憧れる
 憧れが恋に変わる瞬間を貴方は見たことがありますか?
 黒子が呟いた小さな問いを、火神は飽きることなく胸中で繰り返している。

 鮮やかな空の青にコートの赤地と白線が眩しい、火神にとって夏はそういう季節だ。うだるような暑さも自分を一歩先に追い込むエッセンスでしかない。白んだ頭に響くボールの弾む音が気持ちいい。負荷のかかる足が伸びきるあの瞬間も気持ちいい。気持ち良くて熱中症になりかけた今の姿は他人からは笑いモノでも、あの瞬間の先にあるものなら何の恥もないと躊躇いもなくそう思っている。

「火神君、自己管理くらいして下さい」

 ただ、人の額にペットボトルを押しつけながら苦言を呈した黒子はそうではないらしく、若干眉根が寄っている。悪ぃと謝れば口では何とでも言えるんで今度から態度で示して下さいと突っぱねられて、可愛くない。青い髪がサラサラ揺れる、このアングルから見るお前の顔は中々新鮮で面白かったのに。はいはい、なんて大げさに息を吐いた。

「ったく、だったらまず俺じゃなくてアイツらに言えよ」

 示した指の先には、1on1に励む黄瀬と青峰の姿があった。異様に整った顔と粗暴な雰囲気を醸し出す顔は、一見相反しているようで眼の光はよく似ている。夏の日差しに負けないくらいギラギラとボールを追うあの瞳。−−−バスケが好きだ。今この瞬間が堪らない。特に青峰への憧れから入った黄瀬は嬉しさが滲み出るようなバスケをする。
 雄弁に語るそれに誘われてコートに向かおうと上半身を持ち上げて、火神はベンチに座り直した。不意に青峰が呼ぶ。

「おい、てめぇ、体調戻ったんなら1on1するぞ」
「待っ、て!青峰、っち、俺まだ大丈夫っス、よ!」

 肩で息をする黄瀬が、汗だくの額を拭いながら言う。大分体にキているのか、膝を押さえている。黄瀬君も熱中症一歩手前ですね。黒子がタオルと何処から取り出したのか、しずくの浮かぶペットボトルを取り出してそう言った。そんな黒子の言葉を置き去りにして、縋るように青峰に伸ばされた黄瀬の腕に、感心とも呆れとも言えない感情を覚えた。

「あ?うっせぇな」

 青峰も例外ではないのか、不機嫌を滲ませたまま、一歩、黄瀬に近づく。

「俺の相手も満足にできねぇお前はテツにでも泣きついとけ」

 ぽん、と。まるで羽でも落ちるように。想像に違わない無骨な手が柔らかく髪を撫でる。ぼん、と。音でもしそうなほど、一瞬で黄瀬の色の白い頬が朱に染まった。あ、と漏らした声に黒子はおそらく気付いていないのだろう。スイッチが入ったように変わる友情と恋情の思考回路を目の当たりにして、火神は繰り返す。
 −−−憧れが恋に変わる瞬間を貴方は見たことがありますか?
 例えるなら、こんな瞬間。だとしたら、黒子は。振り返って見つめ直した顔は、穏やかに微笑んでいるように見えた。なのに不意に寂しさが覗くように、風が吹いて髪が表情を隠していく。オイ。言いかけた言葉は黄瀬の叫びに潰された。

「ひ…っでぇっスよ、青峰っちは!!俺だってまだまだイケるんスよ!本当は!!でも青峰っちがそういうなら休むしかないじゃないっスか!!あーもー休めばいいんスよね、休めば!!!」

 弾かれたように二人に視線を向けると、コートに反射する日の光で目が眩みそうだった。それでも、分かることもある。騒ぐだけ騒いで立ち上がった黄瀬の顔は運動の性にするには些か赤過ぎた。

「顔赤いぞ、黄瀬。倒れるんじゃねーぞ」
「…っ、心配どうもっス」

 と、内心考える間に成立していく会話に、うだるほど熱い空気に引きずられるように黄瀬の視線は落ちている。けれど、鈍色に光るピアスが赤を反射して隠そうとした感情は何一つ隠せていなかった。黒子の表情はまだ読めない。醸し出される雰囲気だけが相変わらず柔らかくて、どこか寂しい。だからとぐしゃりと頭を撫でてやった。行ってくるわ。まだ。お前みたいにやわじゃねーから。もう一度ぐしゃりと撫でて、黄瀬と代わるように青峰のもとに向かう。
 ついでに、すれ違いざまの黄瀬の腹に一発決めてみた。

「っぐ!!!なんなんスか火神っちまで!?」
「悪ぃ、なんか幸せそうでムカついた」
「っ!?」

 後ろ手に手を振り、立ち去ろうとして、あ、と振り返った。

「ああ、だった」
「今度はなんスか?」
「傍観者決め込んでないで参加しろよ、楽しいから」
「は?」
「ってアイツに言っとけ、お前の口から」
「はぁ?なんなんスか本当にもう…」

 黄瀬のため息を背に、先に進む。

「アイツ、面白いな」
「テツもなかなかだろ?」

 青峰は邪気なくニヤリと笑う。太陽がやけに似合う男だと、火神はそう思う。勿論癪だから言うつもりはないが、それでも、少しだけ、ほんの少しだけ、黒子の気持ちも黄瀬の気持ちも分かる気がする。そして、あの問いの意味も答えも。ただ形にするにはまだ早いと、火神は青峰のつくボールの音に耳をすませた。
 

56.憧れる

 憧れが恋に変わる瞬間を貴方は見たことがありますか? 
 ―――――ねぇから、教えろよ。んで、今度はお前を当事者にしてやるから。

 (俺は、まだ、越えてない)

――――――――――
2012/07/28

 後輩ちゃんに捧ぐ。
 黄瀬君の憧れと黒子君の憧れと。
 私は火神君と青峰君に醒めない夢を見ているようです。


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