序曲『ND2016』

01



―――物心ついたときには既に、両親はいなかった。


「ねえ、どうして僕にはお父さんもお母さんもいないの?」


だから訊ねてみても、周りの大人たちは口を噤むだけ。
本棚で壁を埋め尽くされた部屋に僕の声が響く。
大人たちは皆一様に僕に背を向けていた。


「ねえ、どうしてここには僕のほかに誰もいないの?」


しんと静まり返った部屋に"僕"の声が響く。


「ねえ、どうして?」


…いつのまにか、僕は幼い"僕"の目の前に立っていた。
きょとんとした、まだ世界の事を何一つとして知らない純粋な瞳が僕を見上げる。ああ、僕の瞳はこんなに明るい色をしてただろうか。覚えていない。


―――君は導師になるからだよ。

「どうして僕は導師になるの? どうして? ねえ、どうして?」

―――預言にそう記されているからだよ。君は特別なんだ。君はこの世界のすべてを知ることができるんだ。


………そう。僕は『この世界のすべて』を知ることができる人間だった。
何も知らなければ、シアワセに生きられたのかもしれない。
そう…預言さえなければ………。


―――さあ、詠んでごらん。何て書いてある?


掌に集めた第七音素を小さな石に翳して、僕はゆっくりと星の記憶を読み上げた。


『ND2016 シャドウリデーカン・シルフ・1の日、早朝―――導師イオンは12でその生涯を終え、硝子の回廊に眠る』


―――…こうしてまだ4歳だった僕は、すべてを知り、自分の命の期限を知った。



* * *



―――昔の夢を見た気がする。

重い目蓋を僅かに上げて、枕元にある小さな時計を見遣った。6時。…早く起きうかと今日からの"予定"を微睡む思考の中から引っ張り出すと、面倒事が待っていることを思い出して思わず舌打ちをし、寝返りを打って薄手の羽根布団を頭から被った。

アリエッタが起こしに来るまであと一時間…それまでに二度寝できれば今日の"予定"を回避できるだろう。
ヴァンや豚は僕がアリエッタ以外に起こされる気はないと知っているから起こしには来ないだろうけど、他のが来たら面倒だ…。

"導師イオン"が『預言通りの時間に』起きてくれないと彼らにとっては一大事なのだから。

―――くだらない、と小さく息を吐いた。
そして同時に薄く目を開ける。どうにも二度寝できるような気分じゃなさそうだ。
今日の"僕"は7時に起きる"予定"だったから、早く起きても問題ないか…そう思ってベッドに手をついて体を起こして―――目を見開いた。

壁にかかった時計の針は7時を指していた。

驚いて枕元の小さな時計を振り返ると、秒針は微動だにしていなかった。


(結局僕は"イオン"の預言通りの時間に起きてしまったのか…)


重い溜息をつきつつそう思いながらも、扉の外から僅かに聞こえてくる足音に舌打ちをしたくなったのを堪えた。

控えめで小さなノックの音。寝ている僕を起こしに来たのに、その僕を気遣うような音に、僕は自分の口許が緩むのを感じた。


「失礼します、…です」
「…おはよう、アリエッタ」
「イオン様…!おはようございます、です」


腰まで伸びた綺麗なピンクの髪を揺らして駆けてくるアリエッタをベッドの上で受け止めた。


「イオン様、今日は早起き…ですね」
「少し目が覚めちゃってね」
「…よかった……です」


そう言って微笑んだアリエッタに、僕の口許も僅かに緩んだ。

だけどこの穏やかな時間がいつまでも続くわけがなくて。
僕は今日も分刻みの公務を思って小さくため息をついた。耳のいいアリエッタはそんな小さな音さえ拾って僕を心配げに見上げる。その視線に「大丈夫だよ」と軽く微笑みを浮かべて返すと、アリエッタは白い頬を淡い赤に染めた。


「…今日は忙しくなりそうだけれど、大丈夫かい」
「はい! アリエッタ、頑張る…です」


そう言った彼女の頭を撫でると、アリエッタは嬉しそうにはにかんだ。



* * *



粛々と行われる儀式の最中、僕は微笑んでいた。
ふと、こうして大人しく"穏やかで慈愛に満ちた平和を体現したような微笑み"を浮かべていると、人形とそう変わらないなと思って、内心で自嘲した。

けれどそんなことを億尾にも出さず、僕はただ微笑みを浮かべ、最高位にある無駄に豪華なイスに座ってそこを見つめる。丁度、今日新たにマルクトの皇帝となるピオニー九世陛下の頭上に冠が戴かれたところだ。
金糸の髪に青と金を基調とした冠はよく映えている。グランコクマの滝を通った日の光が冠に反射して煌めいていた。

…カワイソウに。ケテルブルクの屋敷に軟禁され、愛した女性とは結ばれず、果ては『最後の皇帝』と詠まれているなんて。
憐れみは瞳に映さず、新たな皇帝の誕生に沸く愚民と哀れな皇帝を見下した。

ああ…誰も彼も、見渡す限りガラクタばかりだ。

預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言預言。

『スコア』としか言えないなら、声なんて枯らしてしまえばいいのに。


「導師イオン。祝辞の御言葉を…」
「はい」


手のひらくらいの大きさの音機関が僕の前に置かれ、僕は立ち上がって改めて民衆を見下ろした。
あらかじめ"詠まれて"いた祝辞を抑揚をつけて詠みあげる。
気持ち悪い情景の視線が矢の雨のように僕を蜂の巣にしていく。その間も微笑みを絶やさないで、"預言の奴隷"たちを見下し続けた。


「―――新たなるマルクト皇帝、ピオニー九世陛下に、ローレライとユリアの加護があらんことを」


僕は分厚い大嘘を舌先に並べ立て、顔面には精巧な仮面を貼りつけた。

沸きたつガラクタたち。僕の皮膚が粟立った。

ガラクタはガラクタらしく、壊れてしまえばいいのに。
遥か昔に交わされた約束など、叶いはしないのだから…。

誰も彼も、信じるものが壊れていく音を聞けばいい。
僕はその光景を見ることは叶わないだろうけれど――

僕から自由を奪った世界など、壊れてしまえばいい。





序章は基本的に外伝沿いです。



/ bkm /

clap

back

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -