部屋があった。薄汚く、薄暗い部屋。決して広くはないが、家具なども置いていないために、狭さを感じさせない部屋だった。
そこには、窓もなく、ドアは高い天井にひとつ───ドアと呼んでいいのかは分からないが、出入口であろうものは隅の方に存在しており、恐らく梯子が折り畳まれているのだろうと予想がついた。天井の真ん中に吊されている裸電球は、部屋を全て照らすには余りにも心許なかった。

その部屋には少女が1人、両手足と首を鎖に繋がれて生活していた。何時から居たのかは分からない。彼女は記憶を失っていた。彼女の記憶はこの部屋から始まり、この部屋で埋め尽くされている。太陽の光すら届かない埃だらけのこの部屋の中、少女の存在は何よりも不安定だった。

何もない部屋で彼女がすることは限られてくる。少女は来る日も来る日も眠り続け、たまに目が覚めたときにはぼーっと虚空を眺めるか、時々思い出したように部屋に置かれている少ない食事を食べるか、そんな生活だった。



ある日、彼女は目を覚ました。自然と迎えた目覚めではなく、爆発音のような大きな音に強制的に起こされた。少女がこの部屋で目覚めてから、どのくらいの年月だったのかは知らないが、彼女は今まで自分の立てる以外の音を耳にしたことがなかった。その音に続き、頭の上から足音や怒声が聞こえてくる。彼女は興味のなさそうな顔で天井を眺めて、また眠りにつこうとした。

「……! …!?」
「……?」
「………」

声が近付いてくる。少女は目を開けて再び天井を見上げた。先程の大勢の足音や怒声はいつの間にか止んでおり、ただ、小数の声が僅かに聞こえてくるのみだった。少女はその話し声に、半ば無意識に耳を澄ませる。すると、徐々に近付いてきた話し声と足音が止まった。

少女のいる部屋の真上で。

カツン、と軽い音の後に、轟音を立てて、少女の目の前に天井が落ちてきた。

「危ねぇだろぉ! 中にいる奴の上に落ちたらどうすんだぁ!」

全くその通りだと思った。それ以上に、うるさいと思った。
天井に空いた穴からは、眩しい光が差し込んできた。長い間薄暗い部屋にいたため、少女にとってその光は余りに眩しく、目に痛みを感じるほどだった。手をかざし、目を守る。埃が収まった後に、瓦礫の中に立っていた少年に少女の目は奪われた。

光を浴びて輝く王冠。
それを乗せた金色の髪。
所々についた血の赤。

だが、少女の目を奪ったのはそれではなかった。

少年が浮かべる、不敵な笑み。

どこまでも純粋で自信に満ち溢れたその表情に、無垢な少女は一瞬、心を奪われた。

───きれいだ。

少女はその瞬間、確かにそう感じたのだ。

「ししっ、大丈夫だって。つぶしてねーよ」

笑いながら近づく少年に、少女は虚ろな目を向ける。

ぞわり、と。
少年の背中を何かが駆け抜けた。
恐怖に似た、だが決してそれではない、何か。

少女は、美しかった。
日の光を浴びることのなかった肌は透けるように白く。
彫刻や絵画に描かれる天使、あるいは女神のように、どこか汚しがたい美しさがあった。

ただ、その目が。

その目だけがどこまでも虚ろで、異常な部屋の中で一際異質だった。

「……ししっ、」

笑う少年を不思議そうに少女は見つめて、口を開いた。

「───a──?」

言葉は音にはならなかった。
長い間震わせることのなかった少女の声帯は、声の出し方を忘れてしまったようだった。諦めて口を閉じる。少年は、そんな少女の四肢の自由を封じる鎖を手際良く外し、最後に首に繋がれた鎖を外した。不思議そうな顔をした少女は自由になった手首をくいっと何度か曲げ、鎖のついていない首に触れる。手足首には薄く血が滲み、細い四肢を痛々しく彩っていた。
少年はそんな少女をしばらく眺め、唐突に少女を持ち上げる。そしてそのまま飛び上がり、天井の穴から上に出た。少しは明るさに慣れた目だったが、それでもやはり眩しかった。

床に下ろされてきょろきょろと辺りを見回す。見覚えのない場所だった。恐らくそこは廊下で、赤い絨毯が敷かれており、両側の白い壁には等間隔で絵が掛けられていた。また、廊下には先程の声の大きな銀髪の青年と、サングラスをかけた派手な頭をした人間がいた。

「コイツがなまえ?」

少女を連れて上がった少年が、銀髪の青年に問う。銀髪の青年は手に持った写真と少女を見比べて頷いた。どうやら自分の名前はなまえというらしい。
初めて知った自らの名前に、彼女は特に何の感慨も沸かなかった。

「ああ、間違いねぇ」
「想像してたよりもずっと可愛い子じゃないの!」
「終わりだ。とっとと退くぞぉ」

銀髪の合図に、少年が再び少女を持ち上げる。

流れていく景色を見ながら、少女は今の状況を整理しようと試みる。彼らの正体に心当たりはない。そもそも記憶のない彼女に心当たりがあるわけがない。
助けにきてくれた、という考えには至らなかった。少女にとってはあの部屋の生活が普通で、救いを求める理由などなかったのだ。次第に面倒になった少女は思考を放棄し、心地よい揺れと温もりに身を委ねて微睡みへと落ちていった。





「うわ、この状況で寝てるぜ? 信じらんね」

なまえの寝顔を見ながらそう言うベルの顔には、笑みが浮かんでいる。

「良いじゃないの。疲れてるのよ、きっと」
「ゔぉおい! 無駄口叩いてる暇があったら…」
「うっせーよ」
「スクアーロったら、なまえちゃんが起きちゃうでしょ!」
「ゔぉ、おい…」

ベルとルッスーリアの2人から怒られ、スクアーロがたじろいだ。そこに、マーモンとレヴィが合流する。

「終わったかい? …その子がなまえ?」
「ああ」
「妖艶……いや、可憐だ…」
「キモいんだよムッツリ」

いきり立つレヴィをルッスーリアが宥める。そんな騒がしい状況の中でも、少女は目を覚まさなかった。

すやすや、すやすや。

何も知らない少女は、眠り続ける。
これから起こることも、今までに起こったことも、何ひとつ知らない彼女は、夢も見ずに眠るだけだった。

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