傷つく
 神宮寺の指が優しく俺の体をなぞる。夢のような感触に、これが夢なのだと一瞬で理解してしまった己の脳が悲しい。己の唇に神宮寺のそれが重なる。そうして吹き込まれた呼気に自身がそこまで願っていたのかと、自嘲した。

―――神宮寺、お前のサックスになりたい。

 そう強く願ったのは先日のことだった。家の柵やプライド、拭いがたい劣等感がもたらした歪な関係は、俺の心を蝕むには十分だった。女性に愛を囁く柔らかい唇から溢れるのは俺への嫌悪。級友をからかいながら楽しそうに歪む月の目に浮かぶのは色を無くした世界。過去の思い出ばかりに縋りつくこの思考はまさにモノクロームなのだろう。白と黒しかない世界に彼奴も俺もいる。辛い。せめて、いや、叶うならば白がよかった。温かい感情を貰える白が。そうもなれないなら感情を与えられぬ物でもいい。嫌悪以外なら何でもいい。そう願うこと自体、本当は贅沢なのかもしれない。考える度に泥沼にはまる思いに胸が締め付けられる。
 ちゅっ、と生暖かい感触とリップ音がした。「よろしくね」と神宮寺が笑う。見たこともない落とすような笑みに胸が高鳴った。呼気が送り込まれる。音が鳴る。神宮寺に吹き込まれた息で歌うのは愛の歌だ。触れられて瞬くのは止められない愛のときめきだ。伝えられない“好き”が胸に溢れて辛い。体から漏れ出しているはずなのに、その度に送り込まれるから辛い。“好き”“スキ”“すき”。音が溢れる。

「どうだったかい?」

 音が止み、神宮寺が問いかける。俺に?いや、違う。神宮寺はあの、女性だったら誰もが蕩けてしまうような笑みを浮かべている。女性だったら?考えて戦慄する。まさか。神宮寺がもう一度優しい笑みを浮かべる。

「君にオレの愛が届いていると嬉しいんだけど、レディ」

 暗転する視界の中で、泣けないことだけをただ呪った。

36.傷つく

夢の中でさえお前は俺を思ってくれないのか。

――――――――――
 お前に歌った筈の愛の歌は一体何処へ。
 たまに歌手が恋人のために作った歌を聴いてそんなことを考える私です。

2012.03.08


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