榎木津さんと関口さん(というらしい)に連れられ、古書店街のごみごみとした通りを抜けてたどり着いたのは、三階建てほどの西洋風のビルの前だった。まだ新しい。榎木津ビルヂングと書かれた看板が建物の入り口に掲げられていた。
 持ちビルなのか。この時代のいわゆる富裕層なのかもしれない。そういえばここに来るまでにすれ違った人たちと比べて、高級感のある服装をしているように思う。このジャケットも現在の物と肌触りがそう変わらない。
「三階が事務所なんだ。さあ行こう」
 榎木津さんに軽く背中を押され、私は建物の中に入った。えらく静かだった。階段を上る三人分の足音がよく響いて聞こえた。
 三階に着くとすぐ右側に扉が見えてきた。摺り硝子に金字で「薔薇十字探偵社」と文字が入れられている。あの薔薇十字団となにか関係はあったりするのだろうか。
 先頭に立っていた関口さんがドアノブに手をかけて扉を開くと、やけに物にあふれた室内が現れた。
 奥の壁際の棚には骨董品や書籍が雑多に置かれており、その手前の大きな机の上もごちゃごちゃとしていた。「探偵」と書かれた三角塔が少しおもしろかった。
 衝立で仕切られた応接ルームはさすがに綺麗にされていた。榎木津さんと関口さんがむかいのソファに腰かけたので、自分も座ろうとしたとき、視界の端に見えていたウェスタンドアから人が出てきた。
「ありゃ、お二人ともずいぶん早いお帰りで。さっき出ていかれたばかりじゃなかったですかい?」
 私と同い年ぐらいだろうか。書生風の、太い眉と厚い唇が特徴的な男性だった。話し方も少し独特である。
「気が変わったんだ。それよりも、和寅、茶だ。依頼人だ」
「えっ、先生が依頼人を伴って戻ってくるなんて、明日は雨どころか天変地異でも起こるんじゃあ」
 それで彼は初めて私の存在に気づいたらしく、ゆっくりと視線を榎木津さんからこちらに移した。軽く会釈をすると、彼もペコリと頭を下げてから再びウェスタンドアのむこうに戻っていった。
「下僕のくせに失礼な奴だな。なあにが天変地異だ!」
 榎木津さんは長い足と腕を組んでソファにふんぞり返ると大声でそう言った。最初に会ったときにも思ったが、この人の声はよく通る。室内であるからか、余計にそう感じた。
「まあそれはともかく、君の依頼だ。迷子はあの豆腐顔の領分だからな。本来は僕の仕事じゃあないんだが、女性に直接頼まれて断るわけにもいくまい」
 迷子、というのは私が榎木津さんが探偵であるとわかったとき「ま、迷子なんです助けてください!!!」と泣きついたからであった。まあ、後から迷子というのは探偵ではなく警察の仕事かもしれないと思ったのだが。そもそもタイムスリップして違う時代に来てしまった状態を迷子だと表現するのかも謎なところである。
「ええと、あのう……」
 自分で助けを求めておきながら、私はそこで躊躇してしまった。だって、いや、そうだろう。
 自分は未来からやってきた、などということをはたして信じてもらえるものだろうか。なに言ってんだコイツと思われるのが関の山だろう。やばい奴だと言われかねない。
 けれども、そう断言しきることもできないのだった。
 あのとき榎木津さんはこう言った。


「電話か!? テレビにもなるのか!? 本も読めるのか!? 京極堂にも教えてやりたいものだな!!」


 それがスマホをさしているのだと気づいたのは少し後になってからだったのだが、榎木津さんはなぜそれをどのようにして知ったのだろう。私はスマホなんか手にしていなかった。唖然としながら新聞を握りしめていたのだから。
 ――まるで頭の中を見られたみたいだった。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
 榎木津さんに顔を覗きこまれて我に返った。
「あ、いやあ、そういうわけじゃあ……」
「だったら早く答えなさい」
 彼は鳶色の瞳を大きく見開きながら告げた。その言い方こそ少し乱暴だったものの、声のトーンは優しかった。
 そうだ。彼は私を助けようとしてくれているのだ。
 私は一度深呼吸をすると、ゆっくりと言った。
「ええと、信じてもらえないかもしれないんですけど、私、タイムスリップしてきちゃったかもしれないんです」


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