崩れた均衡
「全く、一体どこまで行ったというんだ!香野の奴……」
遡琉を追い掛け部屋を飛び出した香野を追って、珀憂は早足で廊下を歩っていた。
「しかし……」
『あぁ、そういえばさっき言い損ねたんだったっけ。……この城の地下に隠された秘密のこと』
『秘密……そうだね。この宮殿の地下には古くから牢屋があってね……ある罪人を閉じ込めるためだけに造られたんだ。それによって、そいつが逃げ出すことが無いようにあえて不自然な程に頑丈な建物を造り、僕の神憑の能力で拘束をしている』
『その罪人が誰かって?……君らがよく知る人物さ。僕らが転生する前に封印されたラグナロクの……ここまで言えば分かるよね?』
『まぁ、僕の目が黒いうちは、出してあげるつもりは更々無かったんだけどね。能力の不可を感じなくなったことから察するに……どうやら侵入した何者かによって拘束が解かれたみたいだ』
「フェンリル……まさかあいつがこの宮殿にいることを知っていて、元帥は私達を……」
百埜に言われた言葉を思い返し、珀憂が一人思いを巡らせながら闊歩していると、唐突に目の前の道が二つに分かれた。
「この宮殿は迷路にでもなっているのか?」
不快感をあらわにしたままに、彼は言った。しょうがない、と本日幾度も立ち会ってきたその光景に、珀憂は直感で右を選ぶ。
そして彼が右に向けて曲がったその時、今度は唐突にその歩みが止まった。
「……なるほど、宮殿内に現れた不審な者とはお前のことだったのか……纉抖」
腰の剣に手を掛けたまま、珀憂は目の前からやって来た黒髪の男――纉抖に喋りかける。転生前と何一つ変わっていないその風貌に、彼のその能力『ヒュドラ』のことを頭の隅に思い出す。
「あぁ……誰かと思えばお前か。全く、ここは道が入り交じっいて本当に歩きづらい」
纉抖は来た道を振り返るようにして、まるで寝起きのような顔をしながらかぶりを振った。
彼の服にはよく見ると血が付いており、いまやそれが斑模様に服を染め上げている。
「お前、まさか……!」
しかし当の彼は痛がる素振りすら見せていない。
その事実が、あれは彼の血ではなく、誰かを斬った際についた返り血であることを物語っていた。
そして珀憂には、そのことについて心当たりがあった。
「ここの使用人を襲ったのもお前か」
「使用人……?あぁ、地下へ繋がる鍵を取りに行こうと思ったのだが邪魔だったのでな。仕方無く排除させて貰った」
薄い笑みを張り付けながら、纉抖は刀の鞘に手をやった。
「やはり……!」
「既に知っているのだろう?この宮殿の地下のこと。そして、お前はあの方を止めに来た」
全て見透かしたように視線を浴びせる纉抖に、珀憂は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに相手の目を見返して、
「……だとしたら?」
「愚問だな」
纉抖はスラリと刀身の長い刀――ぞくに太刀と呼ばれるそれを抜き取ると、その切っ先を珀憂に向けた。
「今はここを通す訳にはいかない。あの方のためにも……な」
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