預言の力

02



白が目に痛い院内を歩く。
手には昨晩リクエストを受けた小さなケーキの入った箱を持って。

…ベルケンド知事夫人御用達だとかいう店の、華やかなデザインの箱がまったく似合わないのは承知の上だ。
こんな姿、部下には絶対に見せられないと内心自嘲しながら、白い自動開閉扉音機関に手を触れた。

自動開閉扉の向こうにあるベッドの上に座って本を読んでいた被験者が、ボクに顔を向けて微笑んだ。


「おはよう、シンク」
「…おはよう」


…こうして「おはよう」と言うのも、二年ぶりだ。

白い入院服。細い身体。昨日整えたばかりの、ボクのものより癖が強く長い髪。前髪も切りそろえて、死ぬ前と同じ長さにした。
被験者は穏やかないつもの微笑みに嬉しそうな色を少しだけ混ぜて笑った。

医者から聞いていた通り、昨日や一昨日よりもずっと顔色がよくなっていて、少しだけ安心する。
どうやら回復が著しいらしく、もう2・3日あれば退院できるようにもなるらしい。…それはそれで不審だが、早く治ることに越したことはないから放っておく。


「頼まれてたの、買ってきたよ。レモンタルトとチョコレートケーキを2つずつ」
「本当に? ありがとう、シンク。一緒に食べよう」
「…ああ」


嬉しそうに微笑みながら、読んでいた本に栞を挿む被験者。
サイドテーブルに積まれた本の山は、左側が多く右側が少ない。…未読の本はもうあと数冊しか残っていないのか。昼食をとるついでに図書館に借りに行かないと行けないか…。

そんなことを考えながら、食事用のテーブルの上に備え付けの皿を出してケーキを載せる。
その間に被験者は、熱水音機関で沸かしたお湯をカップに注いで、紅茶を用意していた。


「シンクはレモンタルトが好きだね」
「…アンタだって、チョコレートケーキ好きでしょ」
「ふふ…そうだね」


被験者は昔から甘いものが好きで、よく公務の合間に食べていた。
…その影響かは知らないけど、ボクも甘いものは嫌いじゃない。一番好きなのは被験者の作ったレモンタルトだけど、他のも食べられなくはない。


「ん、美味しい。…なかなかだね」


機嫌良くケーキを食べる被験者をしばらく眺めてから、ボクも自分の分に手をつける。
フォークで簡単に切り分けて、レモンとメレンゲが乗った一切れを口に運ぶ。

まぁまぁ美味しいけど、被験者が作ったのには劣るね。


…暇ができたら、久しぶりに作ってもらおうか。
そのためには拠点を設ける必要があるけど、今まで教団から出された給料と被験者がボクに残してくれていた遺産がある。

……いまいち使い道がわからなくて全く手をつけてないから、どこに暮らすとしても、家の一つは買えるぐらいはあるはずだ。被験者の治療費を考えるとあまり贅沢はできないかもしれないけど…。

被験者はアリエッタも『愛してる』と言っていたし、アイツも一緒に来ることになるか。
養っていくためには何か仕事をしないと。兵士もボクの性に合ってると思うし、六神将の立場なら給金も見合ったものだし今のままでもいいと思うけど、それだと被験者が納得しないかもしれない。
被験者はダアトが大嫌いだから。

…何から始めるべきか。これからどうするかもまだ決まってないし、やらなきゃいけないことだって沢山ある。


考えているうちにレモンタルトを食べ終えてしまって、チョコレートケーキにフォークを差し入れた。被験者はまだのんびりチョコレートケーキを食べてるけど…。

…そういえば、ボクも被験者も好きなものは先に食べるタイプだっけ。
そんなどうでもいいことに思考を巡らせてると、ふとつい一週間ほど前までの忙しさを思い出して、血の臭いのしないこの場所で呑気にケーキなんて食べているのが嘘みたいだと思った。

そして手を止めて、窓の外に広がるひたすら青い空を仰いで、しみじみ思う。


――― ……平和すぎるくらい、平和だ。


「…ねえ、アンタさ、これからどうする気なわけ?」


顔を被験者に向けてそう切り出せば、被験者はチョコレートケーキを食べる手を止めて軽く眼を伏せた。

…睫毛、長い。その睫毛で緑夜の瞳に影を落とすような、伏し目がちな表情がよく似合うと思う。
………ボクは何を考えてるんだ。


「…アリエッタ」


すぐ傍にいるボクだから届くくらいの声量で、優しげな声色で、被験者がアリエッタの名前を呟いた。
…コイツからしたらあのやかましいのが一番大切なんだろうし。当然だと思う反面、心のどこかで暗い感情が蠢いた。


「あの子はどうしてるのかな。…どこかで泣いていなければいいけど…」
「…アンタの死後、アリエッタは六神将に入った。第三師団の師団長としてね」
「……」
「レムデーカンの中ごろ、ライガ・クイーンが死霊使いに殺された。アリエッタは復讐のためにアイツらを殺そうとしてる」
「………そう。お義母様が…」


…ライガ・クイーンを"お義母様"呼びなのがすごく気になる。だけど突っ込みたい気持ちと言葉を呑みこんで言葉を続けた。


「原因はチーグルがライガの住んでいた森を燃やしたことにある。アイツらが連れてたチーグルがその元凶らしい」
「…なるほどね。ソーサラーリングの力で仔供ながら火を操ったわけか。…それでライガが森に移り住み――何かの拍子に死霊使いと対峙することになった………」


そう続けた被験者。推測にしてはやけに詳しく、確信を持った言い方だ。


「……預言に詠まれてたの、それ」
「うん。…結局僕には何もできなかったけど」
「………」
「…でも…それなら尚更あの子は寂しがっているだろうね…」


そう言って一度目を伏せた被験者に、燻ぶるような感情を覚えた。二年前にも、被験者がアリエッタといるのを見て、こんな感覚になったことがある。
…たぶんこれが…嫉妬心、ってやつか。


「僕は早いところ、アリエッタと合流したいな。…長い間、一人にしてしまったから」


被験者は窓の外に視線を移して、小さな声で寂しがっているだろうし、と続けた。
ボクにはアンタが一番寂しがっているようにみえる、と言おうと思ってやめた。…ボクもあんまり人のこと、言えないしね。


「それとサフィールだね。僕の主治医だし、これ以上ヴァンに振り回されてやる謂われもないはずだ」
「ディストが、ね。アンタもよく放っとかないよ」
「長い付き合いだし、僕のトモダチだからね」


被験者がディストと出会ったのは4歳の時、だっけ。被験者の日記に毎日のように書かれてたし、ボクが生まれた時から親しかったし。…本当に友達なのかは知らないけどさ。

……ディストはボクの知らない頃の被験者を知ってるんだと思うと、むかつく。


「ま、サフィールは平気かな。しぶといし」
「しぶといって…」
「サフィールはいいけど、やっぱりアリエッタが心配だな……」
「…じゃ、まずはアリエッタ捜索でいいんだね」
「そうだね。サフィールは早いうちに見つけられればいいかな」


…相っ変わらずのアリエッタ至上主義。
………相変わらずすぎて、ちょっとむかついた。

……そう、むかついたからだ。

ベッドに座る被験者に歩み寄る。不思議そうに見上げてきた被験者を見下ろして、少し腰を折って腕を伸ばした。


「……おや、珍しい。もしかして…嫉妬かな」
「うるさい」


そう言って心なしか死ぬ前よりも細い体躯をと抱きしめて肩に顔を埋める。
するとそっと背中に手が回され、ボクの髪に頬をすり寄せるように小さく首を傾げてきた。


「ふふ、甘えてるの…?」


目を閉じて耳を傾ければ、相変わらず不規則な鼓動が聴こえる。背中を撫でられて、ボクは小さく息を吐いた。


(……生きてる。ボクも、被験者も)


死を覚悟してタルタロスに潜入したのに、どうしてか死んだはずの被験者と病院でのんびりしている。
今まで歩んできた血に濡れた道程を思い返してみると、いっそ現実味が無くて、これが夢なんじゃないかとさえ思うくらいで――


「それとも…不安なの?」


……そう言われて、ストンとその言葉が心に落ち着いた。

被験者が死ぬ半月くらい前には、被験者は急な発作や薬の副作用のせいで、一人では立って歩けないほどになっていた。そんな被験者の世話を焼いていたのは、同じ部屋で暮らしていたボクだ。

任務や演習で外出しない限りは、被験者の傍にいて、話をしたり、本の入れ替えの手伝いをしたり、料理を作って振る舞ったり――。

――ああ、そうか。


「…そう、かもしれない」


…ボクはもう一度コイツを喪うのが恐いんだ。


「けど」


だとしたら、1つだけはっきりした。
ボクの大切なもの。ボクが護りたいもの。ボクが居たい場所。


「アンタはボクが護る。…もう二度と、先に逝かせない」


ボクは被験者を抱く腕に力を込めて、強く抱きしめた。
もう二度と、絶対に離すことがないように。





/ bkm /

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