アルビオールが地核から発進し、たぶんもう眺める機会はないだろう窓の外の不可思議な景色を眺めていると、バルフォア博士に「シンクはとにかく、被験者イオン様は長旅でお疲れでしょうし、下の階で休んでいてはいかがでしょうか」と…まあ、厄介払いされた。
なにか僕たちには聞かれたくないことでも話すんだろう。
疲れてるのは事実だったし、素直に「ありがとう、そうさせていただきます」と微笑んで、シンクの手を引いて階下に降りた。
このアルビオールとかいうでかい音機関、驚いたことに二階建てらしい。操縦席があるのが二階で、簡易キッチンなんかがあるのが今僕たちがいる一階。
そういえば第六譜石の終わりの方に古代の飛行譜石が発掘されるとか何とか詠まれていたのを思い出した。シェリダンで研究・開発されるとかあったから、その技術の結晶がこの音機関なのだと思う。
「…座れば? それともいつまでも立ってる気?」
「そうだね。ありがとう、シンク」
「………」
嫌味はさっくり聞き流して、壁に背を預けて座る。同じようにシンクも隣に座り込んだ。
隣に座るときは、いつも拳二つ分のスペースを空けて――。
…やっぱり変わってない。シンクはシンクだ。
「……で、アンタ、何で生きてるわけ?」
「それは僕が知りたいね。僕、何で生きてるの?」
「ボクに聞き返さないでくれる…」
まあ聞かれて当然の質問だね。二年前に死んだはずの『被験者』が、どうしてかこんな地核の底に表れて自分の手を取って。そんなの信じられないだろうね。僕だって信じない。
だけど、それは僕だって同じこと。僕だって死んだはずなのに何故こんなところにいるのか知らないし、そんなの僕が知りたい。だから思ったまま問い返してやる。
予想通り呆れたような溜息をついたシンクに、僕はクスリと笑った。
「何笑ってんのさ」
「いや。シンクがシンクであってくれて嬉しいよ」
「………」
――だって、こんな風に呆れを隠さない溜息をつくなんて、あの『七番目』ではできないだろ?
あのレプリカは、人がよさそうというか頭悪そうというか脅しやすそうというか騙しやすそうというか。
…いや、というか、事実騙されている。
人はそれを「穏やかで優しい導師様」だと敬うかもしれないけど、僕はそんなものを傍に置いておきたくはない。
(…あれのことはどうでもいいか)
そう思考を隅に追いやって、複雑そうな色をした瞳で僕を見るシンクに微笑みかけると、シンクは顔をそらしてしまった。
その表情は不機嫌というか、つらいのを隠そうとしているというか。あるいはそのどちらも。そんな顔だ。
…しょうがないのかもしれないね。複雑なのは。
僕はどうしてか穏やかな気持ちでいられるけど、普通はそう簡単に気持ちを整理することはできない。
す、と軽く息を吸い込んで、僕は口を開いた。
「僕にとってはつい七日ほど前の別れだけど、お前にとっては二年前の別れだったんだね」
「………アンタには、全部お見通しなんだね」
「そんなことないさ。現に、こんなことになるなんて思ってもみなかった」
「……………」
シンクが黙って僕を見つめたと思ったら、いきなり首筋に指を触れてきた。冷たい指先につい肩が跳ねる。
「ゃ…っ、冷たいんだけど…」
「黙ってて」
ついでにいうとくすぐったい。
そう言うとシンクはもう一度黙っててよと言って、顔を近づけて僕の瞳を覗き込む。
…つい驚いて目を見開いて瞬いてしまったけど、シンクは手を首から僕の手首にうつしている途中だったから、たぶん気付かれていないと思う。…けど……。
……それにしても、これは無意識か。僕が動いたらくっついちゃいそうな距離なんだけどな。
それからというもの、首で脈を測って、瞳孔を覗き込んで、手首の脈を測って。それを何回も繰り返すものだから僕もさすがに飽きてきて、小さく息を吐いてからシンクに少し顔を近づけた。
「シンク? 死亡確認したって僕が生きてるのには変わりないんだけど」
「……ッ!」
シンクは今更この距離に驚いて飛びのいた。
…可愛いなあ。そう思ってクスクス笑いながらほんのり頬を赤くしたシンクを見ていると、シンクが少し悔しそうな顔をした後に、フッと真面目な表情になった。
その鋭い眼光は、"少し前"…いや、"二年前"とは違っていて、時間と成長を感じさせた。
「…ホントにアンタ、生きてるんだね」
じっと僕を見つめる翠の瞳を見つめ返す。…その中に映ってるのが僕だけなのが、少し嬉しい。
不安なのか、信じられないのか、僅かに揺れる瞳に目を細める。…ああ、やっぱり僕と同じ…寂しい思いさせてきちゃったかな。
どうしてかわからないけれど、僕は確かに生きている。
夢なのかもしれない。もしかしたら、本当は二年なんて経っていなくて、僕はまだ死ぬ前の幻影でも見ているのかもしれない。
それでも―――
「僕は生きてるよ。ここにいる」
生命。生きること。
その象徴である心臓の鼓動をたしかめさせるように、僕はシンクの手をとって、僕自身の左胸に当てた。
「……あばら骨浮いてるんだけど」
「…うるさいな」
返ってきた皮肉に、ぱっと手を離してそっぽを向いた。
……人が気にしてることを。
そう思っていると、少しシンクの雰囲気が柔らかくなって、僕の手を引き寄せて、僕がさっきしたように軽く握りしめた。
暖かい。
失ったはずの、もう二度と得ることがなかったはずのぬくもりを握りしめる。シンクが隣にいる。…僕は、生きている。
それがどうしようもなく嬉しくて、自然と口元が緩むのがわかる。
僕は目を伏せて口を開いた。
「……ねえ、シンク。僕、気付けたんだよ」
「何に?」
「僕は寂しかったんだ。そして悲しかった。生きたいと思った」
「………」
「最期に、泣いたんだよ。最期までお前たちと一緒にいれないのが寂しくて、悲しくて。…同時に、もうひとつ理解したんだ」
そう区切って見上げた、不思議そうな色を浮かべた瞳を覗き込んで、僕は笑った。
「僕はアリエッタとシンクを愛してる。一緒に生きたい」
「……ッ!」
――ああ、なんというか。
僕はようやく解放された気がする。何からか…と聞かれれば、きっとそれは、死ぬように生きた人生から。
生き抜いたとも到底言えない死を迎えて。
その死の淵から、何の因果か抜け出して。
ようやく僕は生まれ、人としての道を歩ける。
「ふふ」
「なに、笑ってんのさ」
「ううん…」
小さく笑いながら、なんでもない、と続けようとしたところで、コツコツと軍靴を鳴らす音がして口を噤んだ。
「お話中申し訳ありません。あなた方のお話をお伺いしたいので、こちらへ来ていただきたいのですが。…特に、」
軍靴の主、バルフォア博士は相変わらずおちゃらけた口調で表向きの要件を述べ、言葉を切る。
そこで一旦ブリッジを押し上げ、眼鏡を逆光で光らせた。
「被験者イオン様。あなたにはお聞きしたいことがあります」
「……ふふ。いいですよ。参りましょう」
先に立ちあがったシンクに手を差しのべられて、それを支えに立ちあがる。
両手ともポケットの中に突っ込んで、何を考えているのか読み取らせない笑顔を浮かべているバルフォア博士。僕が導師だったら不敬罪にしてやるところだ。
まあ、何を考えているかはなんとなく想像つくし、どう出し抜いて行くか考えないとね。
…全く、面倒な人だ。