序曲『ND2016』

06



ND2016 イフリートデーカン・イフリート・10の日。

――― 僕が死ぬまで 残り、二ヶ月。


半年ほど前、シンクもカンタビレの推薦と言う形で第五師団に入団し、先日奏手に昇進したと話してくれたから、外での生活も順調にいっているのだろう。

…ただ、最初に所属した隊で「導師をお守りしたくらいで贔屓されて」などと謂われない中傷を受けたようで(元々第五師団の師団長はあまり贔屓したりしない人だ)、少しスレてしまった。
もしかしたら反抗期に入ったのかもしれないけど、口調も皮肉っぽくなって、あんまり笑ってくれなくなってしまった。

それを受けてもちろん僕はシンクをなじったやつを遠方での任務に出した。ロニール雪山は活火山があって温暖なダアトと比べればさぞ寒いだろう。


"導師"のレプリカの方はと言えば、最終的に譜術力の高い『六番目』と『七番目』が残った。
僕は『六番目』を気に入っていたから『六番目』を導師にと推したけれど、モースとヴァンは扱いやすそうな『七番目』を推したらしい。

…結局、『六番目』は精神値と感情値に問題があったせいで『七番目』が導師に据えられることになったようで、『六番目』は廃棄部屋に送られることになったみたいだ。
それからレプリカに興味がなくなったので、僕は『その他』のその後のことは聞いていない。まぁ、もし万が一『七番目』が死んだら困るし、"廃棄部屋"で死なない程度に飼われているだろうけど。


『七番目』は僕がダアト式譜術の実践を教えた時に会っただけだから、どうしているかは今目を通している定期報告の書類でしか知らない。どこかで知識を詰め込まれてるんじゃないだろうか。


二ヶ月ほど前から僕と『七番目』のすり替え実験が始まった。…同じころから明確に発現してきた僕の病気が重くなっていくにつれ、徐々に僕が表に出る日は減っている。
今日は偶然、『七番目』が音機関での調整を受けているようで、僕が表にいるのだけれど…。


ふと小さな息遣いが聞こえて、僕は顔を上げた。
僅かに開いた扉の向こうで慌てたように小さく息を飲んだ音に微笑んで、小さく首を横に振り手招きをした。
そろりとさっきよりもドアを開けて部屋に顔を出し、それでも少し怯えたようにきょろきょろとあたりを見渡すアリエッタに、僕は微笑んだまま口を開いた。


「……おいで、アリエッタ」
「…!」


そう呼べば、アリエッタは堪えきれないというようにその場から駆けだして、僕のいるベッドに飛び込むようにしがみついた。


「イオン様! お体……大丈夫ですか?」


……本当のことは言えないけれど、嘘もつきたくない。

ちゃんと答えてやれないのを心苦しく思いながら、僕は「久しぶりだね、アリエッタ」といつものように微笑みかけた。
途端に目を潤ませ頬を淡い赤に染めて笑顔になったアリエッタを見て、僕は無意識にアリエッタの頭を撫でていた。


「今日は、いつものイオン様ですね」
「え?」
「この間は…なんだか違う人みたい……でした。嫌われちゃったかと思って……アリエッタ、寂しかった」


しゅん、と俯くアリエッタに、僕は内心で『七番目』に悪態をついた。
―――あの劣化品。僕のアリエッタに冷たく接したの? …後でヴァンに言いつけておこう。

それにしても、相変わらずアリエッタは鋭い。
『違う人みたい』、か。

アリエッタは…僕がいなくなったら、気付いてくれるだろうか。気付かれないための"調整"をしている僕がそんなことを思うなんて、おかしいのかもしれないけれど。

アリエッタのさらさらとした髪を梳くように撫でながら、僕は目を細める。


「…そう。ごめんね、アリエッタ。でも僕が君を嫌うなんて絶対にないよ」


不思議そうな顔をして僕を見上げる綺麗な桃色の瞳に、僕はまっすぐにアリエッタを見つめた。


「君は僕の…、……僕だけの導師守護役なんだから…」


…もうすぐ"僕だけのもの"なんてなくなってしまう。
地位も、名前も、居場所も…全て『七番目』のものになるんだから。
預言に囚われないレプリカに、僕のアリエッタは渡してやらない。

そう―――君は何も知らなくていい。僕が死んだと知ったら、きっと君は自ら命を絶ってしまうだろうから…。

それが僕から君への、最期の慰みだよ。



* * *



「―――ぅッ」

息が苦しい、胸が痛い。
丁度取ろうとしていた本を手から取り落とし、部屋の本棚に片手をつく。服の胸元を握りしめるように掴み、痛みに耐える。
…薬はベッドのそばにある。けど、痛みで足が動かない。

痛みは治まらず、呼吸しづらくなり立っていられなくなって、僕は床に崩れ落ちた。


「イオン…!」


その時焦ったような声がして、背中に手が当てられ支え起こされた。霞む視界に、心配げに細められた綺麗な翠の瞳が映った。
シンク、と呼びかけたつもりだったけど、痛みと苦しみのせいで声は出なかったらしい。
不器用に優しく背中を擦る手が暖かくて、なんだか泣いてしまいそうな気分になった。


「…ほら、薬」
「ぅ……」


シンクに渡された薬を口に放り込んだ。相変わらずくそまずい。
それにしても…もしもの時のためにと持たせておいたのが正解だったみたいだ。そうでなければただでさえ残り少ない寿命が縮まっていたかもしれない。
息は荒いままにそう考えていると、シンクが小さな声で大丈夫、と呟いたので、僕はもう一度顔を上げてシンクを見上げた。


「シ、ンク…すまない、ね……」
「馬鹿、喋んないでよ」


そう言って背中を撫でてから、そっと抱きあげられてベッドに壊れものでも扱うみたいにそっと下ろされた。そんな易々と壊れやしないのに。
不満を言ってやろうと思ってベッドの傍に立つシンクを見上げたら、シンクは少しだけ泣きそうな顔をしていて、何も言えなくなって開きかけていた口を閉じた。


「……アンタ、軽くなったね」
「それ、女の子に言ったら喜ぶよ」
「アンタだって女だろ」
「僕は別だよ」


そう言って笑うと、シンクはもっと表情を曇らせた。
本当に表情豊かな子だ。…僕とは大違い。


「それで、どうかしたの? 今日は帰ってくるのが随分早かったね」
「………これ」


少し顔をそらしながら手渡されたのは、綺麗な青色の花弁を持った一輪の花だった。


「…! 花…どうして…?」
「前に見たいって言ってたし…それに、病気の人間には渡すのが一般的だって…。…だから、お見舞い」


誰から聞いたのか、照れたように少し顔をそむけて腕を組んで。その視線が少し床に向いてるのが、照れた時の仕草だと僕は知っている。

シンクがプレゼントしてくれた青い花は、真ん中の方が白くて、花弁は空の色をそのまま映したような綺麗な空色。
ずっと手に持って帰って来たのか、少ししなっとしていたりするけれど。
それでも、今までもらったことのあるどんな高価なものよりも嬉しかった。ふわっと体が軽くなるような、高揚した気持ちになるのが自分でもわかって、心臓がどくどくと音を立てるのが聞こえた。


「う、」
「! ちょっと、イオン!大丈夫?」
「ぅ、嬉しすぎて、動悸が…」
「!! ば、馬鹿じゃないの?!そんなことで死にかけないでよね!!」


もらった花を落とさないように、そっと掌の上に載せる。もう片方の手は、動悸を鎮めるように左胸の上に乗せた。


「ありがとう、シンク。嬉しいよ」
「………別に」
「けど、枯らしてしまうのがもったいないな…。…押し花にして、栞を作ろうかな」
「…押し花って?」
「分厚い本の間に花を挟んで、花の外形を保たせて保存する方法だよ。手紙に添えたり、栞にしたりするんだ。思い出を保存する手法、ってところかな」
「へえ…」
「けど、もう少し飾っておくよ。折角のプレゼントだからね。シンク、使っていないコップに水を入れて持ってきてくれるかい?」


わかった、と言って階下にある簡易キッチンに向かおうとしていたシンクが、ふと振り返った。


「……イオン」
「ん…?」
「…その花、沢山咲いてたからさ」
「………」
「だから…いつか、見せてあげる」
「…ふふ。ありがとう。約束だよ?」


…そう、きっと叶うことのない約束をして。

その日から、僕の部屋には綺麗な青い花が咲いた。





文章中に出てきた花はネモフィラ、またの名を瑠璃唐草。花言葉は「他人思い」。とある青いネモフィラの花畑の写真が美しいこと美しいこと…。



/ bkm /

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