「なぁ兄貴、隠さず素直に答えてくれ」

仕事場から一続きの自宅への扉、それを開けたらこのベタついた体をどうにかせなあかんなぁ、そう考えていた脳味噌は、目前に広がった光景にただただ沈黙した。瞬きすら出来ないとは正に。いやより正確に言うなれば、瞬きすらも面倒臭かった。
まずはさ、顔近ぇよ、阿呆。

「…いきなり人の前に来て、なんやねんバカアレス。人の部屋に勝手に入んなって言うとるやん。エイレイテュイアとへべもおるし。二人はどないしたん?ん?エイレイテュイア、なんや顔赤うないか?」
「なんかすっごく扱いの差が感じられるけど、今は別にいいよ。それよりさ、エイレイテュイアが顔真っ赤な理由にも関係あんだけど、あ、兄貴さ」
「お兄様は縛る方なんですの?縛られる方なんですの!?」


……
………

「………………へ?」

………
……


頭痛がする。
耐え切れないとアレスの言葉を遮ったへべが落とした爆弾に目眩がしていると言ってもよかった。それ程までに酷い。支離滅裂、奇々怪々、合わさって奇妙奇天烈。ああやっぱり可笑しいわ、俺。まず手に持ってるそれは何なんだ、アレス。どうやって見つけたんだよ、マジで。

文字通り“大きな”溜息を吐いてヘパイストスは向かいに座る弟妹達に目を遣った。それこそまずは「座れ」とこの状況を作ったのは自身だったが、妙な空気は未だに変わることなく此処に残存している。
エイレイテュイアは恥ずかしくて堪らないのか、両手で顔を覆って指の隙間からチラチラとこちらを見ては、きゃあと小さく叫んでいるし、へべは好奇心が先んじているのかアレスの肩越しから何とも言えない視線を寄越してくる。掴まれてるアレスの方もやけに深刻な顔をして俺を見つめてくる。その手に握られているものが、言わずもがな元凶であるのだが、答えるのが億劫だった。そういう代物なのだ、それは。

「…兄貴、これ、何」
「縄」
「…赤い縄だよな」
「どーみても赤やな」
「そう、めっちゃ綺麗な赤だよな。俺、この赤も好きだよ。で、これ何に使うの」
「縄やから縛るんやろうなぁ」
「うん、俺もそう思った、んだけど敢えて聞こうと思うんだ。兄貴これで『何を』縛るの!!?つか何!?兄貴ってそっちの人!?いや兄貴に縄ってめっちゃ似合うと思うんだけどエロいと思うんだけどそんな兄貴も大好きだーって違ぇ!!とにかくなんで縄があって蝋燭がねぇの!?もしかして兄貴が作ってる鎖とか手錠とかってそっちで使うためだったのかよ!?俺、一体どうすりゃあいいんだよぉおおお!?」

「五 月 蝿 ぇ 。黙 れ 糞 餓 鬼」

テーブルを踏み台にしてアレスの頭を掴みギリギリと力を入れて行く。このまま風船みたいに破裂したらいいものを、サディストだサディストだと罵られれば余計に力を込められるというのに、割れることが出来ない頭蓋骨がミシリと音を立てるだけだった。
不愉快や、その誤解は。しかも蝋燭とか余計な単語、何だしてんねんコイツ。阿呆と違う?や、正真正銘のド阿呆やったわ、忘れてたけど。そして敢えて言うならお前は意識飛ばしてろ。銀河の果てまで飛ばしてろ。
口にせずとも十分に伝わったのかアレスが大人しくなるのにしたがって手を離した。いらぬ汗をかいたし、何より妹に泣きつくな阿呆とも思ったが突っ込む気も失せていた。倒れ込むように勢いよく座ったソファーの感触がやけに気持ち良い。

「でもお兄様、本当にどうしてこれを作ったんです?」

へべが遠慮がちに問う。

「お兄様がそれを生業の一つとしているのは知っています。けれど、プロメテウス様を縛ったのは鎖ではありませんでしたか?」

アレスの頭を撫でながら問う姿に苦笑を覚えつつ、それはな、と口にする。

「大神の依頼やねん、それ。始め、プロメテウス神を縛る時に作った一つ目。思いっきり恥かかせろっちゅーのが命令やったし、注文も縄がいいだの赤がいいだのあったしな。まぁ、その方が恥ずかしいやろ?せやから作ったんやけど、なんせマニアックっぽいしな。使うのは俺やし。止めにしたっちゅーわけや。たまにゼウス神が取りにくるけどな」

途端、使用済み!?と机にそれを投げるアレスやクッションに顔を埋めるエイレイテュイアに、またも苦笑を覚えた。違うわ、それはスペアやと言えば、それはそれでジーッと見つめられるわけだが、自身にじゃなく最高神に非があるのだから何も言いようがない。
あくまでも仕事、それ以上ではないのだ。

「ってことは兄貴はそっちの人じゃなかったんだなー。それはそれでつまらないけど」
「縛られたいんか、阿呆」
「ん?それも良い経験…?」
「冗談に聞こえんから止めい、ド阿呆」

軽く頭を叩(はた)けば、冗談だったのに、と今度はエイレイテュイアに泣き付いた。それを難無く受け止め、頭を撫でる彼女に兄の威厳は何処に行ったのかとアレスに問い質したくなってくる。

「それでやっぱりヘパイストス兄様は縛る方なんですの?」
「まぁ、生業上そういうことやな」

つか、それまだ引きずってたんやね。
内心で呟きながら、へべの好奇心の強さに舌を巻いた。思い立ったが吉日とばかりに行動するそれが父を、天性の的外れという名の天然さに母を見て頭がクラクラとしてくる。だがしかし、この問題を口にすると言うことは意図があるというわけで。つまりは案の定、爆弾は再び落とされたわけだ。


「…お兄様、私、お兄様が誰かを縛るところがみたいです。あ、アレスお兄様なんて如何ですか?」

……
………

「「…はぁあ?」」

不覚にも声が揃ってしまった。

「だって生でお兄様のお仕事みたいんですもの」
「別に俺の仕事は縛りだけやないんよ?」
「せっかく縄だってあるのに」
「ぅぇえ!?つか何で俺!?確かに縛られたいとは言ったけども!あれ冗談だから!冗談だから!」
「だって、他の人になんて頼めませんから。お兄様だって頼み辛いでしょう?それに私が縛られたら過程が見れませんし、お兄様はお姉様にそんなこと出来ます?」
「「や、無理だから」」
「ですからアレスお兄様ファイト!」

語尾に可愛らしいハートを付けながら、辛辣なそれを口にする妹は何だ。悪魔か。小悪魔か、可愛いじゃねぇか、コンチクショー。
またも外れてしまったネジをヘパイストスは一生懸命に戻そうとする。けれど、それを笑顔で、しかもキラキラと期待に満ちた目で口にする妹を見ると、またネジが落ちてしまいそうになるから困るのだ。
だから、お願いだから黙ってくれと願うのに、へべの口はまるで歌でも歌うかのように軽やかに、その鈴の転がるような愛らしい響きを、この場にもたらした。

「ねぇ、お姉様?お姉様だってヘパイストス兄様のお仕事、見たいですよね?」

まさか。あの大人しく控え目なエイレイテュイアがそんな訳ある筈が。
ゆっくりと視線を彼女に移せば、恥ずかしそうにクッションを抱え直してはこちらに視線を送ってくる。ああ、これは嫌な予感しかしない。つうとヘパイストスの背筋に寒いものが伝った。


「…わ、私も…見たい、です」


ああ、やっぱり?
耳まで真っ赤にして潤んだ瞳でそれを告げたエイレイテュイアを、その勇気を含めて、褒めてあげたいところなのだが、如何せん問題が問題である。アレスはアレスで痛いのが嫌だとかなんで俺がとか喚きながら、救いを求めるようにこちらを見てくる。妹達は見た目真逆の反応を示しているが、内心は全く同じなのだろう。熱い視線が痛いのだ。そして残るのは妹達には弱い“お兄様”と言う立場。助け舟を出さなかったら、結局アレスだって大人しくなり妹の言う事を聞いてしまうのだろう。
ああ、なんて厄日だ。心中呟いて天井を仰ぐ。今更ながら現状を思い出して嫌な感触が肌全体を這う。やはり気分が悪いわ。がくりと肩を落としてヘパイストスはその頭を抱えた。

まずはすまないが、シャワーを浴びさせてくれ。

願いは床に沈澱して、また新たな悪寒を産んだだけだった。



午後2時を告げる
喧騒



(そうですよね!まずは体を洗ってからの方がいいですよね。さすがお兄様、プロは違います!)

(ちょ、へべ何を勘違いしとるん)

(そうと決まればアレスお兄様も、ヘパイストスお兄様と纏めてお風呂に。私もいつものように準備しますね。二人分頑張ります!)

(なんで二人で入らなきゃいけないの!?つか俺達いい歳なんですけど!?てか話聞いて!)

(へべちゃん、私も手伝っていい?)

(勿論です、お姉様!あ、どうせなら四人で入ります?ヘパイストス兄様のお家のお風呂、4人くらいなら軽く入れましたよね?)

(ああ、まぁ、入れるけども)

(でしたら、お風呂セット取って来ますね。待ってて下さい)

((ぇ、ちょ、お願いだから、俺達の話を聞いてくれ!))