例えば、自分自身の方程式があればどんなに簡単に自身を証明できるのかと、考えてみる。
世の中は本当に複雑で、面倒臭い。
自分が思う自分自身と、周囲の自分に対する見解は常に噛み合うことなく、いつもnotイコールの関係で、かといって自分からnearイコールにしようとすることも出来ずにその証明は終了してしまう。
ax+b=c、axプラスbイコール自分、 そんな自分の方程式が存在するなら、きっと自分はもっと世間に馴染みながら生きることができるのではないだろうか。
だがしかし、未だにその方程式を見付けるには至らない。
あらゆる哲学書を読み漁り、どんな数式を説こうとも、いくら先人の知識を吸収しようと、きっと自分自身の方程式など見付けられやしないのだ。
頭では分かっている、もしそんな便利な物が簡単に見付けられていたのなら、この世界は至極単純なものな筈だから。
方程式一つでお互いを理解できたなら、きっと戦争も貧困も小さな争いもなく、世界は平和と幸せに満ち溢れている。そんなことはあり得ないのに、
現実主義だと宣う自分は、それでも理想を求めて四方八方出口のない思考の迷路をさ迷い続ける。
だから自分は世間と噛み合うことなく生きる羽目になってしまうのだと、己の事ながら呆れてしまう。
そんな人間で良かったことを強いて挙げるならば、この知識を生かせる職に就けたという点だけだろうか。哲学の知識を買われて大学職員の座に収まれたのは不幸中の幸いだろう。
人と接することが不得意な自分にとっては、講義の時だけ教壇に立ち、あとは与えられた部屋で書物を読んでは論文を書くだけでお金が貰える。社会不適合者の自分にとっては願ってもない職場である。寧ろ、これ以外に自分に勤まる職は無いとさえ思える。
出勤時間はまちまちだ。自分が持つ大学の講義は朝一の日もあれば昼休み明けの授業もある。大半は午前中に出勤するのだが、自分にはある習慣がある。
それは、出勤前に必ず寄るカフェでのひととき。
大学に行く通り道で偶然見つけた珈琲専門のカフェは白い外装の建物で、通りに面したガラス張りの壁が日光に反射してキラキラと輝いていた。
その輝きに誘われふらりと立ち寄ったそこの珈琲は大変自分好みの味で、それからは一杯の珈琲を味わいながらの読書が自分の心休まる大切な時間となっていた。
そう、心休まる時間、であった筈なのに。
カフェに入り、勝手知ったる足取りで自分の中で定位置となった日差しが当たるガラス張りの席に座る。鞄から読みかけの本を取り出し、栞が挟んであるページを開く。最早常連客となった自分の所にはオーダーを取りにくる店員は居らず、カウンターの奥にいるこのカフェのオーナーが珈琲を入れ始めるのだ。
まだ開店して間もない時間帯のせいか、店内にいる客の数は少なく、静かな空間の中に控え目に流れるBGMが心地好い。
ふわり、とドリップ時に漂う香ばしい匂いに読んでいたページから視線を上げ、ちらりとカウンター側を伺えばフランの端整な横顔が目に映る。
その立ち姿はまるでミケランジェロのダビデ像の様に芸術的で美しく、見る者を魅了するものだ。
神が存在するならば、きっとフランは神に愛された子なのだろう。そんな風に思えてしまうほど、彼は美しい生き物だった。・・性格はさておき、
「お待たせ致しました、マンデリンでございます」
「ありがとうございます。」
お待ちかねの珈琲が運ばれて来たので、ページに栞を挟み本を閉じてテーブルに置いた。
目の前に出された淹れたての上品な香りが鼻腔を擽る、この酸味や苦味が少ない珈琲が自分のなかでのお気に入りだ。
「今日もエクへの愛をたっぷり込めて淹れたからね」
パチリ、とウインク付きの台詞はなんともキザなものであるのに、それが嫌味なくらい様になっているのだから逆に感心してしまう。
「それは、どうも・・」
毎度のやり取りを受け流して、目の前に置かれた珈琲を口に運ぶ。ふう、と一息吹きかけて珈琲を啜ると特有の苦味と豊かなコクが口のなかに広がった。
「美味しいです、」
「それはなにより。」
感想を述べると、彼は嬉しそうに笑う。毎日繰り返される他愛ないやり取りなのに、何故そこまで喜ぶのか。美味しい珈琲をただ美味い、と感想を述べたまでのこと。当然の賛辞に一喜一憂するフランが自分の目には不思議に映った。
「で、今日はどんな本を読書中なんだい?
」
トン、と閉じた本の表紙を指しながら今日もフランは自分が読む本の事を聞いてきた。なんでも、『好きな人の好きなものを知りたいと思うことは普通』だそうだ。
その思考はよく解らないが、聞かれたことは素直に答えてやる。本を語るのは自分も楽しいから。
「アイザック・ニュートンの『自然哲学の数学的原理』です、貴方も万有引力の法則位はご存知でしょう?」
「ああ、リンゴは木から落ちる、だっけ?」
「まぁ、それは伝聞という説もありますが、それが一番有名所ですね。」
「ふうん、それにしても珍しいね、エクが哲学以外の本を読むなんて。その人って数学者だろう?」
「そうですが、しかし数学者、と言うには語弊があります。彼は数学者であり、自然哲学者でもありますから。」
「へえ、俺には違いがよく分からないけど。」
眉を少し寄せた、その素直な感想に思わず
吹いてしまう。素直なことは良い、自分がそうでない分羨ましくもあるが、
本を手に取り、表紙を撫でる。そんなことをしても、彼の思考など手を通して伝わってきやしないのに。
「かのアイザック・ニュートンはこんな言葉を遺しています。
『天体の動きなら計算できるが、群集の狂気 は計算できない。』
」
「それは、どういう意味だい。」
「この言葉はニュートン力学を確立した天才にも、人間の行動は測れないということです。
この言葉を知ってから、俺はよく考えるんです、自分を証明する方程式があったらどんなに良いかと。」
そう、自分を証明する方程式。相手を証明できる魔法のような方程式だ。
こんな馬鹿げた考えは今まで誰にも話したことは無かったが、何故だろう、この人にはそんな夢物語を語っても良いような、そんな気がした。
冷めないうちに珈琲を一口飲み、喉を潤す。彼に俺の思想がどう映るだろうか、
「自分を証明する方程式?」
「ええ、例えば、ax+b=cのように人も簡単に証明できれば、お互いを理解することが容易でしょう?
けれど、そんなものを確立するのは不可能だ。人は誰もお互いを完全に理解し合うなんてできないし、だからこそこの世から争いは絶えない。」
フランは怪訝そうに俺を見ながらうーん、と唸って何か考えた素振りを見せると、口を開く。
「キミの言うことはいつも難解だが、それはいけない事なのかい?」
「と、いうと?」
「そうだな、じゃあ仮にその方程式があったとしよう。そしてキミは僕の方程式で俺という人間を理解したとして、そこで証明は終わってしまうだろ?」
「・・そうでしょうね」
「俺はエクに理解して貰えた、しかしそれじゃあ俺は嬉しくない。1+1=2、解くのは簡単かも知れないけど、その先は無いじゃないか。解くことに満足して、そこで完結させて、人はその先を見ようとするのかな?人間は足し算引き算じゃ計れないんだよ、1たす1は3にでも10にでも成りうるものだから。」
「しかし、」
それは理想論だ、だって1+1は2でしか有り得ないのだから。仮にそうだとして、1+1が3にでも4にでもなったとしたら、それこそ方程式など成り立たない。だって、答えは宇宙に散らばる星の数ほどあるのだから。
その反面、自分の方程式、などと絵空事を求める自分を棚に上げて反論を探す自分が余計滑稽で仕方ないように思えてきた。
フランはそんな俺の考えすらお見通しの様に畳み掛けてくる。
「それに、分からないからその人を知りたい、と思うだろ?俺はエクに方程式で理解されるよりも、分からないから知りたい、理解したいと思われる方がなん十倍も嬉しいけどなぁ」
「それで、知ろうと努力しても理解できなかったら、貴方はどうするんですか。」
「そんときはそんときさ。別に理解できなくても、傍に居ることはできる。俺がキミを理解しようと努力したことは、きっとキミに伝わっている筈だからね。」
そうだといいな、と苦笑するフランを自分はいつの間にかじっと見つめていた。
そんなこと、今まで考えたこともなかった。人を理解することだけが重要なのだと、思っていた。しかし、フランはその過程がとても嬉しいのだと言う。
そんな考えもあるのかと、目から鱗だった。
それは、自分の考え方に固執して、証明することばかり考えていた自分が、如何に狭い視野でしか物事を見ていなかったのかと、実感した瞬間であった。
ああ、そうか。自分は井の中の蛙だったのか。
「人を知る、その努力をすることが理解することよりも大切、ということですね。」
そう俺が言うと、フランは「excellent!」と流暢な発音でにこりと笑った。
「なんというか。俺はまだまだ未熟者だったということですね、」
「そんなことは無いよ、これは俺の考えであってそれが正解ではないのだから。キミの考えが正しいのかも知れない、考え方は人それぞれだからね、きっと答えは無数にあるのさ。人の数だけね、
けど、今日エクの考えていることが知れて俺は嬉しかったよ。
もし、その方程式とやらがあるのなら、キミの方程式の中にピアニッシモ・フランという要素が入っていたらベストなんだけどね!」
そう言って綺麗に笑うものだから、つられて自分も笑ってしまう。窓ガラスから射し込む陽の光が彼を照らして、何か崇高なものに映る彼は本当に神の子供なのかも知れない、そんなこと本人には口が裂けても言えないけれど。
「さあ、せっかくエクのために淹れた珈琲が冷めてしまうよ。」
「そうですね、それは勿体ないです。貴方の淹れた珈琲は絶品ですから。」
理解できないことは、嫌いだった。
けれど今は少しだけ、できないことも大切だと、思える気がした。
Happy 3rd Anniversary!
◆◆◆◆◆◆
【恭而】
おなじみ【MOGEN】のmochi様より、3周年のお祝いとしてこんな素敵なSSを頂いてしまったんです...っ!!!
フラエクの哲学面に触れてくださった頂き物は今回が初めてなんです!予告なしのサプライズな上に今回エクが微笑んでいるっ...(´;///ω///;`)
勝手な想像なのですが、フリー絵で描いた絵がそんな風景(理解できずにいるフランを見て笑ってしまうエク)を思い浮かべて描いたものなので、すごくイメージが沸いてニヤニヤしてしまいました!///
エクが方程式を求める中、フランは持論をぶつける、そして知らないうちにエクの方程式に身を置いていくんです...
人との関係を結ぶ事で生まれる自然哲学は、対人関係を好まないエクにとっては様々な題材の憧れを抱く宝庫でもありますね!
自己確率の方程式...フランという未知な存在を組みとく方程式、エクの好奇心がふつふつと伝わってくる素敵なお話でございました...っ!!!!
カフェの雰囲気もたっぷり再現してくださって本当に感服です!
苦労してるのはフランではなく断然エクですね(n*^ω^*n)
フラン、君は本当にブレないな!!wwww
ブレなすぎて、最終的にはエクが異論を唱えられなくなる...可愛い...なんだかんだ負けてるエクさん可愛い...←
一見否定的に見えるエクの素直な一面、ラストがとてもキュンとしましたっ、フランの店のコーヒーが大好きな事はしっかりと伝える素直さが本当にあったかいです...っ!!///
ふぇええ何度も読んでます本当に...っ!!
もちさん、この度は素敵なフラエクを本当にありがとうございました!!!!!
うわぁあああんっ!!(´;ω;`)
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