序曲『ND2016』

02



さざ波の音が遠くに聞こえる。

夏の夜の温い風が僕の頬を撫でる。アリエッタが潮風に乱された自分の髪を直している姿が可愛くて、しばらく眺めていた。

無事に戴冠式を終えて、豚のせいで録な観光もできずに帰ってきたダアトの港。
僕はあまり波の音を聞く機会がないけれど、静かな海辺で聴くととても落ち着く。
すぐ傍にアリエッタを呼び寄せて、教会に帰るためにゆっくりと歩き出した。

歩くたびにコツコツと小さな音を立てる石畳は、2000年の歴史とともに削れ、ところどころ石畳自体が剥がれ落ちている。ダアト外での公務の度にこの道を通るけど、実際に歩いたのは3回目、だろうか。普段は馬車で、外が見えないようにカーテンを閉められている。
だからゆっくりと景色を堪能しようと、星空の下で暗い夜道を歩いた。


(―――預言に詠まれていなければ、ダアトの領内とはいえこうして外を歩くことすらできないだなんて、ホントに皮肉だね)


今日の出来事も、昨日の出来事も、明日の出来事も。来年の出来事だって、すべて預言に詠まれている。全て、決められている。
僕が今日この石畳を歩いているのだって預言に詠まれていたからだ。預言を全うするためだ。そしてこの街の人間たちは、それを遵守するためならば殺人も厭わない。

―――ああ、なんて愚かしい世界なんだろう。

内心で自嘲した、その矢先のことだった。


「導師…」


マントを纏った十人ほどの男たちが暗がりから現れる。マントの下に着込んだ鎧から、彼らが神託の盾の兵士だとわかった。
僕たちが立ち止まると、彼らは僕を睨み付けながら剣を抜いた。


(…本当に、預言に詠まれたとおりに現れるんだね)


―――来なければよかったのに。来なければ死ぬこともなかったのに…。
そう思いながら真っ直ぐ見据えていると、僕が怯んだと思ったのか真ん中の男が僕を睨みつけながら口を開いた。


「あなたと首席総長の企みは既に露呈しています。我々のもとに投降してください。今なら引き返せます」


僕は男の言葉に内心眉根を寄せた。


―――…引き返す? どこに?

どこにも居場所なんてないのに。


「あなた方のしていることは生命への冒涜だ…!なんとおぞましい!!」


―――お前たちが普段無意識でしている"僕"への行為は、冒涜とは言わないのかい?


僕だって人間なのに。


「導師のレプリカを作り出すなど…!」


その言葉に、後ろにいた他の守護役たちがヒュッと息を飲んだのが背中越しでもわかった。
それを聞いた瞬間、僕の中の何かが一気に冷めた。


(ああ…ガラクタガラクタ。ガラクタばかりだ…)


どいつもこいつも……預言に詠まれていると知れば僕の死を望むくせに…。
そうだ。このガラクタたちこそ、僕の代わりに死んでしまえばいい。どうせ死ぬんだから、いつ死んだって同じだよね。

目を細めるだけで何も言わない僕に痺れを切らしたのか、真ん中の男が地を蹴る。


(おまえらなんかに…全てを知ったと同時に自らの命の期限を知った、僕の気持ちがわかるのかい?)


続くように他の男たちも剣の切っ先を僕に向け駆けだした。

―――その時僕の視界が桃色で埋め尽くされた。直後その奥で銀色が閃き、僕の視界には男の険しい顔が映る。
アリエッタの小さな体は宙に浮き、鮮血が舞った。


(―――アリエッタ…!)


アリエッタが僕を庇ったのだと、一瞬停止していた思考が働き理解した刹那―――湧き上がってきた憎悪。
そしてそれに呼応するように、大気を動かし急速に僕の掌に集まる膨大な量の音素。

男たちがそれに気付いた時にはもう、アカシック・トーメントの譜陣は広がっていた。

そうしてしんと静まり返った闇の中、僕は俯いていた顔をそっと上げる。


(…僕のペットを殴っていいのは…僕だけだ)


目を細め、地面に音素を叩きつけた手を支えに立ち上がると、頬についていた生温かいものが伝って落ちる。…そんなのはどうでもいい。
―――アリエッタは。

あたりを見渡して、暗闇の中で綺麗な桃色の髪をみつけた。
少し離れたところに倒れているアリエッタの傍に駆け寄る。…息はしている。よかった…。

僕はアリエッタの傍に座り込んで、彼女の小さな体を抱きしめた。



* * *



朽葉色をした髪を後頭部で一つに結わえ、顎髭を生やした男が"預言に詠まれていた場所"へと駆け寄った。男は代々神託の盾騎士団の主席総長が纏う法衣を着て、大ぶりの剣を腰に差している。

―――神託の盾騎士団主席総長 ヴァン・グランツ。
器の広い武人の皮をかぶった、野心家である。

ヴァンが一歩踏み出せば、パシャンという、およそ晴れた日の石畳が鳴らす音とはかけ離れた音がした。
その音に男が暗い地面を見下ろした時、その中心部にいた白い塊が口を開いた。


「―――遅いよ。何してたの、ヴァン」


白い塊―――イオンはアリエッタを抱き抱え、治癒術をかけながら道端に座り込んでいた。ヴァンには目もくれず、視線はひたすらアリエッタに向けて。

その様子をヴァンは少しうろたえたように見下ろしていた。


「……イオン様。これは…、…この血は」


ヴァンが鎧に覆われた固いブーツを僅かに動かせば、小さな水音とともに暗い赤に光が映る。
それには変わらず視線を向けないまま、イオンはアリエッタの髪を優しく撫でた。


「ああ…こっちの守護役たちはヴァンの計画を知ったみたいだったから、ついでに始末したよ。……それよりヴァン」


手は未だアリエッタの頭を撫でたままだが、ようやくアリエッタに向けていた顔を上げたイオンは―――とても優しい、まるで平和を体現したような微笑みを浮かべていた。


「言い訳は?」


威圧感のある口調で放たれた言葉。
それを口にしたイオンの表情は、張り付いているような違和感も、表情筋のひきつりすらない、ひたすら穏やかな笑顔。

―――頬に返り血さえついていなければ、狂気など感じないような…、あまりにも優しすぎる笑顔に、ヴァンはひそかに肌を粟立てた。


「………申し訳…ございません」
「本当にね。今回のことは全面的に君の責任だよ。情報元…ちゃんと潰しておいてよね」


そう言ってアリエッタを抱き抱えて立ち上がろうとしたイオンを見、ヴァンはふらつくイオンの代わりにアリエッタを抱き抱えた。


「イオン様、お加減が優れないのですか? 顔色が悪いようですが…」
「…そうだね。猶予はあと1年を切っているんだから…そろそろ"導師"を完成させないと」


ヴァンはそう言って少し前を歩くイオンの小さくか細い背中を見つめた。
生まれつき病気がちなせいか、身に合わない長さの袖から覗く手首は細く、子供らしくなく骨ばっている。
元々幼すぎる頃に導師になったために、歴代の導師たちが纏った法衣を纏っても着られている感じが否めなかったが、最近は昔とは違った意味で法衣に着られているようにヴァンには見えた。

その理由は明確すぎる。


死期が近いのだ。


「…本日の夕刻、ディストが"三番目"の生成に入りました。明後日の夕刻までには完成するかと」
「そう…」

「導師イオン!お戻りになられたか!」


教会のある通りにさしかかった直後響いたしわがれた野太い声に、隣にいたイオンが一瞬だけ眉を顰めたのをヴァンは横目でとらえる。
立ち止まった二人の傍に、紫の法衣を纏った太った男が地を踏みならしながら駆けてきた。
その後に続いて先の男のものとよく似た法衣を纏った人の良さそうな男も駆けてくる。その奥にはヴァンの部下と思しき甲冑の兵士たちが控えていた。


「イオン様!ご無事でしたか…!」
「僕は大丈夫です、トリトハイム。それより、アリエッタが…」
「導師イオン!」


心配げに眉を下げた灰色の法衣の男…詠師トリトハイムとは対照的に、紫の法衣の男が怒鳴った。イオンは内心舌打ちをしながら、男を見上げた。
男は鼻息荒く憤っている様子で、イオンは相変わらず豚のようだと微笑みの下で毒づいた。


「どうかしましたか、モース」


微笑んだままそう尋ねれば、モースはますます鼻息を荒くし、唾を撒き散らす勢いで捲し立て始めた。


「グランコクマでピオニー九世陛下に声をかけたと聞いたぞ! また預言に詠まれぬ言動をしおったな! いい加減導師としての自覚を…!」
「モース」


普段より低い…変声期前の子供が出すには低く威圧を込めた声で僕はモースを遮った。
そして柔らかく微笑んだまま小さく首をかしげて見せる。


「おまえ、いつから導師より偉くなったのかな」


そう言ってしまえばモースはぐうの音も出ないだろう。
黙ったモースから目を背け、ヴァンの腕に抱えられたアリエッタに目を向けた。


「ヴァン、トリトハイム。アリエッタを医務室へお願いします」
「御意にございます」
「承知いたしました。イオン様はいかがなさいますか?」
「僕は…、少し…疲れてしまったので、今日はもう休みます」
「わかりました。マルセル、導師イオンをお送りしろ」
「はっ、了解いたしました!」
「ありがとうございます」


そう言ってイオンはヴァンが呼び寄せた護衛の兵士を伴って教会へと足を進める。
荘厳な雰囲気の教会にイオンの姿が消え、兵士たちが敬礼をして持ち場に戻ると、今まで黙っていたモースが悔しげに悪態をついた。


「ぐぬう…! せめて本物の導師さえ見つかれば…!」
「しかし大詠師モース…預言に詠まれた緑髪緑目の子供は、一人しか居なかったではありませんか」
「必ずどこかにいるはずなのだ…あの導師は所詮身代わりの出来損ないに過ぎん!」
「大詠師モース…!」
「ふん! まあ良い、さっさとアリエッタを運んでおけ」


モースはトリトハイムにそう言い捨て、どすどすと地を踏み鳴らしながら教会へ去っていった。
トリトハイムはそれを見送って溜め息を吐いた。


「…導師イオン。…イオンお嬢様。お可哀想に…」
「………」


小さな声で呟き哀しげに眉を下げたトリトハイムをヴァンは見下ろしていた。



――今から11年前、教団の最高機密が1つ増えた。

それはダアトに連れてこられたばかりの『イオン』と名付けられた赤ん坊が、預言から外れた存在であることだった。


―――ND2003 シャドウリデーカン・ローレライ・16の日、次代の導師となる者、マルクトに誕生す。其は緑夜の髪と瞳を持つ男児なり。名を『永劫の平和』と称す。彼の者、ローレライと同等の力を以て歴代の導師を凌駕するであろう―――

そう詠まれた赤ん坊を、ローレライ教団は血眼で探した。
ローレライと同等の力…それだけの第七音素を保有した人間がいれば、かつてユリアが詠んだ惑星預言を詠むことができる。…ユリアが隠した第七譜石の内容を、詠むことができる。

つまり、『永劫の平和』の誕生はユリア・ジュエの再来とも言えるのだ。
だからこそ、教団にまつわる者は皆総出を挙げて赤ん坊を探した。


―――…探したのだ。世界中を。

しかし世界のどこを探しても、緑夜の髪と瞳を持つ男児は、見つからなかった。
キムラスカまで捜索の範囲を広げたにも関わらず、黒に近い緑を示す古語である"緑夜"の髪はおろか、緑に分類できる髪の赤ん坊さえ見つけることはできなかった。

―――誕生とされる日から3ヶ月が過ぎた頃、マルクトの辺境の街の教会に所属する老いた預言士が、導師エベノスと詠師会の人間と謁見するためにローレライ教団本部を訪れた。

そしてその預言士はこう報告した―――『緑夜の髪と瞳を持つ女の赤ん坊が同日に誕生している』…と。

その報告を受けた詠師たちは騒然とした。そしてもう一度、同日生まれの子供を性別問わず探し直した。
…緑の髪を持っていたのは、その女児だけだった。


―――それが現導師イオンだ。


ダアトにつれてこられてから『洗礼』を受け、『永劫の平和』…イオンと名付けられ、男として育てられた彼女。
当然、対外的な性別は『男』とされ、詠師職以上の者にしかその事実は知らされていない。

ヴァンは哀れむ。
預言に縛られず生まれたにも関わらず、誰よりも預言に縛られる、被験者ながら"代用品"の導師を。
その"代用品"の代わりになる"代用品"のレプリカ達を。

――そこでヴァンは、今日完成する予定のレプリカの存在を思い出す。…すべては世界に劇薬を投げ入れるために――


「…そろそろ参りましょう、詠師トリトハイム」


思考に浸り足を止めるトリトハイムそう促して、ヴァンは歩きだした。





/ bkm /

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