目の前のテーブルに、所狭しと並べられた高級料理。

「あ、あの…」
「ん?」

躊躇いがちに声をかけたなまえに、彼女の兄だというリュカーはにこにこと人懐っこい笑みを浮かべて答える。最初に見たあの冷たい目とのギャップに、なまえは少なからず動揺していた。

「え、と…」
「どうした? 遠慮せずにたくさん食べろよ! 足りないなら追加で作らせるから」
「あ…いや、そうじゃなくて……」

不思議そうな顔をしているリュカーをちらりと見やり、なまえは漏れそうになったため息を抑えた。

「……あの、リュカーさん」
「何だ? 昔みたいに『兄さん』って呼んでいいんだぞ?」
「いえ…だから、リュカーさんが…その…、兄…だというのは……」

わずかに目を逸らして気まずそうに話すなまえの語尾は、少しずつ小さくなっていく。
対するリュカーは、浮かべていた表情を苦笑に変えた。

「そうだよなぁ…。いきなり言われても、はいそうですかとはならんよな実際」
「はあ…すみません…」
「いーよいーよ。別になまえのせいじゃないしな! …むしろ俺らのせいなわけだし…」
「…?」

笑う彼に、なまえも微かながら笑みを浮かべる。

「とりあえず、DNA鑑定でもしとくか?」
「そう、ですね…」

少しの間、考えるような仕草をした彼女は、首を横に振る。そして、不思議そうな顔をしたリュカーに、薄く笑って見せた。

「そんなものの結果は、いくらでも改竄できますから」

リュカーは驚いたように目を丸くし、「そうだな」と苦笑した。信用はされていないようだ、と思った。料理に手をつけないのもそのためか。
彼は深く息を吐き出してから、不意に真剣な顔をして、なまえを見つめる。

「信用してもらえなくても、俺はお前にずっと言いたいことがあったんだ」
「…何でしょうか」
「ごめん」

テーブルに手をつき、いきなり頭を下げる。なまえは目を瞬かせ、驚いたような表情でリュカーを見つめた。

「あ、あの…」
「本当に、すまなかった」
「……何を…?」

まったく訳が分からないなまえに、リュカーは顔をあげた。そこには悲痛な表情が浮かんでいる。

「お前を、あの部屋に閉じ込めたこと」
「……え…」
「守るためだったんだ」

まっすぐに目をあわせてくるリュカーに、なまえは居心地悪そうにしながら首を傾げた。

「少し、昔の話をしていいか?」
「ええ」
「まず、俺たちの父親はあるマフィアのボスだったんだ。子供は、俺とお前の二人だけ。ファミリーの規模は小さかったけどな、みんな優しくて、良い人たちばっかりだった」

懐かしそうに目を細めるリュカー。

「…で、さっき『なまえは昔からお転婆だった』って言っただろ?」
「はあ…」
「言い方は悪いが、幼いながらに"使える"存在だったんだよ。……だから、お前は色んなファミリーに狙われてた」

初めて聞かされる、あの部屋以前の話。なまえはリュカーの言葉に真剣に耳を傾けていた。無意識下にある「自分の過去を知りたい」という欲求は、知らず知らずのうちに、彼女自身をコントロールし始める。

「でも、俺たちはもちろん家族を渡す気なんてなかったから、来るファミリーは全部潰してった。……戦闘には、お前も参加してたしな」
「え…」
「本当に強かったんだよ、お前は。…狙われてるくせに、狙ってくる敵の大半を一人で倒しちまうんだからな」

リュカーが苦笑を浮かべた。

「ま、そんな感じで俺たちは幸せに暮らしてたわけだよ。……あの日までは」

思い出を語る温かな表情が不意に翳り、絞り出す声は悲痛なものに変わった。

「…あの日…?」
「……母さんが死んだ日」

驚くなまえを見て、リュカーはつらそうな顔をしながら続ける。

「自分たちにとって利用価値があるってことは、敵に回せばただの脅威だ。ヤケになったどっかのファミリーが……手に入れられないなら、とお前の不意を打って殺そうとしたんだ」

目を閉じて、眉間にしわを寄せたリュカーが、小さく息を吐き出す。

「……母さんはそこを庇った。…それで死んだ」

言葉を失うなまえ。
リュカーは言葉を止めない。

「目の前で母親を殺されたお前は、…一瞬で狂った。母さんが死んだのは、お前を狙ったファミリーとの戦いの最中だ」
「……」
「敵のファミリーは全滅。…でもそれだけじゃない。理性を失ったお前は味方にまで襲いかかった。その時は俺と父さんで何とか抑えたんだけどな」
「……すみません」
「気にすんなよ。過ぎたことだ」

リュカーが目の前で手を振った。

「それから、お前は意識があれば、誰彼構わず殺しにかかるようになったんだ」
「……」
「だけど時々、少しの間だけ正気に戻ることがあった。……その時、自分が仲間を殺しかけたことを思い出しては、自殺を図ろうとした」
「……」
「でも、俺も父さんもなまえを死なせるなんて考えられなかった。…大切な家族だったから。だから、お前には本当に悪いと思いながら、記憶を消して、あの部屋にいさせたんだ。何かの拍子にお前が思い出すことのないように、誰も近づけないようにして、な」

話を終えたリュカーは、再び深く頭を下げた。

「すまない。分かってくれとも許してくれとも言えないけど…、本当にごめん」
「い、いえ…あの、顔をあげてください」

慌てて言うなまえに、リュカーは顔を上げる。

「事情は分かりましたし…あの、むしろ悪いのは…私、ですし」
「…許して、くれるのか?」

目を丸くするリュカー。

「だから、あの…許すも許さないも…私は…」
「ありがとうなまえ!」

彼女の言葉を遮って、リュカーが叫ぶ。テーブル越しに彼女の手をつかみ、満面の笑みを見せる。

「いえ、だから…私は、」
「実は、そこで提案なんだが」

真面目な顔をして、彼がなまえを見つめる。

「家族を、やり直さないか?」
「……え?」

思わず、目を瞬かせてリュカーを凝視する。彼は彼女の手を握り締めたまま、弾むような声で理想を語った。

「記憶がないからさ、お前は楽しかったこととか知らないだろ?」
「え、えっと…」
「俺とお前でさ、兄妹水入らずで! …父さんと母さんはいないけど」

リュカーは不意に、また声のトーンを落ち込ませた。

「…え?」

彼は悲しそうな顔で首を振った。

「父さんは…殺されたよ。……ヴァリアーに」
「……あ…」

なまえはあの部屋から出してくれたのが彼らだということを思い出して、小さく声をあげた。

「どこから聞きつけたのかは知らないが…、お前のことを知って襲ってきた。俺はちょうど外出してたから無事だったけど…」

リュカーがなまえの手を離す。その瞬間、彼女は手のひらに何か違和感を覚えた。その正体を確認する前に、

―――ぁ?


「つまり、」

視界が揺れる。頭に靄がかかったかのように、ぼんやりと思考が混濁していく。


「ヴァリアーは、お前から"大切な"家族を奪ったんだよ」


リュカーの声が、浸透していく。


「奴らはお前を救ったように見せかけて、利用しようとしているんだ」


ゆっくりと、染み込ませるように紡がれる言葉。


「ヴァリアーは、家族の敵だ」


脳内に響くその声が誰のものだったのか、彼女にはもう思い出せない。



「なまえ、お前は奴らに…復讐しなくては」



リュカーはなまえの手にナイフを握らせる。
一点の光もない暗い目でそれを見据え―――彼女は立ちあがった。

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