───ああ、俺は死ぬのか。

なまえがナイフを振り上げるのをぼんやりと網膜に写しながら、ランチアは不思議と穏やかな気持ちだった。それも良いだろう。自分が手に掛けてしまった仲間のところには行けないだろうが、地獄で苦しみ続けることもきっと贖罪になる。彼は静かに目を閉じた。


ヒュンッ

彼の耳元を、風が通り抜けた。


とさっ…

続いて、何かが倒れるような音が聞こえ、感じていた重みが消えた。

───?

疑問に思い目を開くと、先程まで自分に跨がっていたなまえが、すぐ側で倒れていた。ランチアの頭を貫通するはずだったナイフは、数センチ横の地面に突き刺さっている。
訳が分からずに、上半身を起こす。綱吉や獄寺の顔を見たが、彼らも一様に不思議そうな顔をしていて、味方の誰かが攻撃をした訳ではないことが伺えた。ならば、何故この少女は倒れているのだろう。

対するベルとマーモンは顔を見合わせ、揃ってため息を吐き出した。

「あーあ、このタイミングでかよ…」
「これがなければ、幹部になれるのにね」

ベルは両手を上げ、降参のポーズを取る。マーモンは「ムム、」と唸ったが、攻撃の意思はないようだった。ザンザスは苦々しげに舌打ちし、「役立たず共が…」と呟いた。その急な態度の変わりように、皆訝しげな顔をする。

ランチアは、なまえを注意深く見やる。倒れたその姿からは、先程までの敵意や殺気は微塵も感じられなかった。それでも慎重に近付いて耳を澄ませば、彼女から規則正しい呼吸が聞こえてきた。

なまえは、眠っていたのだ。

ランチアは驚愕に目を見開いた。まさか、この状況で? 信じられない気持ちでなまえを見る彼の側に、いつの間にかベルが立っていた。
ベルは地面に刺さったなまえのナイフを抜き、手慣れた様子で彼女を抱き上げた。

「タイミング悪すぎだっつーの、ほんと」

そう呟きながらも、ベルの纏う雰囲気はどこか優しげだった。







なまえは、暇を持て余していた。

先日の大空戦で、ヴァリアーから多くの負傷者が出た。そこで、誰の配慮かは知らないが、イタリアに帰る前に日本の病院に入れられることになったのだ。ボンゴレの息がかかった病院らしく、中にはヴァリアー以外の患者はもちろん看護婦たちも居なかった。中は完全にボンゴレの関係者だけで固められ、また反乱を起こさないかと警戒しているためにピリピリとした空気が充満していた。
なまえは唯一負傷していない人間だったが、監視下に置くために彼女も病院に缶詰め状態だった。時折、ザンザスが軽く暴れる以外には何事もなく、病院内は比較的静かだった。
なまえは待合室の椅子に座り、欠伸を噛み殺す。とても退屈だ。

「あ…」

小さく呟く声が聞こえ、意識をそちらに向ける。そこに立っていた人物を見て、なまえは寝ぼけ眼を大きく見開いた。

「あ、」
「こ…こんにちは……」

気まずそうに挨拶したのは、綱吉だった。慌ててなまえも会釈を返す。綱吉の後ろには、跳ね馬ディーノとその部下のロマーリオが立っていて、緊張した面持ちでなまえを見ていた。

「あの、隣…いいですか?」
「え…あ、はい、どうぞ!」

綱吉に言われ、なまえは長椅子の端へと移動する。空いたスペースに腰を降ろす綱吉を見ながら、内心で首を傾げた。

ドン!

ちょうど綱吉が座ったと同時に、上階から重いものを壁に叩き付けたような大きい音が聞こえた。綱吉はびくっと肩を震わせ、「ひぃ!」と声を上げた。その間にもひっきりなしにガン! バン! と凄まじい音が続く。不安そうに天井を見上げる綱吉に、なまえは優しく笑って言った。

「大丈夫ですよ」
「え?」
「ボスがちょっと暴れてるだけですから。安心してください」
「(安心できねー!)あ、そ…そうなんだ…」

綱吉はますます不安そうな表情になった。そして、沈黙が降りる。

「………あの、?」

数分後、しびれを切らしたなまえが小さく声をかけると、綱吉は意を決したようにディーノたちの方に振り返った。

「すみません、ちょっと向こうに行っててもらえますか?」
「な! ツナ、お前…!」

ディーノとロマーリオは驚いたような顔をして、綱吉を見つめた。

「彼女と二人で話したいんです」
「でもよ…」
「大丈夫ですから」

綱吉の強い意志のこもった目を見て、何か言いたそうにしていたディーノは、諦めたようにため息を吐いた。

「あっちにいるから、何かあったらすぐ呼べよ」
「ボス…!」
「行くぞ、ロマーリオ」
「ありがとうございます、ディーノさん」

ディーノたち二人が視界から消えると、綱吉は小さく息を吐き出した。それから、なまえを見て苦笑いを浮かべる。どう話そうかと、とりあえず当たり障りのない話題を探す。

「えっと…、元気?」
「…ええ、私は怪我してませんから」

微笑むなまえに、綱吉は少し笑ってから、表情を引き締めた。

「………あ、のさ」
「はい」
「この前、君が言ってたこと…」

綱吉が言ったのは、大空戦でなまえが彼に耳打ちした言葉のことだった。


『ヴァリアーは、私の居場所なんです。…ごめんなさい』


あの時、なまえはそう言ったのだ。何の謝罪なのか、その時は分からなかった。今考えれば、おそらく綱吉の仲間を殺す───居場所を壊すことに対する謝罪だったのだろう。もしもなまえが眠ってしまわなければ、確実に皆死んでいたはずなのだから。

「『ヴァリアーが居場所だ』って…」
「…ああ、」

しばらく考えていたなまえは、思い出したらしく、納得の声をあげた。

「君は、大切なものなんてないって言ってたけど……」
「……」
「多分、ヴァリアーのこと、大切に思ってるんじゃない、かな…」

言葉は、だんだんと尻すぼみに小さくなっていく。綱吉はなまえにチラッと目をやった。彼女は、感情の読めない顔で綱吉を見ている。



「あの…こんなこと言うと、変に思われるかもしれないんですけど……私、殺し合いが好きなんです」

唐突に呟かれた言葉に、綱吉は目を白黒させた。先ほどまで彼を写していた目は、今は何もない前方にぼんやりと向けられている。

「ヴァリアーは、超一流の暗殺部隊ですから……色んな依頼で、結構強い人とも戦えるんです。…私は、それが楽しくて、ヴァリアーにいるんです」

もちろん、それだけではない。
あの窓のない部屋から連れ出してくれたことの恩返しでもあるが、わざわざ綱吉に言う必要はないだろうと、なまえはそれについては話さなかった。

「多分、強い人と戦えるなら、そこじゃなくても良いんです」
「……」
「他の何かと比較すれば、ヴァリアーは大切と言えるのかもしれません。……でも私はきっと、皆さんが一人残らず死んでも、何とも思わないだろうと思うんです」

ヴァリアーは、確かになまえの居場所だ。ただ、それだけ。居心地は良くも悪くもない。置いてくれるから、そこにいるだけのこと。

「大切なものって、失いたくないものなのでしょう?」


言われてみれば、確かに大切なのかもしれない。

でも、それは失いたくないと思うほどに、切実な気持ちではないのだ。


「……」

間に沈黙が降りた。
ザンザスは暴れるのを止めたらしく、病院内は空調の音に支配されていた。

「……大切なものは、失ってから気付くんだって」

しばらくして、綱吉が呟いた。なまえは、ゆっくりと綱吉に目をやった。

彼には彼なりに、ここへ来た理由がある。
優しい彼は、これから先の彼女のために。

「だから、…えっと……その…気を付けて」

綱吉は、なまえと目を合わせることなくそう言った。そして、椅子から立ち上がる。

「…えっと…じゃあ俺、帰るね」
「はい…ご忠告、ありがとうございます」
「…うん、お大事に」
「……あ、あの…ちょっと待ってください」

背を向けた綱吉を呼び止め、なまえは病院の受付に置いてあったメモに、何かを走り書きする。そして、不思議そうにしている綱吉の手に、それを押し付けた。

「あの…もし、困ったことがあったらどうぞ」

綱吉が紙を見ると、携帯の番号と思わしき数字が並んでいた。

「出来る限り、力になります」
「……ありがとう」

綱吉はにこりと笑う。なまえもつられて柔らかな笑みを浮かべた。

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