夏強化月間 | ナノ


野菜の皮をむいて一口大に切る。自分の好みはすこし大きめなのだけれど、以前に作ってやったとき食べにくい、と言われたので小さめに。
その相手はロー・テーブルの上にいまどきではあまり目にすることもなくなった瓶ビールとコップとを並べて夏を満喫している。
扇風機の生温い風が時折肌を撫でていく以外には開け放した窓から風が入ってくる様子もない。夕焼けが終わり、やがてやって来る夜の気配が狭い部屋に満ちていた。
「ビール飲む?」
そう臨也に尋ねられたが静雄は首を横に振った。
「いや、いい。嫌いなんだ」
「そうだったね」
「お前は気にしないで飲めよ」
「うん、そのつもり」
笑い混じりの答えに可愛くない、と思いはするもののでは果たして可愛いげのある男だったか、と静雄は考え頭を振った。
「こんなに暑くちゃあビールでも飲まなきゃやってらんないね」
臨也が言う。それから人生損してるよ、と付け足すのに静雄は苦く笑う。
損をしているなんて言ったらそんなもの、臨也と出会ったこと、それ自体だろう。それからいまのこの関係だって。
玉葱を切り、じゃがいもを切って水にさらしたところで材料が足りないことに気が付いた。
手を洗い、軽く拭く。
「臨也」
「なあに?」
「人参がない。買ってくる」
すると臨也は立ち上がり静雄のすぐ傍へ来た。強くはない力で腕を掴まれる。その白い指が橙に染まって、それを見るとああ夏なのだな、となんとなしにそう思った。
「行かなくて良いよ」
「でも、」
「黄昏れ時は危ないよ」
ほら、と指差された先、磨りガラスの向こうに黒い影がふたつ通り過ぎるのが見えた。
まるで寄り添うようなその姿に自然と視線が寄せられる。
「カレーの匂いに誘われてやって来たんだ、夏はああいうのが増えるんだよ」
臨也が囁くように言った。ああいうの、というのはさきほどの影だろうか。
臨也はもう一度危ないよ、と言い、静雄は頷いた。
臨也は微笑んで掴んでいた腕を放すといまではすっかり耳慣れた台詞を口にした。それはもう何度も聞いた言葉で、けれど静雄は一度も返したことはない。そのたび臨也は別に良いよ、と笑ってみせるけれど、すこしだけ苦しさを覚えた。
やはり臨也は笑って「待ってるね」と言った。


鍋の中へルウを入れると香ばしいスパイスの香りが部屋のなかへ漂う。
へらで掻き混ぜながらふと顔を上げるとさきほどと同じような黒い影が台所のガラス越しにこちらをじっと見ていた。
臨也の言うように匂いにつられてやって来たのだろうか。
影はふたつ、背の高いのとすこし低いの。
じっと見ていると彼等は顔を見合わせて、それから笑ったようだった。それから高いほうが低いほうに重なって何か言っているようにも見える。
なんだろうか?


炊飯器を開けて米をよそい、ルウをかけた。その間も影たちはじっとそこに立っていた。
すこし風が出てきたのか色褪せたカーテンの裾が揺れている。
窓の外はすっかり暗くなり闇がすぐそこまでやって来ていた。
「美味しそうだね」と臨也が言う。テーブルの上の瓶ビールはもう中身が半分ほどに減っていた。
静雄は冷蔵庫から麦茶の入ったガラスの容器を取り出し、それからコップとスプーンを並べた。
こうしていると酷く幸せな、自分が憧れていた絵画そのもののような気がして静雄はそっと微笑む。
向かい合って座る男は決して親切でもなければ優しくもないけれど、でもそれでもこうして穏やかに過ごしている。きっとそれだけの情を抱いているのだろう。ずっと以前には考えもしなかったことだけれど。
扇風機のファンがまわる。窓からは夜の気配が流れ込んできた。
どこかの家の夕餉の団欒、ぽつぽつと灯るあかり。
ふと目を遣ると影はもう闇と同化して見えなくなっていた。もしかしたらその前にどこかへ行ったのかもわからない。
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
そう答えて静雄は臨也を見た。彼はどこまでも澄んだ瞳をしている。そこにさきほどの影の名残を見たような気がした。錯覚だろうか。
白い頬が橙がすこし混じった藍色に染まっている。
「お前がいるのは、素敵なことだと思う」
そう言うと臨也は一瞬目をまるくして、それから「そうだね」と微笑んだ。
「キスしよう」と臨也は言ってテーブルに手をついて身を乗り出した。軽く触れ合う。薄い唇だ。
いただきます、と手を合わせる彼を見ながら静雄はほんのすこし滲むような痛みを覚えた。
いつか伝えられるのだろうか。
あの影たちのように屈託なくふたりで寄り添える、そんな日が来るのだろうか。それが夜に塗り潰されて見えなくなるようなはかないものでなく、たしかな色彩をともなうものであるだろうか。
スプーンを手にする。
口にしたルウは静雄にはすこし辛い。
「夏だねえ」
「夏だな」
どこからか豆腐屋のラッパの音が聞こえた。パタパタと走るサンダルの音。影たちもすみかへ戻っただろうか。
今日がまた、ゆっくりと終わっていく。

2011/07/01

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