ローレライはかく語りき

03



「まったくもってその通りだね」


―――突如天から降ってきた、穏やかで優しい辛辣な声。

弾かれたように真上を見上げたルークは、以前自分達が通ったことのあるアーチから飛び降りる黒い影を見た。
ジェイドが警戒して槍を出現させる。それに倣うようにガイが剣に手をかける。

影はそんな様子を気にも止めず、イオンとシンクの間に着地した。

その拍子に纏っていた黒いローブがぱさりと甲板に落ち、その髪が、顔が露になった。
華奢な肩を隠すように背まで伸びた暗い深緑の髪が白いワンピース状のローブに映える。
その裾から覗く手足は細く、病的な程に白い。
顔は長く伸びた前髪で隠れているが、その口許は穏やかな笑みを浮かべていた。


「「…被験者」」


二人のレプリカが同時に呟いた。
はっと息を飲む音は一体誰のものだったのか。
かつて"イオン"と呼ばれていた『被験者』は『七番目』たちに背を向けて、シンクと向かい合ったまま口を開いた。


「シンク。お前、なに僕の許可もなく死のうとしてるの?」

「…は?」


穏やかな声色にのせて放たれた傲慢極まりない第一声に、ルークが間抜けな声を出した。
ルークたちからはその表情は窺えない。被験者がどんな人柄なのかを知らないので想像することもできないが――無意識下で普段行動を共にしている『イオン』のような穏やかな表情を思い浮かべている。…『イオン』とジェイドを除いて。

『イオン』のすぐ傍にいたアニスが、隣にいる『イオン』の様子がおかしいことに気がついた。
シンクに伸ばそうとしていた手を握りしめ、その手は…否、手だけではなく体さえも震えている。目を丸くして『被験者』を凝視するその顔色は普段の数倍青く見える。


「イオン様…?」


アニスが声をかけても気づいたような様子はない。…いや、気づいてはいても、今の彼にはアニスに応える余裕はないのだろう。


(そんな…まさか……)
「…被験者…アンタ、……」


『七番目』と同じように目を丸くしているシンクがまるで亡霊でも見たかのような顔で呟く。僅かな沈黙の後に少し震える唇を開いた。


(死んだはずでは…)
「死んだはずじゃ…」


自らのレプリカたちが混乱しているのを知ってか知らずか、『被験者』は笑う。


「死んだよ。けど、僕はここにいる」


そう言いながらシンクへ近付く『被験者』が、シンクのすぐ傍に転がった仮面を拾い上げた。


「僕は生きるよ。…お前はどうする? 僕と一緒に生きるか…それとも、ただの『五番目』に成り下がるかい?」


手の上で仮面を弄びながら『被験者』が淡々と問いかける。その口許は笑んだままに、髪の奥の眼差しはまっすぐとシンクを見ていた。


「選びなよ」


『被験者』はそう言ってシンクに手を差し伸べた。

――シンクは差し伸べられた手を見つめる。あの日と似た状況だ、なんて頭のどこか片隅で考えながら。


「……ボクは…」


"ボク"は。…自分は、どうしたいのか。


"イオン"は生前、いつも言っていた。実力のない人間は、自分の足で歩けない人間は嫌いだ、と。
その言葉を受けてか、いつからかシンクはいつも自分で考えて行動するようになっていた。

――けどもし、被験者がボクを拾っていなかったら。
シンクは他のレプリカたちと一緒にザレッホ火山の火口に投げ捨てられ、死んでいただろう。もしくはヴァンに利用されるために生かされたか――
どちらにせよ、シンクは死んでいるのと同じ状態になっていただろう。

それを変えたのは…最も早く劣化品と見なされ、廃棄が決まっていたシンクを助け、育てたのは、『被験者』だ。

――『被験者』がいなければ、自分はもっと愚かしい、空虚な生を受けていたかもしれない。
…そう思うと、氷が溶けるようにシンクの心の中の"何か"がなくなっていく気がした。


(……思いだした)


ゆっくりと動き出す秒針。二年前に針を止めたままだった時間が、ようやく動き出した。

"ボク"がどうしたいか。…もう答えは出ている。


(ボクは、護りたかったんだ)


被験者が死んで必要とされなくなったシンクと、被験者が死んだことで必要とされた『七番目』。
護りたかったものを失って空っぽになった心。
それを埋めたのは、被験者を殺した預言と、自分と被験者の居場所を奪ったイオンへの憎しみだった。

だが――― どういうことか、被験者はここにいる。
そして一緒に生きようと、再び手を差し伸べてくれた。

――ふとシンクは、『被験者』が最期の1ヶ月の中で言っていた『もしもの話』を思い出した。
…もしも、預言に抗って生きていることができたら――その続きを思い出した時、シンクは、答えを出すのを妨げていた、自分の中のちっぽけなプライドを捨てた。


「…生きたい」


――自分の中の望みは、口に出して言ってしまえば楽になれるものだ。

生きたいと願って『被験者』の手を取ったシンクの瞳を見て、『被験者』は笑みを深くした。
そして無詠唱で治癒術を発動させ、先の戦いでボロボロになっていたシンクの傷を癒す。詠唱も口にせず一瞬で怪我を治した『被験者』に、ティアが驚き目を見開いた。


「さて――取り引きをしましょう」


まるで『七番目』のような優しく穏やかな微笑みを浮かべた『被験者』は、シンクの手を握ったまま振り返る。
『被験者』の言った『取り引き』という言葉に、ジェイドが眼鏡のブリッジを押し上げた。


「僕はこの譜陣を元通りにできる譜術を知っています。僕が譜陣を直しますので、僕たちも外郭大地に連れていってほしいんです」

「…どうする、ジェイド?」


あくまで微笑みを浮かべたままで放たれた言葉に、固い声色のルークがジェイドを振り返った。
ジェイドは普段の冗談めかした様子ではなく、無表情に真剣な声色で問う。


「断った場合は?」
「すみませんが、遺体は遺せません…」
「ふむ。数的には我々が有利なのですがねぇ」
「ふふ。冗談がお上手なんですね」


そう返して、普段よく見慣れた微笑みを浮かべた『被験者』に、『七番目』は俯いた。
その傍をシンクの手を握ったまま『被験者』が通り過ぎる。…『七番目』には視線もやらずに。


「時間がないのではないですか?」


ルークたちが立つ場所の手前まで行き、『被験者』はそう言ってジェイドを見上げた。シンクは黙って手を握られたままだ。
しばらくの沈黙の後、ジェイドはため息をついて肩を竦めてみせた。


「仕方ありませんねぇ。手短にお願いしますよ〜?」
「―――」


『被験者』は返事をするまでもなく振り返り、甲板に描かれた譜陣の上に掌をかざす。小さく何かを唱えると、途切れた譜陣の端から光が走り、譜陣が再び淡く光った。
一瞬で元通りになった譜陣にルークたちが目を丸くしたのを視界に入れながら、『被験者』は振り返った。


「終わりましたよ」
「…これはこれは」


考えの読み取れない笑顔を浮かべたジェイドに、『被験者』はそれに応えるように目を細めた。


「行きましょう。脱出はあの大きな音機関ですよね?」
「…ええ。もう時間がありません、我々も脱出しましょう。…アニース、イオン様をお願いしますよ?」
「はい、大佐。行きましょう、イオン様」
「…ぁ…は、はい…」


『イオン』はアニスに腕を引かれ、ようやく我に返ったといった様子で大きな譜業に――アルビオールに足を進める。
その顔色が青いままだったので、ルークは心配げに顔を歪ませた。
被験者とレプリカ。その関係は簡単ではないことをルークは身をもって知っている。

…けど今は脱出が最優先だと、そう思った直後、――ルークを頭痛が襲った。





/ bkm /

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