夏強化月間 | ナノ


思い切り水を跳ね上げて、身体が水に沈んだ。
身構えてなど当然いなかったから、そのせいで大量の水が喉へ流れ込んできて息が苦しい。
何とか足をつけてそこへ立ち、息を吸うと途端に噎せ返った。
喉がひゅう、となって涙が滲む。「ざまあないね」
ぼんやりと霞む視界に映る男は半袖のカッターシャツを着て涼しげに佇んでいる。
表情まではわからないが、さぞかし冷淡な、それでいて馬鹿にしたような笑みを浮かべているのだろうと静雄は思う。
罵倒の限りを尽くしてやりたいと思うのに、言葉がでない。
長い冬の間、それから春先、本格的な夏はまだ遠く、その間水が張られたままだったプールはすっかり緑色をしている。なんとなく水が身体に絡みつくような粘性を帯びている気がして、静雄は身震いをした。
気持ちが悪い。
大量に飲んでしまった水をいますぐ吐き出したかったけれど、それはもう叶わなかった。
どうにも我慢できない、今まで男とやりあってきたなかでもしかするとこんなにも強い怒りを感じたことなどなかったのではないか、とさえ思われた。
身体が震える。寒さや不快のためではもちろんない。
一瞬にして頭に血が上り、静雄は叫ぶように男の名前を呼んだ。
「臨也ァ!」
それでも彼はそこに静かに佇んでいた。
それが一層静雄を怒りへと駆り立てる。構わず濁った水をかいて進み、飛び込み台の上へ乗り上げようとすると、それより早く伸びてきた腕に頭を捕らえられた。
「死ねよ」
ぞっとするような冷たい瞳だった。ひかりなどひとつも映さない、まっ暗の闇の色に見詰められ静雄はたじろぐ。
するとその途端目の前の薄い唇が残酷に歪んで、静雄は頭から再び水の中へ沈められた。
彼の細い腕など簡単に折ってやれる、とそう思うのに酸素を取り込めないうち頭はぼう、と霞んでゆく。
殺される。
静雄はそう思った。
今までのお遊びとはわけが違う。確信にも似た恐怖が身体を包み、静雄は必死に手を動かしたけれど、つかめるものはべったりとした汚い水だけだった。
今までだって散々凶器を、刃物を向けられてきたのに、この男はいま、その少女にも似た細く長い白い腕ひとつで静雄を殺そうとしている。
ぞっとしてがむしゃらに腕を動かす。
僅かに肌に触れたような気がして、静雄はそれを逃さずぐっと掴んだ。
引きずりおろすように思い切り引っ張ると、突然頭が軽くなって代わりに痩せた身体が飛び込んできた。
途端に跳ね上がる、水。
再び噎せ返りながらなんとか息を整える。
相手もおなじようにしながら、しかし男は俯いていた。
その黒い髪から次々に水滴が落ちてゆく。
真っ白のカッターシャツは濡れてべったりと肌に張り付いていた。
「ざまあねえな臨也」
静雄は言って鼻で笑った。
「ほんと、最悪だ」
彼は笑う。自嘲するようなそれに静雄は少し溜飲を下げた。いい気味だ。
すると俯いたままの腕が伸ばされた。驚く間もなく胸倉を掴み上げられる。
先ほどと同じ、酷く冷たい、まるで凍えるような瞳。それがじっと静雄を見詰めている。
「いつになったら死ぬわけ?」
心底忌々しくて仕方がないというような口調で男がそう言う。
「手前こそさっさと死ね」
「お前が死んだら死んでやるよ、」
化け物。
吊り上がった唇がそう告げた瞬間、強く引き寄せられる。
噛み付くように開けた彼の唇の隙間から少し尖った犬歯が覗いた。
これからされることを予測して、しかし静雄はその白い頬へ思い切り唾を吐きかけた。
殴られる。
頬に鋭い痛みが走って、それでも静雄は彼を睨み付けた。
ありったけの憎しみを、それから侮蔑とを視線にこめる。
「やっぱり君は化け物だね。ひとつも思い通りになんかなりゃしない」
「言ってろ、蛇みたいな面しやがって」
「ふうん、気に入らないな」
それが恐らく合図だった。
静雄は彼を殴るために腕を振り上げ、それをかわされ身体が再び水に沈む。
押さえつけられた頭が痛い。
興奮のせいもあるだろう。
水を含んだシャツが重たく感じる。
それでも感情に任せるまま、静雄は彼の腕を捕らえて自分と同じように水の中に引きずり込んだ。
誰が先に死んでなどやるものか。お前が無様に息絶えていく、そのさまをこの目に焼き付けるまでは絶対に。
緑色に濁った水の中で目を開ける。
かちあった男の視線にはたしかな殺意が宿っている。
きっと自分の瞳にも同じものが映されているのだろう、と思いながら静雄は再び腕を振り上げた。
水が跳ねる。

2011/06/08

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