その瞬間、沈黙が訪れた。あたりが変な空気に包まれるのを感じた。
 あーっ!!!! やっぱりこうなったよ!!!!
 私は部屋の床に転がって激しく身もだえしたくなる衝動に駆られた。穴があったら入りたいとも思った。
 そのとき、私の目の前にふっとティーカップが置かれた。
「お待たせしました。紅茶で大丈夫ですかい?」
「……あ、ありがとうございます」
 先ほどの青年がお茶を運んできてくれたのだった。
 いれたての紅茶からはほわほわと優しい湯気が上がっていた。つい心が緩んで、それと同時に昨日食べたクッキーおいしかったなあと思い出してしまった。こんなときに、なんて意地汚い奴だろう。
「おい、和寅」
「なんでしょう先生」
「こちらのお嬢さんはクッキーもご所望だ。以前、僕の好き嫌いも知らずに持ってきた馬鹿な依頼人がいただろう。出してやりなさい」
「はあ、わかりやした」
 え。なんで? なんで私がクッキーを食べたいってことがわかったの? この人。
「な、なんで――」
 その先は言葉にならなかった。声が震えて。
 けれど榎木津さんはそれとは正反対に元気に答えた。
「今君の頭上にクッキーが見えた。しかし、あんな水気のない物をよく食べられるなあ。僕にはわからない。口の中が砂漠と化してしまう!!」
「は、はあ……」
 困惑するしかない。頭上? どういうことだ? 何度か自分の手で頭をさすってみたのだが、当然その上にはなにもないのだった。
「榎さんには、他人の記憶が見えるんだ」
 そのとき、それまで黙っていた関口さんが顔を上げて堪りかねたように言った。
 私は意味を頭で理解する前に、気づけば鸚鵡返しのように呟いていた。
「た、他人の記憶が見えるのですか」
「見えている、らしいです。京極堂――僕の知人なんだが、彼が言うには」
「それはテレパシーとか、人の心が読めるとかとは違うのですか」
「そうです。ただ榎さんは、他人の見たものが見えるだけ、、、、、、、、、、、、、なんです。音とか匂いとか時系列とかはわからない」
 関口さんが首を横に振りながら言うと、榎木津さんはただの馬鹿馬鹿しい体質だよと不服げに左右の足を組み替えた。
「な、なるほど。写真を見ていると考えると理解しやすい気がしました」
 私はそう自分なりの解釈を述べてみた。
 他人の記憶が見える、か。インチキくさい話だが、スマホの件と言いクッキーの件と言い、本当であるのならば納得はいく。彼はきっと私の記憶を覗いたのだ。
 私は実際に自分の身のまわりで起きたことしか信じない。
 加えて、今己の身に起きている事象と比べれば、それはごく些細なことでしかないようにも思えた。
「ところで、ええと、先ほど、たいむすりっぷ、と仰っていたと思うのですが……」
 そこで幸いも話が元に戻った。そういえば「タイムスリップ」という言葉は昭和でも使われていたのだろうか。関口さんが耳慣れない単語のように口にしたのが気になった。
 ゆえにもう少し具体的に説明することにした。
「ああ、そうなんです。ええと、その、なんと言いますか、時を超えてここにやってきてしまったというか、私、未来の人間なんです。多分」
 多分と語尾につけてしまったのは、話している間にやはり馬鹿げていると自分に自信がなくなってきたからであった。
「未来! なるほど!! 君は未来人なんだな!!」
 ソファに体を深く沈みこませていた榎木津さんが、急に身を乗り出して大声を発した。
 未来人。まあたしかにそうなんだが、変な響きである。宇宙人の仲間みたいだ。
「え、榎さん。彼女の言うことを信じるんですか」
 関口さんは私と榎木津さんを交互に何度も見やりながらわたわたと聞いた。
 ごもっとも。それが普通の反応だろう。なに言ってんだコイツと――
「なにを言っているのだ関君」
 そう指摘されたのは関口さんだった。
「はあ?」
 ついで榎木津さんは私の方に視線をむけて
「君は信じたんだろう」
「な、なにをですか」
「僕が見るよくわからないもののことをだよ」
「……私は実際に自分の身のまわりで起きたことしか信じませんので」
「それはいい! では僕も君のことを信じよう。依頼を受けようじゃあないか。望みを言いなさい」
 いまいち状況が掴めないけれど、都合のいい展開になってきた。
 私はゆっくりと息を吸ってから
「元の時代に帰る方法を、一緒に探してください」
 それを聞いた瞬間、榎木津さんは元気に立ち上がると
「よし、行くぞ!!」
「え、どこ行くんですか」
「決まっているだろう! 京極堂のところだ!!」


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