大量の本に周りを囲まれながら、その人は姿勢よく座卓の前に座って本を読んでいた。
「喜べ! お前に仕事を持ってきてやったぞ!!」
 榎木津さんはそう言い放つやいなや、勝手知ったる他人の家という感じで、座敷にスタスタ入っていった。まあ私たちはお店が開いていないとわかると(この家の主は古本屋を経営しているのだと関口さんに教えてもらった)住宅側の玄関に回りこんで、最初から勝手に家の中にお邪魔していたわけだが。 
 鍵もかけられていないとは、現代の東京じゃ考えられない出来事だった。
 関口さんが遅れて本だらけの部屋に入ったので、私もあとに続いた。榎木津さんは早々に畳に腰をおろしており、長い足が窮屈そうに見えた。
 私は彼の正面に座った。
「ほう、榎さんが僕に仕事を」
 顎を触りつつ、京極堂さん(というらしい)は本を読み続けながらそう言った。軽くあしらっているような、からかっているような、そんな調子の声音だった。
 痩せぎすで、全体的に神経質な雰囲気を感じられる人だと思った。私の脳裏にふと芥川龍之介の顔写真がちらついた。少し似ているかもしれない。
「さあ君、相談してみるといい」
「え」
 榎木津さんに急に話をふられ、一瞬混乱してしまった。わけも理由もわからず、なんの説明もなくただ連れてこられただけなのに、ただ「相談してみるといい」って。いったいなにをどうやって相談しろというのか。
 そこで初めて京極堂さんは本から目を離して、私を見た。相次いで知人の訃報を聞いたあとのような仏頂面だった。彼は片方の眉だけを器用に上げて
「君は」
「わ、私は一詩織といいます。一という字は――」
「一と書いてニノマエと読むのか!」
 榎木津さんがはしゃぐように言った。どうやらまた記憶を覗かれたらしい。
 そういえばこの時代にきてからというもの、まだ誰にも名乗っていなかったことに気づいた。
「珍しい読み方をしますね。僕は中禅寺秋彦といいます」
「京極堂さんじゃないのですか」
「京極堂は屋号なんですよ」
「ああ、なるほど」
 私はお店の軒先に『京極堂』と書かれた額が掲げられていたのを思い出した。
「それで、僕にご相談というのは」
「え、あ、いや、その……」
 とりあえず私は今までのことを順を追って話してみることにした。
 中禅寺さんは両腕を組んだり時には顎を撫でたりしながら、始終仏頂面で黙って聞いていた。
 それがますます私には芥川龍之介に見えてくるのだった。
 すべてを語り終えたあと
「君自身はこの現象をどう捉えているのかな」
 と、感情の読めない表情で言った。
「ど、どう……」
 どう、とは。なんだ。
 中禅寺さんはこんな馬鹿みたいな話を聞かされて不愉快に感じてはいないのだろうか。眉をひそめるのが普通である。
 ところが彼はなにを考えているのかさっぱりわからない。だから私は余計に困ってしまった。
 どう捉えているのか、、、、、、、、、。その問いに対して、自分の頭で導き出せる最も論理的な解釈を提示しなければならないだろうことに。
「……現実かもしれないし現実じゃないかもしれません」
 全然論理的じゃない。ひどく曖昧で、ふわふわとしている。
「現実じゃない、とは? 現実じゃないならなんなんだい?」
「え、ゆ、夢、とか」
「どうして夢だと思った?」
「え、ええと、夢だと相場が決まっているでしょう。こういうのはだいたい。あとは、自分に都合のいい展開ばかり起こっているからです」
「例えば」
 間髪を入れずに次々と繰り出される問いに、なんだか面接を思い出した。中禅寺さん自身がまとっている空気もあいまって、余計にそう感じられる。
「ええと、古本屋の店主が新聞を読んでいたこと。私がそれに気づいたこと。ちょうどそこに関口さんと榎木津さんが通りかかったこと。榎木津さんが探偵だったこと。事務所に案内してもらって、私の話を信じてもらえたこと。などでしょうか」 
 私は指折り数えながら告げた。
 起承転結という言葉が脳内に浮かんだ。上手い具合に次々と事が運ばれすぎている気がして、まるで物語のようだと思った。誰かが書いている。
「その解釈はたしかに現実的だ」
「ちょっと待ってくれよ。それじゃあ僕たちはどうなる? 彼女が見ている夢の住人ということになってしまうんじゃあないか」
 そこで関口さんがやはり堪りかねたように言った。
 風鈴の鳴る音がなぜか薄ら寒く聞こえた。


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