二匹の犬
―二時間後―
深緑の豊かな木々の合間を、灰色の犬が走っていた。――いや、もしかしたらそれは狼だったかもしれない。それほどまでに彼は曖昧な存在だったのだ。
しばらく走り続けたその犬は不意に走ることを止めると、今しがた自分の走ってきた道を振り返った。
「まだ……半分ですか」
声は、その犬の近くから聞こえた。否、その犬が発したのである。彼は伏せるようにその場に座り込み、息を切らしながらに体力が回復するの待っていた。
先天性の神憑の中には時に、身体に特徴を持つだけでなく姿を完全に変化することが出来る者もいる。
彼はその中の一人だった。
「馬車が使えればこんな距離たわいもないんですけどね……」
揺れる木の葉と風を感じながらその灰色の犬は立ち上がり、一度大きく伸びをするとまた“目的地”に向けて走り出そうとする。
だが、
「これはこれは、グレイプニル騎士団の奇術士のお兄さんじゃないか。そんなに急いでどうしたって言うんだい?」
「……『ケルベロス』」
唐突に掛けられたその声に、足を止めた灰色の犬――雅は、木の上から自分を見下ろす杞微を睨み付けた。
「今は貴方に構っている暇は無いんです。……というか、『番犬』である貴方がこんなところにいるなんて、それはそれで珍しいことですが」
「ふふっ、なんたって姉さんの目を盗んで飛び出して来たからね。茉淦の匂いを頼りにここまで来たんだけど、まさか君に会えるなんて」
嬉しそうに笑いながら、杞微が獣化した手を雅に向かって突き出す。先天性の神憑のまぎれもない証であるそれは、やけに大きく彼の目に映った。
「でもまぁ、これも縁があるというのかなぁ」
彼はそう呟くのと同時に拳を高く振り上げると、乗っていた木の上を反動をつけて飛び上がり、そのまま雅に向かってそれを振り下ろしてきた。
「っ――!?」
雅はそれを軽々と躱すが、直後に物凄い振動が彼を襲った。
杞微の拳は確かに雅を外してそのまま地面にめり込むこととなったが、そこを中心としてかなりの地響きが森中に響き渡ったのだ。
「なんという馬鹿力ですか……!」
ゆっくりと土煙が立つ中に立ち上がる杞微に、雅は思わずそう呟いた。
「あーあ、外れちゃった。でも、次は外さないよー!」
笑顔で彼はそう言うと、今一度拳を握り直して地を蹴りあげる。
「これは……どうやら戦うことしか道はないようですね」
すると杞微が雅に届くかというまさにその瞬間、彼の周りにいきなり突風が吹き、木の葉が巻き上げられたかと思えば、次には既に彼は人間の姿にへと戻っていた。
突然のことに杞微は思わず動きを止めたが、すぐに体勢を立て直し彼から距離を取る。
そして風が吹き止み、渦の中から現れた雅はめんどくさそうに目を細めると、妖しい笑みを浮かべ、腰からステッキを抜き出す。
「さて……こう見えて私も忙しいんです。すぐに終わらせてあげましょう」
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