ジョジョ成り代わり | ナノ
▼ ディエゴ♂3

赤い血が水溜りを作る。
それは身体からどくどくと流れ出して止まらない。身体の感覚はすでになかった。少し離れた場所に見えた下半身が視界に入るが、それもさして気にならない。

ホット・パンツから持ちかけられた取引は決して簡単ではなかった。だが名前にはそれでも応じなければならない理由があった。ホット・パンツが「父親」の場所を知っていたからだ。幼い頃、復讐を誓ったまま名前すらわからなかった「父親」だ。こんなチャンスはまたとないことではないのか。
(クソ、意識が朦朧としてきやがった……っ)
視界に映る赤、赤。それは十分に辺りを満たしているというのに広がることを止めない。
意識を失えば最後だ。名前はぼんやりと思考する。あんなクズの「父親」のために死ぬ。それは名前にとって何よりもの屈辱だった。最後の最後にしくじった。取引になど応じずに、幸福を追い求めればよかった。だが、独りごちたその言葉は不思議と後悔という感情を伴っていなかった。本当に、淡々としていた。
「おまえは今、幸せなのか?」
いつだったか、レースの途中で立ち寄った村で伝えられたジョニィの言葉がよみがえる。吐き気を催すような言葉だった。幸せだったなら、今こうしてこんなところで死を待つことなどしていないだろう。そもそも、名前はどうすれば自身が幸福になれるのかもわからないのだ。

もがけばもがくほど足をとられる。手のひらが水をすくうように、すくった水がこぼれ落ちるように、得てはなくなる。指の隙間を流れ出して最終的には深い底にたどり着く。
そこは広くて冷たい。真っ暗なせいで自分の足元も見えやしない。ただ、温かい。
そこは所謂"意識"という場所だろう。いや、別に哲学的な話がしたいわけではない。どれだけ偉い学者の話をつらつらと書き連ねたとしても、結局最後は感情論になる。名前が求めるのは、いつだって感情だ。おそらく、誰もが常に追い求めているものだろう。名前も例外ではなかった。
そして、名前の求めるその場所へと到達できる人間が、この世に何人いるだろうか。


その老婆は死の間際、「自分は幸せだった」と皺だらけの頬を緩めて微笑んだ。彼女は何を持って自身が幸せであると感じたのか。「名前さん」「どうかしましたか、義母さん」甘い笑みを貼り付ける名前の心の内を彼女は悟っていたように思う。名前が彼女の財産目当てで養子になったことを。知っていてなお、彼女は名前に優しかった。
それは名前にとって、ただただ嘘のような時間だった。けれど穏やかで、寂しかったのは彼女も同じだったのかもしれない。そうして、目当ての財産を手にして馬を一頭買った。
化け物を殺す、銀の弾丸。名前はそんな意味を込めて自らの馬に名前を付けた。名前が名前を付ける前から、馬にはちゃんと名前はあったが、名前はもう憶えてもいない。老婆が死んでしばらくした頃に、思い出したように買い求めた馬はすばらしい名馬にも関わらずとんだ暴れ馬で、持ち主すら困り果てていた。
そんな彼なら、終わらせてくれる気がした。何をとは言わないが、名前はすでに疲れきっていた。この何かどうしようもないものが終わるなら、それもいいかもしれないと思ったのだ。
ただ、愛馬はそれをしたがらなかった。常に名前のことを思って行動していた。誰の言うことも聞かなかった暴れ馬が、だ。シルバー・バレットは名前のいうことだけは素直に聞いていた。名前を見つければ近づき、手を伸ばされれば大人しく触れさせた。そんな名前を見て誰もが「すばらしい才能だ!」と手を叩いて評価した。
それが名前に母の言葉を思い出させて、また、沈み始める。


すでに身体に力は入らなくて、けれど必死で動かそうとする。ふと自身に影がかかって、頬に何やら温かいものが触れる。シルバー・バレットが名前の頬を舐めていたのだ。朦朧とする意識の中、それを理解して愛馬が無事だったことに、名前は酷く安心した。
ああ、それから、ホット・パンツはどうなっただろうか。心優しい彼女まで殺されることがなければいい。
そうは思ってみるものの、そう願えるほどまで彼女のことを名前は理解していない。思いきり自分を笑ってやりたくて、けれど表情筋はぴくりとも動かない。完全に視界が閉ざされて、真っ黒い意識の底で頬に触れる温度が心地いい。すでに感覚はないはずなのに、名前は不思議とそう感じていた。この馬は教えたかったのかもしれない。いつだって、世界は存外優しかったということを。

長らく"幸福"ばかりを追っていたせいで忘れていた、何気ない日常を送ること。以前の、"私"であった頃の名前にはそれで十分だった。そして、今も。
ゆらり漂う水の中で名前は気づく。自分は、幸せだったのではないか。
「こんなところまで似ているのか、君と。気づいていないだけだったなんて、どちらもお互い様じゃないか」いっそ清々しいほど冴え渡った頭で思考して、名前は自嘲するように乾いた笑みをこぼした。
あなたは思っていたよりずっと温かい。
暗く冷たい海に沈む。不思議と苦しくはない。そうして、暗い海の底から星を見上げる夢を見る。


Title:Fortune Fate

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