序曲『ND2016』

05



「…ということがあったんだよ」
「それはまた、危ない目に遭いましたねぇ…」


久々にスイッチの入ったお師匠様が嬉々として敵を凪ぎ払い、数名の犠牲者を出しながらも僕は無傷だった。
シンクは僕の危機を救ったと言うことで、偶然あの場に立ち会わせていた第五師団師団長に気に入られたらしい。
それでお師匠様同伴で話をしているそうだから、今部屋にはいない。

今日の戦いぶりも初めての実戦にしては見事だったし、帰ってきたら誉めてやろうと考えながら、サフィールお手製の紅茶クッキーをかじった。
うん、美味しい。


「……ところでイオン、一応聞いておきますが、あなた守護役はどうしたんです?」
「アリエッタが交代になったから外した。…それに何人か死んだみたいだから、ゴタゴタしてるしね」
「…危ない目に遭った直後にこれですかっ!!」


そう叫んで頭を抱えたサフィールを尻目に、僕はクッキーをもう一枚口に運んだ。
なんとなく、神経質なサフィールらしい繊細な味がする。ほんのり香るローズティーの香りに少し頬を緩めながら口を開いた。


「それに六神将が直々に導師の護衛をしているのに襲撃してくる馬鹿はいないよ」
「やっているのはただのお茶会ですがね…」


そう言ってサフィールも苦笑ぎみに紅茶を一口飲んだ。
第二師団の団員が今のサフィールを見たらきっと目を剥くだろうなと思いながらクッキーをかじった。

…僕が初めて預言を読んだ日以降、僕は預言に対して世話役に怪我を負わせることで反抗した。…今思えば子供じみているけれど、もしその日その時まで信じていた"支え"が跡形もなく崩落して、はたして普通でいられるのかな。

そうして必然的に日替わりになった世話役の一人が、当時神託の盾騎士団に入団したばかりのサフィールだった。
なんでサフィールだったかは、本当に偶然。
ちょうど"替え"の世話役がいなくて困っていたトリトハイムの目に留まったから、だったらしいけど。

僕の部屋に来て、僕に挨拶をしようとしたサフィールは、ふと本棚に目を向けてふらふら近づいていったと思ったら、そのままトリトハイムに呼び戻されるまでひたすら本に没頭していた。僕と一言も話すことなく、世話をするでもなく、ひたすら。
…僕はもちろん呆然としたけど、同時に他の人間とは明らかに違うサフィールに興味を持った。

その次の日、交代することなく現れたサフィールに僕から声をかけたのが、今日まで続く親交の始まりだ。
まあなんていうか、サフィールらしいと言えばサフィールらしい出会い方だと思う。


「そうだ。シンクの経過はどうです?」


ぼんやり出会いを回想していたら、サフィールがふと思い出したように口を開いた。


「シンク? そうだね、順調だよ。乖離の兆候もないし、勉学にも一生懸命励むし理解力や物覚えもいい。そこらのガラクタとは比べ物にならないくらい優秀だしね」


元々シンクは体力値と身体能力値が最も高く、次いで知能が高く、低いのは第七音素を扱う力くらいだった。
レプリカの生成に必要な最低限の数値、とまでサフィールに言われた、預言士にもなれないくらい著しく劣化したシンクの第七音素。
…乖離の心配はあったものの、シンクの胸に音素乖離を阻止し足りない第七音素を最大限補強する譜陣を描いたことでその心配は解消された。

身体能力については、実力主義な僕のお師匠様が訓練していることだし心配はしていない。今日の様子を見て、既に十分兵士として使えるくらいにはなっているのがわかったし。

レプリカにも関わらず、被験者を超えるという一種の才能を持って生まれたシンクのその力を、生かしてやりたい。
だから今日の功績を理由に、近い内に第五師団に推薦しようと思ってる、のだけれど…。


「なるほど…乖離の心配がなくなったのは安心ですねぇ。貴女に似て優秀なようですし、あと心配すべきは一般人に馴染めるか、というところでしょうか」
「その辺りについて、お前に考えを聞きたいんだよ、サフィール」


サフィールの言った通り、シンクが自立するための最大関門が一般人と馴染めるかどうか、だ。
シンクは生まれてこの方僕やサフィールやお師匠様、強いて入れればモースとヴァンぐらいとしか会ったことがない。

…正直、僕も生まれてこの方、ダアトを始めとした下々の人間と話したことがない。
ローレライ大祭の時や各国の式典に招待された時なんかに見下すことはあるけれど、詠師たちにも阻まれるしそもそも預言の犬なんかと話したくもない。
とにかく僕に経験がないことなだけに教えようにも教えられないし、そもそもこればかりは教えてどうにかなる問題じゃないし…。

そう話せば、サフィールはきょとんとした表情で暫く目を瞬かせてから口を開いた。


「…意外と親バカですね。いえ、アリエッタのことがありますし、当然といえば当然ですか」
「………親バカ? …僕が?」
「ええ」


…そんなの考えたこともなかったけど。そうなのかな…。
…………確かに、アリエッタは可愛がっていたし、シンクだって……。
考え込んでいる僕に、サフィールは小さく笑って口を開いた。


「シンクのことを信じているのでしょう? だったら送り出すのが一番だと思いますよ」
「…うん。そうだね…」


サフィールに返事を返して、またクッキーを1つ口に運んだ。
第五師団は野心家が多いし、少し不安が残るけれど…送りだそう。きっとそれが、彼の未来に繋がるはずだと、そう信じて。

―――どの道、いずれシンクは自立せざるを得なくなるのだから。



* * *



ディストは自室で書類を読んでいた。そう枚数は多くないが、ぎっちりと文字が書かれているせいか、目を細めてみるとただの真っ黒な紙だ。
中身は殆ど何かの詳細な解析結果のようだが。
ディストはその中から読み取った、詠師会の―――否、トリトハイムを除く詠師達の企みに、肌を粟立てた。


(大詠師モースも…ヴァンも…、トリトハイム以外の詠師たちは皆、この計画に初めから満場一致で合意していた…)


ぱさりと書類を譜業の部品が散らばるデスクに置き、デスクに片肘をついたその手で頭を抱えるディスト。
その表情は、普段の様子からは想像できないような―――どこか苦悩を抱えたようなものだった。もしイオンが見ていたら笑って「ハゲても知らないよ」と言うだろう。


(預言から外れた行為にも関わらず、詠師たちが合意し、沈黙を保っているのは…)


ディストはもう一度書類を手に取った。
解析結果に記された1年と少し前から始まっている月日と、次いで書かれた何かの量。種類が豊富なのか7項目あり、それぞれの量が詳細に記載されていて、その量が月を追うごとに徐々に増えてきいるのが書類から読み取れる。

次に書かれているのも、同じように月日と何かの量が数項目、と同じような構造だ。しかしそれが始まっているのは半年ほど前からで、何かの実験途中なのか、補足がぎっちりと記されている。項目に記載された量や種類もバラバラで、殆ど手探りのような状況なのが見て取れた。

最後に書かれていたものにも月日が記されていたが、上の二つとは少し違う。どうやら二つを比較して、その結果が載っているもののようなのだが…。最後の項目の補足には、「シャドウリデーカンまでの組織修復は不可能」と書かれていた。その下は空白だ。


(彼女が預言から外れた存在だったから、なのでしょうか。預言から外れることは罪なのでしょうか)


―――焦りからか苛立ち怒鳴る大詠師。冷たく接し、導師らしく大人であることを要求する詠師たち。ひたすら預言を求める民衆。

幼いころから不遇ともいえる境遇で育ったイオン。
そのせいか性格は子供とは思えないほど合理的で虚無的で冷酷なものへと捻くれ、倫理観や価値観も歪んだ状態に育ってしまった。
そのせいか彼女は何のためらいもなく、穏やかに笑いながらでも人を殺す。

ディストのように、彼女が幼いころから見てきた身としては、もし普通に育っていたらと考えてしまう。

―――それももう、無駄なことなのかもしれないが。
ディストは書類をデスクに置いて手を組み、宙を仰いだ。


(…導師エベノス。貴方の最期の希望も……断たれました)





/ bkm /

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