序曲『ND2016』

03



言われたことすらできなかった一番目を廃棄してから、もうすぐ五ヶ月が経とうとしていた。
もうあまり時間はない。"僕"が死ぬまで残り約十ヶ月。その間にも体調は日に日に傾き続けている。レプリカの教育期間のことも考えれば、そう長い時間じゃない。
…何としてでも"生産数"が2桁になるまでには"導師イオン"を完成させなければいけない。

そう思いながらも僕は第一音素を込めた掌を冷たい石の壁に押し付ける。呼応するような小さな振動と共に、"フランシスの部屋"のある地下へと続く階段が現れた。

冷たく、少しだけ削れて丸くなった石の階段を下っていく。カビ臭いような、何かが蒸すような、少し鉄臭いような、そんな臭いが鼻を掠めた。


「おお、導師イオン! よくぞおいでくださいました!」
「さあ、こちらへ。ディスト師団長がお待ちです」


扉の前で見張りをしていた、第二師団らしい科学者風の服を着た男たちが言った。
第二師団選りすぐりのマッドサイエンティストを集めた『第二師団特殊研究部』の人間がこの中である研究をしているのだ。

僕は促されるままにその部屋に足を踏み入れる。
僕が前導師エベノスに連れられて来たときは、広い部屋に敷かれた深いグリーンの絨毯の真ん中に黒いシミができているだけでその他にはなにもなかったけど、今は巨大な機械が置かれ、寝室のあった場所に繋がるドアノブには厳重に鎖が巻かれている。

…この"フランシスの部屋"は、ローレライ教団の真の始祖とも言えるフランシス・ダアトの私室であったと同時に、彼が自殺した部屋だ。
第一発見者たるフレイル・アルバート、そしてユリア・ジュエも足を踏み入れた、ある意味由緒ある部屋と言える。

―――このダアトには創世歴時代からある隠し部屋や隠し通路なんかがごまんと隠されている。
けどダアトに住む教徒たちの多くは先祖代々この地に住んでいるにもかかわらず、最早噂にすらなっていない。
元々戦禍を逃れるために作られたから、預言があれば、そんなものは必要なかったんだろう。…理由はわからないでもないけど、馬鹿馬鹿しいなぁ…。


「お待ちしていましたよ! 導師イオン!」
「…やあ、ディスト」


綺麗な白い髪の男がやけに嬉しそうに僕に向かって歩いて来て、ぼんやりとした音素灯の光で眼鏡を妖しく光らせた。
サフィール・ワイヨン・ネイス。通称"死神ディスト"…僕のお気に入りだ。


「それで? わざわざ僕を呼び出して、何の用?」
「フッフッフ…ご安心ください。アナタもきっと気に入りますよ! さあ、どうぞこちらへ!」


やけに上機嫌なのが気になるけど、長い付き合いだし、それが悪いことではないというのはすぐにわかった。
黙ってディストの後に続いて書斎だった部屋に入ると、そこにはぼろ布を着せられた、名もない"僕"がうつむきがちに座っていた。


「先日新たに造り出した『五番目』です」
「ふぅん…」


ソレをじっと見下ろして暫く観察する。

僕のものより明るい、癖の少ない緑の髪。
平坦な胸板。…一応成功はしているみたいだ。

けどこれだけだと他のレプリカとは何の代わり映えもしない。
一体何だとディストを見遣ると、ディストは音機関を操作して僕に画面を見せてきた。


「どうぞご覧ください! 驚くべきは運動能力の数値です! これは奇跡にも等しい数値ですよ!」
「………!」


被験者と一から五までのレプリカの能力値を比較したグラフを見て、僕は目を見開いた。

―――『五番目』の運動能力の数値は僕を越えていた。
譜術力こそ劣化しているけれど、知能や精神力は僕となんら遜色無い。感情値も安定しているし、譜術力を除けば今まで作ったレプリカの中では最高傑作と言っていい出来だった。


「どうです! 素晴らしい出来でしょう! レプリカの数値が被験者を超えるなどそうあることではありません…!」


興奮したように喋り続けるサフィールを尻目に、『五番目』の前に屈む。
僕が彼の顔がよく見えるように覗き込むと、『五番目』は自分から僕の顔を見上げた。


「まあ、万が一にも導師に選ばれることは無いと思いますが、これで我が愛しのネビリム先生の復活にも一歩…「"サフィール"」


その瞳に宿った光を見て―――直後僕はいつも通り長い話を遮る。
そしてぽかんと呆気にとられたような、やけに可愛いげのある表情をしたサフィールを見上げた。


「こいつも僕のペットにするよ。いいよね?」

「…は」


僕がそう言うと、サフィールは丸くした目で僕を見つめて口を"あ"の形にしたまましばらく硬直した。


「な、…なんですって!? そ、そんなこと大詠師モースが許しませんよ! それにヴァンだって…!」
「預言豚なんてどうだっていいよ。ねえ、お前もそう思うだろ?」
「……うん」


小さな声で、けれど確かに肯定を返した『五番目』。まっすぐに、まだ穢らわしい世界を知らない澄んだ緑の瞳が僕を見上げていた。
サフィールが驚いて元々かっ開いている目を丸くしてあんぐりと口を開けて、『五番目』はその様子を見てキョトンとしているみたいだった。


「…!」
「ほらね」
「そんな…まだ生まれて1日しか経っていないはずです…!」
「やっぱりお前、自我があるんだね」


そう言って少し微笑んでやりながら、いつもアリエッタにしてやるように頭を撫でた。
一瞬だけびくりと体を震わせたのが右手を通して伝わってきたけれど、そのあとはおとなしく撫でられていた。

まだ自我が薄いのか、それとも嫌じゃないのかはわからないけど、どこを見ているかわからないような他の劣化品たちとは違う反応だ。
―――うん、気に入った。


「そうと決まれば、名前をつけないとね。なにがいいかな…」


名前を考えようと撫でていた手を止めて頭から下ろすと、『五番目』は僕の手を目で追った。
しばらくじっと膝に置いた手を見つめていたと思ったら、パッと顔をあげて、ゆるゆると人差し指以外の指を折って自分を指差した。
それに驚いていると、『五番目』はさらに驚いたことに"自分から"口を開いた。


「『残念だった』」
「…え?」
「『残念だった、同位数値が問題だったな』」
「………」


―――それを聞いて、僕は明確に笑顔を貼り付けながら振り返った。


「サフィール。どういうことかな」
「お…おそらく、『五番目』のデータ採取の際にヴァンが言った言葉でしょう…。覚えていたとは、ヴァンも思っていないと思いますよ」
「そう。それを自分を指し示す言葉だと思ってしまったんだね。…だったらなおさら、彼に相応しい名前を考えないとね…」


ふと浮かんだ名前は、今生きている人間は知らないだろうけれど、僕にとってはとても大切で、大きな意味を含んだもので。
その名前を目の前の"彼"と照らし合わせて心の中で名前を呼ぶと、何故だかストンと収まるような、不思議な感覚がした。

この名前を持った者のようになってほしいと、願いを込めて―――


「"シンク"」


名前を声に出して呼んでみると、どうしてか昔から知っている、とても親しい人を呼んでいるような感覚を覚えた。

現代で使われているフォニック言語では"赤"を指し示すことがある、その名前。
小さく首をかしげるシンクと名付けた"彼"を真っ直ぐ見詰めて、もう一度口を開いた。


「そう、今からお前の名前は"シンク"だよ」
「シンク…」


小さく自分の名前を繰り返すシンクを見つめながら、僕は自分の胸に手を置いた。


「シンク。僕はイオン。お前の"被験者"で、今日から君を育てる人間だよ」
「イオン…オリジナル…」


どこまで理解できているのかはわからないけれど、少なくとも『一番目』とは比べ物にならないくらい頭のいい子だとわかった。


「さあ、行こう、シンク。…立てるかい?」
「…うん」


僕が立ちあがって手を差し伸べれば、『五番目』…シンクは僕の手をとって立ち上がった。
その時にシンクの着ているぼろ布の裾が捲れて血が流れているのが見えた。よく見ればそれは、何かにひっかかれたというには浅く、けれど何かしらに引っかかったというには深い傷だった。


「サフィール、この傷は?」
「それは…大詠士モースが『五番目』の「シンク」…シンクのデータを見た際に『話にならない』と投げつけたペンが当たって出来た傷かと…」
「…あの豚…」


その言葉に少しだけ目を細めながら、戻ったら職務を押し付けてやろうと画策した。あの預言豚のことだから、"そう詠まれていた"とでも言えばそれがどんな量だろうとやるだろうしね。
そう思いながらシンクの手を引こうと振り返って、彼が不安げに僕を見つめているのに気がついた。

…おかしいな、少し目を細めただと思ったんだけど。彼を不安にさせるような険しい顔をしていたかな。
懐かしい色をした緑の瞳を見つめて、僕はシンクが安心できるようにふっと微笑んだ。


「…大丈夫だよ」


安心させるように出来る限り優しい声色でそう言って、僕はシンクの手をできるだけ優しく握りしめた。その手は少しだけ震えている。
微笑んだまま、僕はもう片方の手で握った手を包みこんだ。


「僕がお前を守ってやるから」


まだ少しぼうっとした瞳で、真っ直ぐ僕を見つめるシンク。
僕はなんだか不思議な気持ちになって、もう一度目を細めて笑って見せた。

―――いつの間にか、手の震えは止まっていた。





生まれた感情はなんという名前なのでしょう。



/ bkm /

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