2年前、深夜の森にて。



満月の夜。こっそりと部屋の窓を開けて、夜の空を楽しんでいた。
同室の友人達はすっかり寝静まっていて、そろそろ自分も床に潜ろうかと窓枠から身を引きかけたとき。
見覚えのある小さな影が飛び込んできた。

「ずんだ!」

それは私の小さな私のコノハズク。
やけにピィピィと鳴くので慌ててその小さな嘴を捕まえた。そっと室内を見回したが、今の鳴き声で起きた子は居ないみたいだ。全員のぐっすりとした寝息が聞こえている。

ほっと安堵したのもつかの間、手の中の小さな温もりはジタバタと暴れていて、そこで私は漸く彼がなにか咥えていたことに気づいた。

「なにこれ……羊皮紙の切れっ端じゃない」

ゴミなんか拾ってこないでよ、と不服そうにカチカチ嘴を鳴らす彼に文句を言いつつも、何気なしにそれを裏返した。

「!」

たすけて

くしゃくしゃに握り潰された切れっ端、そこに拙い字で書かれた四文字。
時刻はもうすっかり日付を超えた頃。
どうする、とその四文字を見て固まった私に、どうやら彼が焦れたらしかった。

「いった! ……わーかったよ、ちょっと待って」

小さくたって猛禽類。
その爪と嘴の鋭さは折り紙付きで、指先に突き立てられてぷくりと出来た血の玉を舐めて、傍に掛けていたローブを羽織り、それを被せていた箒に跨った。

風を切って先導したずんだが私を案内したのは、高等部と中等部の境だった。
こんなところでなにが、なんて呑気な思考は地上を見て一瞬で吹き飛んだ。

悲鳴を上げている2人の男子。多分あの切れっ端の差出人達だろう。自分の着ているセーターと色の反転したセーターは、中等部生のものだ。
こんな時間、こんなところに中等部生がいるなんてのは問題だけれど、今はそんなの果てしなく些細なことだった。

震える彼らの、その前にいる巨躯。

流石に文献でしか見たこと無いけど……間違いない。人狼だ。
離れてな、とずんだに告げて急降下した。

「ひっ!?」
「だっ、誰だよ!?」
「あんた達でしょ! マメコノハズクに羊皮紙の切れっ端持たせたの! 飼い主よ!」
「あっ……、」
「な、なんだよ、高校生!? 先生じゃ……」
「残念だけどこんな夜中に先生叩き起こすには時間がかかりすぎる! あんたら死ぬわよ!」

近くでよくよく見れば、2人の男子はあちこち汚れていたり擦りむいていて、随分逃げてきたらしい。
まあ、じゃなきゃ中等部生が境界を越えて高等部まで来ないか。

杖を引き抜いて唸る人狼に向き直って構えると。

「「待って!!」」
「はあ!?」

構えた右手に2人分の重み。
そこそこ体格のいい男子2人に掴まれては振りほどけなくて。

「離しなさい! 可哀想だけどこんなとこでお利口さんな慈悲なんか見せてる場合じゃ……」
「友達なんだよ!!」
「なっ……!?」
「あいつは俺たちを逃がしてくれようとして……!」

ちらりと見た人狼は、未だ一人で唸っている。
その身体に服なんか残っちゃいないが、手首のあたりの深い緑のニット、足首に纏わり付いてる布は、なるほど彼らと同じ制服の残骸。

そしてこちらがこんな悠長に構えているにも関わらず、襲ってこない現状。

「……後でしっかり聞かせてもらうからね。助けてやるから離しなさい」
「……」

睨みつけると、2人は不承不承、いや、恐る恐る、手を引いた。
上級生と言うだけで言葉に重みが出たようだ。実際、こんな時間に一人で人狼に立ち向かってるなんて知られたら謹慎処分じゃ済まないのだが。
うまく収まれば美談になるよね、と杖をベルトにしまって、ローブをへたり込む2人の頭から被せた。

「わぶっ」
「ぶふっ」
「それ被って大人しくしてなさい。絶対、外を見ないこと。そしたらお友達は助けてあげよう」
「……始末するか、逃げるつもりじゃないだろうな」

せっかく人がかっこよく決めているのに、唇を尖らせながらさっそく顔を出した茶髪男子の頬を思い切り抓った。

「いででででで!!」
「生意気なガキだねあんたも! いいからいい子にしてな!」
「……二口、今はこの人を信じるしかないよ」
「……チッ」

舌打ち聞こえてんぞ。

とはいえ、もう一人の坊主くんに促されたフタクチくんとやらは、今度こそおとなしく私のローブの中に潜った。

一人唸る人狼が、いつこちらを襲ってくるかわからないというのに、全く悠長にふざけてしまった。
しかし、やはり彼は依然としてひとり、唸り続けている。

「私の登場に困惑しているにしちゃ、随分長いね。よっぽど頭の回転が悪いのか、それとも、見上げた精神力だ」

ぷらぷらと手首、足首を少し振り回して首を回して。
ぐっと牙を剥いて地面を蹴った。



*** *** *** *** *** 


「……疲れた」

膝の上にグッタリ倒れる白髪の男子の傷を癒してやりながら、ボソリと呟く。
今までの大乱闘が嘘みたいに静まり返ったそこは、全裸で寝かせておくのにはかなり酷だった。

「おーいお二人さん。もういいよ、こっちにおいで」
「!」
「青根!」

へろへろな足取りで、しかしおそらく今の二人が出せる最速の走りで傍らに寄ってきた彼らは、どうやらローブの中で震えていたらしい。
指先が白くなるまで私のローブを握り締めて、泣きそうな顔だった。というか、ちょっと泣いていたかもしれない。

「ほら、ローブかして」
「あっ……」
「全裸じゃかわいそうでしょ。このローブあげるから」

モゾモゾと精一杯、なるほどあの巨躯だった人狼くん(仮)にローブを着せてやっていると、ふるりと瞼が揺れた。

「お」
「青根!」
「青根、大丈夫か!?」
「……?」

混乱を極めているらしい(そりゃそうか)、ぱくぱくと言葉は出ずに動いた口に、スカートのポケットに突っ込んであったビスケットを突っ込んだ。

「っ!?」
「毒なんか入ってないから。寮まで自力で帰ってもらうから、それ食べてちょっと体力取り戻して」
「……」

こくこく、とわけがわからないまま頷きながらももりもりと咀嚼しているので、どうやら大丈夫そうだ。
なんとか安堵の息を吐く。
2人の男子達も、漸く安心の色を見せた。

「……で?」

私のこの1音には様々な問いが入り混じっていた。

ただ、総括して別の問いで表すのなら、「なぜこんなことになったのか」に尽きる。
しかし幸いにも察しの悪い三人ではなかったらしく、浮かべていた安堵の色をサッと青に変えてしどろもどろに話し始めた。

曰く。
人狼くん―――青根は、後天的な人狼の父を持つらしい。
そして先天的に人狼のDNAを持った、しかし人間の血が強い人狼として生まれたそうだ。
昔から人より大きく、しかし満月の夜に血肉を求めて暴れるようなこともなく、順調に育っていたが、やはりというかなんというか、この手の人種は感情のブレに弱かった。
満月の夜に決まって暴れることはないけれど、感情が大きく振れると変化してしまうらしい。
が、彼、青根高伸の生来の気質か、(見かけに反して)沈着冷静、穏やかな彼が感情を震わすことはそうそうなかったらしい。それでも周囲を巻き込むことを何より恐れた彼は誰にもそれを告げず、一歩引いた人付き合いをしていた。そんな交友関係を、奇しくも助けてくれたのがその強面と大きな体躯であった。

しかし、そんな彼にも友達ができた。
それが二口と坊主くん―――小原の二人だった。

なんともマイペースな三人組だったが、中でも群を抜く二口は成績も同級生達からの心象も悪くない、しかしいたずら者というなんとまあ教育者を困らせる塊のような男子で。

今夜ここに三人が居たのは、ちょっと高等部を覗きに行こうと立ち入り禁止区域である学園の森に入り、運悪くと言うべきか当然と言うべきか、中にいた魔法生物に襲われかけ、逃げる中で、青根が二人を身を呈して逃がそうと変化したらしい。

ああ、なんという美談であろうか。

…………なーんて言えるのはこうしてなんとか収まったからである。
ちなみにあの羊皮紙の切れっ端は、青根が人狼に変化する直前のもので、たまたま夜の狩りに出ていたずんだが預かってきたらしい。

はああ、と深々溜息をつき、三人の脳天を力の限りブン殴った。

「いっ……!?」
「ぐっ!?」
「……っ!?」
「そんなもんで済んで良かったわね。ずんだに会えたことに感謝しなよ」

涙を浮かべた目で睨まれるが、睨み返せば目を逸らされた。
だいたいこんなこと言ってる私自身だって、人狼とやりあって勝てるなんてまさか思っちゃいなかった。偏に青根の精神力の強さに助けられたようなものだが。
(まあ、やったらぁとは思ったけど……)

女は度胸、という言葉をしみじみ噛み締めていた。それから、運も実力のうち、という言葉も。

「……ところで。あんた達、自分達がどんだけの騒ぎになるようなことやったのかわかってる?」

盛大なブーメランであったが、ギクリと三人は表情も体も凍らせた。

「……お姉さんからのありがたいお言葉を耳の穴かっぽじってよく聞きなさい。今夜のこと、誰にも言わないのよ。青根くんの事も、あんた達が寮を、城を抜け出して高等部まで来たことも、私にあったことも。全部、あんた達のこの頭の中にしまっときなさい」
「え……」
「魔法使いになる気があるんでしょ? こんなこと知れたら一発で退学よ退学。あと私ももれなく道連れになるから絶対黙ってて。まあ恩を仇で返したいなら止めないけど」
「で、でも城の肖像画にすら見付からずに帰るなんて俺たちには……」
「……談話室の暖炉の隣。ロクにスペースのない床下収納があるでしょ。あれ、外れんのよ。まあ上から外すにはちょっとコツがいつからあんた達には無理だろうけど、下からなら難なく外れるわ。で、そこに繋がる隠し通路が向こうにある。中は一本道よ、この子に入り口まで案内させるからそこから戻りなさい」
「え……」
「あんた達が私の言い付けを守れるなら、来年度にまた会いましょうか」

最後に三人にニヤッと笑い掛けてから。
お願いね、とビスケットの欠片を渡すと、ずんだは上機嫌にかちかちと嘴を鳴らしてビスケットを平らげた。

そして付いて来いと言いたげに三人の頭上をくるくる旋回して、中等部の方へ飛ぶずんだについて行きかけて、二口が振り向いた。

「っセンパイ!」
「?」
「名前は!?」
「……エリンギなめこだよ、二口くん」

ザッと吹いた風に急かされて、三人の影は闇に飲まれていく。
生憎部屋着だけになってしまってよく風を通すのにぶるりと震えながらも箒にまたがる。
目指す先は北塔、我らが寮監追分先生の寝室の窓だ。



*** *** *** *** *** 



「……こんな時間に外から訪ねてくるとは余程の要件だろうな、エリンギ」
「……ええ、まあ」

開口一番、追分の台詞は「そこに座れ」だった。
ソファや椅子だと思った?
残念! 硬いラグの上に正座でした!

寝巻き姿だというのに仁王立ちでなんとも言えぬ迫力を醸し出す追分と、ちんちくりんな部屋着姿で正座で縮こまる私。
……泣く子も黙る丑三つ時に、いったい何をしているんだろう。

「……それで?」
「……中等部に、人狼がいます」
「っ!?」

流石の追分もこんな切り出し方は予想していなかったらしい。
しかし普段の成績と話題の重さが幸いしてか、私は正座から解放されて椅子に座ることを許された。

「どういうことだ」

洗いざらい、たった今彼らに聞いてきた事をすべて話した。
それから、今起こっていたことを、事実が捻じ曲がらない程度に多少脚色して伝えた。

「……俄かには信じがたいが」
「でも、信じて下さるんですね?」
「これ以上馬鹿な話もないが、状況が揃いすぎている」

信じない方が難しい、と、ありがたいお言葉を頂いた。

「それで、わざわざ私に話しに来た理由はなんだ?」
「さっすが追分先生! 勿論お願いがあるんですよ」

私が追分に"お願い"したこと。
今話したことを誰にも言わない事、それから、青根に感情の振れがあった時も人間でいられるよう、薬を作ってもらうこと。

「高等部に彼らが上がってきたときは責任持って私が面倒を見ます。万が一別の寮でも。私が卒業する時には、彼も自分を今以上にコントロール出来ると思いますし」
「……しかし、な」
「ありますよね? 人狼の発作を抑える薬が」
「あるにはあるが、あれはかなり難易度が高いものだぞ。そうそう作れる者はいない」
「……でも、先生は作れますよね?」
「…………エリンギ」

にっ、と笑った私に、一拍おいて追分は深々溜息をつくと。

「お前は時々大人を馬鹿にしすぎる。5点減点」
「えっ」
「それから教師を試すとは生意気の極みだ。5点減点」
「ええ!!」
「あと独断で危険な真似に走った事も5点減点だ」
「そんな!」

多少の減点やら反省文は覚悟の上だったが、まさかそんなわけのわからない理由で15点も減点されるなんて。(いや5点はわけのわかる減点だった)

世の中ままならないぜ、なんて内心ぼやくと同時、追分は立ち上がり。

「……だが、その身を呈して後輩の三人を助けた度胸と技量、それからまったくもって図々しい態度にしろ、後輩を案じて私に頭を下げに来た心意気は認めよう」
「……は」
「20点だ」

それから強面をふっと和らげて、私の眠気が覚めないうちに帰りなさいと箒を手渡してくれた。
それでも困惑していると、罰を受けたいなら容赦はせんぞと脅し掛けられてようやく箒に跨った。

外に出て窓を閉められて気づいた。
普通に中、通って帰ればよかった。寒い。

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