、ディーノさんを傷付けた。
会いたかった。話せて嬉しい。
帰って欲しいなんて、嘘だ。
嫌だなんて思ったことは、1度もない。
だけど、私は臆病で。
傷付くのが怖くて仕方ない。
傷付くのも傷付けるのも、ごめんなはずなのに。
私は自分を守るために、ディーノさんを傷付けた。
ああ、最低だ。
もうこれ以上、この優しい人と話す資格はないだろう。
だから、
「お願い、です。…も、帰って…くださ……」
───あ、ダメだ。泣く。
堪えきれずに、涙が溢れた。ディーノさんが驚いたような気配を感じた。
泣いたら迷惑だ。私が、悪いのに。ディーノさんは、悪くないのに。
慌ててドアを閉めようとした瞬間、ディーノさんが手と足でそれを阻止し、あろうことか全開にした。
「…な、」
「本当に悪い。…自分勝手だって分かってるけど、聞いてほしい」
ディーノさんの声は真面目だった。だから、怖かった。
「…帰…っ」
「好きだ」
思考が、止まった。
「なまえが、好きだ」
ディーノさんが、ゆっくりと繰り返した。
……好き? 好きって何だっけ?
「巻き込むのが怖くて、なまえが危ない目に遭うのが嫌だった。……巻き込んで、なまえに嫌われるのが怖かった」
「……」
「離れた方が、絶対に良いと思ったんだ」
言葉の意味を理解するのに、時間が掛かった。
「でも本当は、なまえの為、って言いながら、結局自分が逃げてただけだった」
……何の、話をしているんだろう。私には分からないから、何も言えない。
「勝手だとは思ってる。でも、俺はなまえが好きだから、…俺がちゃんと守るから」
「これからも、関わっていてほしい。……できれば、恋人として」
……、…………
………………。
「……ひ…」
「ひ?」
「ひどい、です」
「……」
「…わ……も…意味分かんない」
「……」
「だめ押しみたいに、2回も…もう会わない、って、言われ…」
「…ごめんな」
「今も…何っ、言われるか……っ」
「…うん」
息を思いっきり吸い込んだ。
「わ、たし、だって…好きですっ!」
「本当ごめ……え?」
滲んだ視界の中で、ディーノさんが呆気にとられた顔をしたのが見えた。
「…も…、」
「え? え? えぇ?」
混乱しているのかディーノさんは、「え?」をひたすら繰り返していた。ぶわあっとさらに涙が出てきて、そしたら、ディーノさんがあわあわと狼狽え始めて、思わず笑いそうになった。
「何泣かせてんだ」
ドコッと痛そうな音がしたと思ったら、突然視界からディーノさんが消えた。それに驚いて涙が引っ込んだ。
少しクリアになった視界には、ディーノさんを蹴り飛ばした張本人であろうリボーンくんと、嬉しそうに笑うツナと、ニヤニヤ笑う京子と花とハルちゃんがいた。
「え? ……えぇ?」
「良かったね、なまえ!」
「え、ぇっと…」
「これ、なまえちゃんの分のケーキです!」
「話はまた今度ゆっくり聞かせてもらうわよ」
3人はきゃっきゃっとはしゃぎながら角に消えた。ええっと…? ハルちゃんにもらったケーキの箱を見つめる。
ツナは満面の笑みを浮かべて、混乱する私の肩をぽん、と叩く。そして、ディーノさんの胸倉を掴んで往復ビンタをかましているリボーンくんに声をかけた。
「ほら行くぞ、リボーン」
「…ちっ」
リボーンくんは小さく舌打ちをして、塀に飛び乗った。
「へなちょこに飽きたら、いつでも言えよ」
リボーンくんはニヒルに笑ってツナと一緒に帰って行った。
……どうやら私の友人たちは、最初から全部見ていたらしい。
ひとつ息を吐いてから、未だに地面に座って「いてて、」と頬を押さえているディーノさんに近付く。
「リボーンのやつ……本気でやりやがったな…」
「ディーノさん」
しゃがみこんで呼びかけると、ディーノさんはびっくりしたようにこっちを見た。
「大丈夫ですか?」
叩かれて赤くなった頬に触れる。ディーノさんは、さらに顔を真っ赤にした。
「だだだだっだ大丈夫だ!」
「……そうですか」
それは良かった。
「…なまえ、」
「なんですか?」
「さっき、俺のこと、好きって…?」
「…はい、言いました」
「………でも、」
ディーノさんは不安げに顔を俯かせた。
俺、マフィアだし、なまえのことを傷付けた。また怖い目にも遭わせちまうこともあるかもしれない。よく転ぶし、めちゃめちゃ格好悪いけど、
「それでも、いいのか?」
弱気な声すら、愛おしいと思えた。
「ディーノさんは、格好良いですよ」
「……」
「私は、」
ゆっくりと息を吸って、丁寧に言葉を紡ぐ。
私は、マフィアで、よく転ぶけど、怖い目に遭っても助けに来てくれるような、優しいディーノさんが好きなんです。
「それでは、ダメですか?」
ディーノさんは一瞬泣きそうな顔をしてから、思いっきり私を抱き締めた。
「なまえ、俺、なまえのこと大好きだ。すげー愛してる」
力強く抱き締められ、声が出せなかった。
だから私は、返事の代わりにディーノさんの背に手を回した。