自分達以外に誰も居ない、放課後の教室。
窓の外、グラウンドから運動部の生徒達の声が響いてくる中、円堂は机に突っ伏してすやすやと眠っている。
その顔の下には数学のプリントが1枚下敷きになっているが、数問解かれただけで、後は全くの手付かずの状態だった。


(…よく寝てるな)


授業中居眠りをした罰として居残りを命じられた円堂と、同じサッカー部だからという理由で目付け役に任命された俺が、教室に残ってからおよそ30分。
初めは真面目にプリントと向き合っていた円堂だったが、あれだけ爆睡していたにも関わらず、どうやらまだ寝足りなかったらしい。
早々に舟を漕ぎ出しかと思えば、居残り開始の10分後には、本格的に眠り始めたのだ。
余りの寝付きの良さに、呆れを通り越して感心する。


「……」


横顔を、向かい合わせに座った席から眺める。
連日の特訓のせいで疲れているのだろう。
薄く開いた唇は、すぅすぅと寝息を零していた。
しん、とした教室で聞こえる小さな呼吸音は、緩やかに鼓膜を震わせる。
それに合わせて穏やかに上下する肩に目を遣ってから、視線を円堂の横顔に戻した。
ふっくらと丸みを帯びた輪郭が、無邪気であどけない寝顔を、より一層幼く見せる。
こんな幼い寝顔をした奴が、GKとして、そしてキャプテンとして、雷門の最後の砦とチームメイト全員を背負って立っているなんて、円堂を知らない奴がそれを知ったなら、きっと驚くのだろう。
そんな事を考えていたら、思わず口許が緩んだ。
眼下に納まっている円堂は、夢でも見ているのか、閉じられた瞼を縁取る睫毛を時折ぴくりと震わせている。
普段、これ程近くで見る事のない円堂の姿が新鮮で、何だかくすぐったいような不思議な感覚が、胸に込み上げた。


(…−、そろそろ起こさないとまずいか)


何とも言えない感情をやり過ごし、教室の壁掛け時計に目を遣る。
いい加減起こしてプリントの問題を片付けさせなければいけないと思い、円堂の肩に手を伸ばした。
あまりにも気持ち良さそうに眠っているのを起こすのは忍びなかったが、このままでは、部活動の時間が潰れてしまう。
…本音を言えば、無防備なこの寝顔を、まだ見ていたい気持ちもあったけれど。


「おい、円堂」


「…ぅー…」


見た目よりも細い肩を掴んで、軽く揺する。
けれど、余程寝入っているのか、円堂は小さく唸っただけで目を覚ます事は無かった。


「…はぁ、」


軽く溜め息を吐いて、もう一度肩を揺すった。
瞬間、


「…!」


指先が、円堂の首筋に触れた。
一瞬ではあったが、思いの外感じた温もりと感触に驚き、肩を掴んでいた手を離す。
不純な思いで意図的に触れた訳でもないのに、何故か、罪悪感に似た感情が沸き上がった。
それは、目の前の人物に対して不純な想いを抱いていると自覚している分、強くなる。
けれど、


(…温かかったな…)


一瞬でも確かに感じた温もりは、驚く程心地良くて。
宙に浮いていた手は、ゆっくり円堂の方へ降りていく。


「……−、」


少し位なら、良いだろう。
そう開き直って、そろそろと伸ばした手で、円堂の頬に触れる。
見た目の通り柔らかな感触が、肌越しなのももどかしい程の熱と一緒に伝わって来た。
こうして、意図を持って堂々と円堂に触れる事が許されるのなら、どれだけ幸せだろうか。
指の腹で輪郭をなぞりながら、眠っている相手にしか触れられない自分は、随分臆病だと、自嘲した。


「……、」


指先が滑らかな肌の上を滑り、上唇に辿り着く。
ふにゃりとしたそれは温かく、手よりももっと薄い皮膚越しに、例えば、唇で直に触れたなら、どんな感触なのだろうか。


(…円堂…、)


円堂の唇から目が離せない。
そして、そのまま吸い寄せられたかのように、顔が近付いていく。
円堂の唇との距離が徐々に狭まっていた、その時、


「!?」


廊下から誰かの足音が聞こえてきて、我に返った。
慌てて円堂から離れて、赤くなっているであろう顔を手で覆い隠す。
足音は、俺達の教室の前を通り過ぎ、隣の教室で止まった。


(俺は、)


今、円堂に何をしようとしていたのか。
自覚した途端顔が熱くなり、居ても立ってもいられなくなった。


「……ッ」


頭を冷やさなければ。
そう思い席を立つ。
椅子の脚に自分の足が当たって、がたん、と大きな音を立てたけれど、気にする余裕なんて無い。
焦りに背中を押されながら教室を出た。
とにかく、一刻も早く冷静になりたくて、意味もなく廊下を早歩きで歩く。
窓が開け放たれた廊下は、風が吹き込んで爽やかな空気で満たされている。
けれど、頬の熱さは、中々冷めそうになかった。




*****




「……」


豪炎寺の気配が遠ざかって、教室を出ていったのを薄目で確認してから、瞼を開ける。
机に預けていた上半身を起こして、背筋を伸ばした後、椅子の背もたれに背中を預けた。

(…豪炎寺、)


豪炎寺は、オレがずっと寝ていると思っていたみたいだけど、本当は、肩を揺すられた辺りから、目は覚めていた。
すぐに起きなかった理由は、居眠りで居残りをする羽目になったのに、それでも懲りずに寝てしまったオレを、豪炎寺が呆れた目で見てるんじゃないかと思って、起き上がるのが恥ずかしくなったせいだ。
後は、予想外の事が起きて、びっくりしたから。
その、予想外の事っていうのは、


(何でこんなトコ…触ったんだろ)


豪炎寺が、頬っぺたと唇に触った事。


(…ここと、ここ、)


指先で、豪炎寺が触った所をなぞる。
そこだけやけに熱い気がして、少し指が震えた。
どうして豪炎寺が俺に触れたのかは、分からない。
だけど、豪炎寺の指先が俺の頬っぺたにから唇に滑っていった時、意味もなく身体が震えそうになるのを抑えるのに精一杯だった。


「……」


どうしてそう感じたのかも分からなかった。
だけど、背中に電気が走ったみたいになったのに、少しも嫌じゃなかった。


(…どきどき、してる…)


唇から指を離して、手の平を胸の上に押し当てた。
走った後みたいに弾んでいる心臓のどきどきが、強く伝わってくる。
どくん、どくん、と一回ごとに顔の熱が上がるような気がして、息を吐いた。


(…オレより、少し冷たかった)


豪炎寺の指先の温度と、触れた感触を思い出す。
優しく頬っぺたをなぞられて、唇を柔らかく押された感覚が、ずっと残っているような気がした。
触られた時、びっくりはしたけど、不快じゃなかった。
むしろ、


(もっと、触られても…)


良かったのに。
と、そう思ったすぐ後、自分の考えの意味に気付いた。


(…もっと触られても、良かった、って…、……〜ッ!!)


ぶわぁ、って、訳のわからない恥ずかしさが一気に込み上げて、顔だけじゃなく耳まで熱くなった。
心臓も、さっき以上にどきどきし始めて、もう、苦しい位になっている。


「…何なんだよぉ…!」


オレ以外誰も居ない教室に、情けない声が響く。
堪え切れなくなって、机に突っ伏した。
その時、ちらっとプリントの問題が見えたけど、解く余裕なんて、どこにもない。
頭の中は、パンク寸前だった。


(マジで、どうしたら良いんだよ…!)


豪炎寺が教室に帰って来た時、どんな顔をしていれば良いのか。
プリントの問題よりも難しい問題に、頭を抱える。


「…豪炎寺の、ばかやろ…」


窓から吹く風が、カーテンをふわふわ揺らしている。
だけど、それだけじゃ、上がりっ放しの頬っぺたと唇の熱を下げるには、全然足りそうになかった。


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ぶるぶるぶる…(鳥肌)
「二人静の花言葉」葵さんから相互記念という名の神小説!頂いてしまいました…!!!
わぁああああ!どうしようどうしよう…!素敵すぎて鳥肌が…!
お互い好き同士で、絶対両思いなのに、意識しちゃって告白もできない甘酸っぱい豪円の日常…という、なんともめんどくさい私からのリクエストを、快く引き受けて下さり、そしてこの神小説ですよ!
ああああああ!!これ!これぞ青春ですよ!これこそが豪円ですよ!
もう、ちゅーしようとして人が来ちゃってどうしような豪炎寺さんの気持ちと、その風景の描写の素晴らしい事…
本当に鳥肌が立ちました…!素敵すぎる…!!!!
語りたいことが山ほどありますが、絶対に長くなってしまうのでやめておきます…!
葵さん!素敵な小説、本当にありがとうございました!!!




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