彼女は、強かった。

故に関心は薄く、
故に知ることを怠り、

故に、純粋で無知で、

ひどく脆かった。







リング争奪戦が終わってヴァリアーにも日常が戻ってきた頃、なまえの元に一件の依頼が入った。
彼女はザンザスに呼ばれ、執務室に向かった。中ではザンザスが不機嫌そうな顔で紙を睨みつけていた。もちろん、彼が不機嫌そうでない時など、そうそうあるものでもないが。
なまえが来たことに気付くと、ザンザスは手にしていた紙を彼女に向かって投げた。薄い紙っぺら一枚とは思えない速度で飛んできたそれを、なまえはなまえで、器用に受け取る。そして、その紙に目を通してから、困ったような顔でザンザスを見た。

「あの、これ…」
「詳しくは会って話す、と。行くか行かねえかはテメェで決めろ」
「……」

その言葉を聞いて、なまえはもう一度紙に目を落とした。

紙にはたった一行、日付と時間と場所が書いてあるのみだ。その場所は、なまえでも知っているような有名な超高級レストランだった。予約を取るのも難しいと言われているレストランをわざわざ指定してきたことに驚きを感じた彼女は、一瞬だけ迷ったが、とりあえず話を聞きに行くだけでも、と考えた。

「……じゃあ、一応…行きます……」
「…そうか」

なまえは一礼し、部屋を出た。

そして、指定された時刻になまえがレストランに行くと、入口の側に立っていた男性が近付いてきた。彼はなまえの前に立って、その口を開いた。

「なまえ様でございますね?」
「は…はい、そうですけど…」
「お待ちしておりました」

彼は深々とお辞儀し、「こちらに」とレストラン内に入った。なまえも慌てて後を追う。
中に客の姿はなく、ウェイトレスのような人間も見当たらない。なまえは訝しげな顔をするが、男性はどんどん奥に入っていく。

そして、一番奥にあった、明らかにVIPルームであろう扉の前で足を止めると、腕を上げて軽くノックをした。

「どうぞ」

中からは、若い男の声。
なまえを案内した男は扉を開けると、中へ入るよう彼女を視線で促した。

「失礼します…」

彼女が足を踏み入れた部屋の中には、声の印象通りの若い男がソファに座っていた。なまえより少し年上のようであり、見た目は爽やかな好青年といった男だった。だがその目はどこまでも冷たく暗く、間違いなく裏社会の人間であると知れた。

───この人が、依頼人…。

なまえは内心、がっかりしていた。むしろこの男がターゲットであったならば、任務にも楽しみが出来ただろうに。
彼女を案内した男は、すぐに「失礼いたします」と部屋を出た。
扉が閉じられた後、依頼人は鋭い目でなまえを見据えた。

その目と視線が合い、彼女は無意識に自らの得物に手を伸ばしていた。戦ってみたい、という抑え切れない欲求。
そんな彼女の行動に気付いていないのか、まるで気にした風もなく、依頼人が口を開いた。

「なまえ、なんだな?」
「…はい」

彼女が肯いた途端、依頼人は纏う空気を一瞬で砕けたものに変えた。その変わりように、なまえは思わず手を止める。
男は、親愛すら感じるような暖かい笑みを浮かべ、ソファから立ち上がった。

「久しぶり! 大きくなったなあ、なまえ!」
「え……あ、…はぁ?」

困惑する彼女に構わず、彼はズカズカと近付いてきて、そのままなまえを抱き締めた。

───? !? ! !? !? !!

混乱。理解できない男の行動に、なまえはほぼ反射的に男の足を払って組み伏せた。

「イテッ!」
「…っあぁあ! すみません!」

自分のしたことに気付いて、慌てて男の上から飛び退き、泣きそうな顔で謝るなまえを、男はどこか嬉しそうな表情で見ていた。

「いやあ、相変わらずなまえはおてんばさんだなぁ」
「…?」

お転婆、などという可愛いものではなかったが、なまえはそれ以上に男の口ぶりに引っかかりを覚え、眉根を寄せる。

まるで、昔から彼女を知っているような。

彼女の訝しげな視線に気づき、男はしばらく考えるような素振りを見せてから、ぽんっと手を打った。

「そうか、お前…記憶が……そうかそうか」
「…? あの…?」
「いや、驚かせて悪かった」

男は立ち上がり、服に付いた埃を軽く払うと、なまえに向かって笑顔を見せた。

「俺はリュカー。お前の、兄貴だよ」



「…………………………は?」

突然現れた自分の兄を名乗る男に、なまえは目を丸くすることしかできなかった。

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