拾われた話
遠いところに沈んでいた意識が、ふわりと鼻腔を擽る香ばしい匂いによってむくりむくりと浮上する。
久方振りに嗅ぐいい匂いだ。
ぐるぐると胃袋が栄養を欲して動き始めた。
そうだ、起き上がらなくては。
ガバッと起き上がると、そこはやたらキラキラした、そしてふかふかのベッドだった。
「おっ、起きたか」
そして知らない男が居た。
どなたですかと言うつもりだったのだが、
「……ごはん」
私の口は本能に忠実だった。
しかし男は気を悪くした様子もなく、たらふく食べろと笑った。
「え、あ、で、でもわたし」
「なんだ、見返りか? そんなもの要求するつもりはないぞ」
「……!?」
「たまたま君を拾った、放っておくと気分が悪いから勝手に助けた、つまり俺の自己満足だな」
だから食べてくれなきゃ困る、とも言ってまた笑った。
あまりにも出来過ぎた話に夢ではないかと思ったが、しかし夢なら遠慮する事はないと存分に腹を満たした。
満たしてから気付いた。現実だ。
「ごちそうさまでした……! なんとお礼を申し上げれば……」
思わずがばりと床に伏せると落ち着けと豪快に笑われた。
「いくつか訊いてもいいか……いや、まず俺が自分の事を話そう。俺はシン、商人だよ。連れもいるが……あとで紹介するか。で、君のことだが」
「は、はい」
「君は……あー、そうだな、まず名を訊こう」
名前。
はて、久しく誰かに呼ばれた覚えがないな。
名前、名前……ええと。
「…………榎……?」
「榎? それが君の名か?」
「ええと、たぶん」
「ふうん……じゃあ、なぜあんなところに行き倒れていた?」
「…………わたし、どこにいたんでしょうか」
「えっ」
ここで初めて、男は笑顔以外の表情を見せた。
嘘みたいな本当の、私が恩人に出会った話。
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