Vanilla | ナノ




reclami Tempting


夜空にはぽかりと月が浮かんでいて、まるで大口を空けて餌が来るのを待っているみたいだった。
仲秋の名月にはまだあと一月ほど待たなければいけないだろう、暑さに霞む空にそれでもいやにはっきりとその月は浮かんでいた。

月が、大きすぎて、眩しすぎて、きらきらと彩りを添えるはずの星たちはよく見えない。
ごろり、と寝転がるとまるで今夜の月みたいに隣でぽかんと口を開けている奏がいた。
くすり、と笑う。


「間抜け面だよ、かな」


その唇を、指でなぞる。
こちらの行動に文句を言わない奏は、こちらの指がその唇を離れると「失礼だし、ゆうの真似をしてただけなんに」なんていう。


きらり、柔らかな茶色をした奏の毛は月の光に透けて揺れた。

きらり、きら。

落ちた光の雫が二人の間を優しく満たす。
それはそっと身体中いたるところから侵入してきてゆるやかに心を暖める。

あんまりにもその暖かさが心地よくて何も言えないまま、きつく目を閉じた。
それなのに奏から放たれるきらきらは目の奥で光って、瞬いて、また心臓にぽつり、と落ちた。


「ゆう?」


疑問符つきで名前を呼ばれた。

なに?と聞き返しながら目を開けた。
眩しさに目が眩む。

なんでもないけど、と今度は奏の指がこちらの輪郭をなぞった。
だってゆう急に黙っちゃうんだし、つまんないし。
いつまでもなぞるのをやめないその指の熱に輪郭が溶けてしまいそうだった。


「奏は、月よりも太陽だね。こんなにも眩しくて熱いから」

「…なにそれ」

「そのまま。俺は奏に照らされて、やっと息が出来る」


だからきっと君が太陽で、俺は月なんだ。
そういって、気がついていたら止まっていた指を掴んだ。

熱い。
その熱さからは想像できない顔で、奏が笑った。
くつくつと音を立てたその笑いは月明かりに跳ねてそっとこちらの鼓膜を揺るがせた。


「私はゆうと一緒がいいし」


別々なんてつまんないし。
こちらの握りしめた右手の中で動く奏の指はいったい何を伝えようとしているのか。

は?と驚きをあらわにしたこちらに「ゆう、間抜け面」と楽しそうに奏がいう。
その楽しそうな様子にむぅ、と頬を膨らませる。
やっぱり笑った奏は、そっと奏の指を捕まえている手の甲をまるで祈りでもささげるかのように触れた。


「私は、ゆうと一緒がいいし」


そうしてまた、そんなことをいう。


「月は夜空に二つもいらないよ?」


あの月だって一人だ。
ぽかり、と大口を開けた月は、先よりも少しだけ傾いていた。

まわりに星を従えるでもなく、ただ一人で藍色の空に浮かんでいる。
少しだけさみしそうに見える、だなんてそれはきっと自分の心象を月に託しているからなのだろうか。
触れた指先ですら溶けあえない自分たちは、まるで出会えない月と太陽のように遠く感じる。


「じゃあ、ひとつになろっか」


少し考えた奏は、いつもの迷うそぶりなんて少しも見せずにそういって、それから少しだけこちらに顔を近づけてきた。

どくり、と心臓がざわめく。
緩やかにこちらの右手をなぞった指先は明確な意思を伝えてきた。

きらり、月の光がこぼれる茶色の毛が身体に触れる。
反応できずにいるこちらのすぐ近くで「ゆーう?」と奏が呼ぶ。
あぁもういつの間にこんな誘い文句覚えたんだろう!だなんて思いながら、そっとその唇を奪うことから始めることにした。


ぽかりと夜空を占拠した月なんて、もう見えていなかった。


END.


120815

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