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今となってはたった一人の大切な少女を守りたいだけだった。忘れたくなかった。忘れられたくなかった。
結果としてそれは、クンミの意思を継ぎ、白虎のルシとなることで果たされた。何者にも劣らない強靭な刃を手に入れ、クリスタルの気まぐれによる理でマキナは誰を忘れることもなければ、誰に忘れられることもない。
ルシは昇華、もしくはシガイ化することでその一生を終える。オリエンスでは生命が活動を停止する度に、それに纏わる記憶が他の命の中から消え去るのが普通だ。生きとし生けるものが、過去の記憶に縛られないように、というクリスタルの慈悲であるとされている。しかしルシに関しては別のようで、ルシの記憶は人々の中に残り続ける。ルシは元々孤独で、世を去ったとしても悲しむ者がいないからだ。

ルシになれば、人々の中に生き続けることができる。
マキナが目の前に呈示された圧倒的な力を手に取る際に、そこまで考えていたのかと言われればそうではないだろう。仲間たちの輪から外れて一人どこへ行くのでもなくさ迷っていた自分が、クンミとの邂逅を経てクリスタルに見出された。
縋るしか術は無い。朱雀や白虎など、その瞬間のマキナにはもはや関係がなく、ただただ目の前で無造作に置いてあった力を手にするには思考など必要なかった。

ルシとなった己は、誰の記憶も失わない。誰の記憶からも失われない。
最も望んだことだったが、ふとした疑問が脳内を走っていくのだ。クリスタルの力が及ばないのはルシにのみ。当然、人と人の間にはそういった作用が施される。忘れられないのは、ルシとしての己のみ。

ならば、人としてのマキナ・クナギリは?オレは一体どこへ行った?

漠然とした、そんな疑問が駆け抜けるたびに、マキナは酷い恐怖に苛まれる。己が望んだものとは何だったのか、震える両腕で掻き抱いたものは何だったのか。前例がないため解らない。ルシが人間だった頃の記憶を持った者を残して生を終えた場合、残された者にはどういった記憶が残るのか。
何を賭しても守りたかったあの少女が、自分を忘れてしまうのではないか。笑いあった時間の全てがなくなり、白と朱として対立した記憶のみが残るのではないだろうか。
それはマキナの望んだものとは程遠く、酷く倒錯したものだった。

第四鋼室は常に慌しい。ごった返る研究員と魔導アーマーの操縦者たちの間で、唯一そこだけが切り離されたような空間。まるで外界の音が僅かも毀れず遮断された世界。マキナはカトルが操作する予定の新型魔導アーマーの傍らに佇んでいた。
研究員は時折マキナの方に視線をやり思考しては、はっとして各々の作業を再開させる。クンミが昇華して間もなく現れた新たなルシが珍しいのだろう。
一切動こうとしないマキナが、何の為にそこにいるのか。クンミが使用していた仮面が、マキナの表情を隠すため、研究員にはほとほと検討がつかなかった。

皇国の色である白のマントに包まれた、少年とも青年とも取れぬ体躯はすでにその時を止めてしまった。
これ以上成長することがなければ、老いとともに痩せ衰えていくこともない。それが、マキナにはすでに己は人間ではなくなったのだと言い聞かせているように思えた。
見上げていた魔導アーマーから視線を外し、緩慢な動作で出口へ向かう。研究員が慌てたようにどこへ、と問いかけてきたが、答えることすら億劫だった。
研究室から出て、カトルの執務室へと足を進める。研究室、および実験室は第四鋼室の地下にある。カトルの執務室はどちらかといえば上層部に近い。
マキナはそこへ雪崩れるように入り込んで、部屋の主に挨拶すらなく、中央に置かれた来客用のソファへと身を沈めた。
マキナが来訪したことがわかったのか、部屋の入り口で待機していた軍用クァールはマキナの後を追ってソファのすぐ傍らに伏せる。マキナはその頭を二、三度撫でる。その手つきすら緩徐で、カトルはいつにも増して重症だと浅く息を吐いた。

やがて自身の顔に纏わりつく鉄が煩わしいと感じたのか、マキナの手によって仮面が外される。露わになるのはその端整な花貌である。鴉の濡れ羽色をした艶やかな髪と、一片の光すら届きそうにないミディアムシーグリーンの瞳。
カトルはちらりと一瞥して、ライティングデスクに積まれている書類を束ねにかかった。今日はこれ以上進みそうにない。それはソファに気だるげに横たわる少年を、存外カトルが大切にしているからだ。
以前のカトルではていのいい兵器がただ入れ替わっただけとしか捉えなかっただろう。しかし突然己の眼前に現れたルシは、強固な仮面の下にある花貌をただ恐怖に歪ませ、怯えるだけだった。身を縮こませクリスタルに奪われそうになる自我を必死で手繰り寄せる。その全てがカトルには愚かで哀れに思えて、愛おしく感じた。

酷く錯乱するマキナを鎮めるのは予ねてカトルの役目となっていた。というのもその状態のマキナを知るのがカトルしかいなかったからだ。
絶対的な力を手に入れた喜びと、己が人でなくなる恐怖、自分の選択が正しかったのかという後悔がマキナに押し寄せる。襲い来る事実を、マキナはどうすることもできない。
幼馴染の少女やクラスメイトがいなければ、自然とマキナが縋る相手は限られてくる。
以前朱雀で従卒をしていたという己の妹にそっくりな少女の話によれば、仲間といた時は常に凛としていたらしい。気を張って、強がっていたのだろう。
周りの仲間に頼ることができないマキナは、きっと大人にしか甘えられない。けれど朱雀には碌な大人がいなかった、というのも彼女に聞いた。
ならば我が存分に甘やかしてやろう。そう考える自分は思いのほか嵌りきっているようで、けれどそれを心地良く感じている自分がいることをカトルは自覚している。
徐に形のいい小さな唇から震えた声を発した少年の言葉を聞き漏らさないように、全神経を集中させるくらいには。

「なあ……アンタを殺せば、アンタはオレだけのものになってくれるか?」

吐き出されたか細い懇願は危うくすら思えた。
マキナは大人でもなければ、人間ですらない。だが、ただのこどもだ。この小さな背中に背負うものはあまりにも重い。怯えを滲ませた表情でそう言って縋る様は母親を見失った迷子のようで。
確かにカトルが死ねば、その記憶はマキナにしか残らないだろう。厳密に言えば他のルシにも残るのだが、生憎とカトルにはマキナの他に時を共にするルシはいなかった。嘗てはクンミがその中に入っていたのだろうが、今となってはそれももうない。

「馬鹿なことを」

己に与えられるものは何もない。それこそマキナが望むようなものは何一つ。
カトルは嘆息して束ね終わった書類を机の端に並べ、ソファへと近寄る。カトルのアイスブルーの瞳に自身が映りこんだのを認識して、マキナはびくりと肩を揺らした。
失うことが怖くて、与えられるものにすら怯える。カトルはマキナが逃げようと後ずさるのを、ソファに手をつき、マキナに覆いかぶさることで阻止する。
そのままマキナの背に腕を回して、苦しいくらいに抱き締める。

「放せ」

カトルの腕から逃れようと身を捩るが、カトルを押し返そうとするマキナの腕に力はない。
マキナが本気を出せば、それこそカトルくらい訳もなく引き剥がせるだろう。それをしないのはその気がないからだ。
カトルはマキナの解りづらい甘えを受けて、より一層腕の力を強める。

「大人しくしていろ」

息苦しさを感じて、今ここにいるのはただのマキナ・クナギリなのだと思い知ればいい。温かさに安心して、クリスタルの声すら聞こえなくなるほどまで、深く眠りにおちるといい。
少なくとも、怯えて身を竦める目の前のこどもは、カトルにとってはただの人間だ。自ら逃げ道を塞いでしまった愚かなこども。
緩やかに翡翠が伏せられていくのを感じて、カトルはそっとマキナの額に口付けた。


現は周到、蜘蛛の巣に似て



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