持て余す
「大丈夫か?」

 暗転した世界の先で巡り合ったのは、平素なら見(まみ)えることもない神宮寺の揺れる瞳だった。何時になく顔が近い。こんな距離は幼少の頃以来だと思うと寂しくも嬉しくもある。絶対に触れられない距離を保ってきた自分たちが、腕を伸ばせば触れることの叶う距離にいる。信じられなくて詰めた息に、神宮寺が眉根を寄せた。

「ボーッとしているなんて珍しいね。体調が悪いのかい?だったら保健室に、いや、医療班を呼んだ方が早いか」

 ぶつぶつと呟く神宮寺をぼんやりと見つめる。不意にキラリ、視界の端にサックスが映った。日の光を受けて夢のように美しく輝いている。途端夢から覚めるあの感覚に今度こそ泣きそうになる。
 ―――これも夢なのか。心の中で独りごちる。現実の彼奴は己の心配なぞしなければ、こんなに近くにいる筈がないのだ。きっと今度は彼奴のサックスで愛を謳われる幸せな婦女子にでもなってしまったのだろう。業が深いなと思う。ただ側にいられるだけでいいと望んでいた筈が、結局愛を謳われたいのだ。好きだと、叶わなくていいなんて絵空事で、同じベクトルが欲しいのだ。気付けばどうしようもないこの思いに胸が締め付けられる。

「っ!?どうした!?どこか痛いのか!?」

 神宮寺が駆け寄って、眼尻を撫ぜた。その感触に己が泣いていることに気づく。あたふたと涙を拭いながら見当違いな質問をする彼奴も己が作り出した幻なのだと思うと滑稽だ。惨めで不甲斐なくて、いっそ笑えた。

「…馬鹿だな、貴様は。俺になんて優しくしなくていいのに、夢の中だからと優しすぎて逆に気づいてしまったではないか。ほんに俺も爪が甘いな、幸せな夢さえも見せてくれないとは」
「お前何言って、」
「ああ、いい、貴様は黙ってろ。黙って俺の話を聞け。どうせ夢なんだ。夢の中くらい少しは融通が利かせろ。いや利かせすぎたからこんなに惨めなのか」

 やけに神妙な顔をした神宮寺が言葉を詰めている。こんな表情も見たことがないなと考えて所詮まがい物なのにと笑みがこぼれた。

「…なぁ神宮寺、俺は貴様が好きだ。貴様のサックスにも、取り巻きの女子にもなりたくて夢に見てしまうほど貴様が好きで堪らない。夢の中で叶える度にどうしようもない喪失感と絶望感を味わって尚貴様が愛しくて堪らない。ここまで来ると一種の病気だと思えるくらいだ。気持ち悪いだろう?」
「…っ、へぇ、それは初めて聞いたよ」
「当り前だ。誰にも言ったことがないし、言える筈がない。行動に移せるはずもないだろう。だからサックスや婦女子になりたかったんだ。何もしなくても貴様と共にあれる存在になりたかった。もはやそれだけでは足りないことにも気付いてしまったがな」
「…足りない?」

 やけに幼い仕草で首を傾げる神宮寺に初めて会った時のそれを思い出して笑う。

「同じくらい愛してくれなきゃもう嫌なんだよ、おにいちゃん」

 その時の彼奴の顔は我ながら上手く作れたものだと思った。

88.持て余す



――――――――――
 寝ても覚めてもお前のことばかりでもう逃げ場がない。

2012.03.13


prev next

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -