どこだ、ここ。
 私は今自分の目の前に広がっている光景を見てそう思った。
 道を行く女性の大半は着物に身を包んでいいて、男性はゆったりとしたスーツに帽子(たしかカンカン帽だったかパナマ帽だったか)をあわせて着ている。街並みもどこか古く、砂埃が立ちこめていた。先ほどまでアスファルト舗装の道を歩いていたはずである。車体に比して馬鹿みたいに車輪の大きい自転車がすぐ横を駆け抜けていった。
 その日、私は神保町を訪れていた。東京に来たついでに、世界一の古書店街と言われているそこをぶらぶらしようと思ったのだ。
 まるで迷路のようで、あてもなく歩いていた先の路地に足を踏みいれた途端、ガラリと景色が変わってしまった。なぜか大通りに出ていて、そして道行く人々はみな令和の時代には珍しい服装をしている。
 ……それにしても、私の方がなんだか奇異な目で見られている気がする。ノースリーブの楊柳ブラウスに同素材のスカンツをあわせた、普通の恰好なのだが。
 なんか映画やドラマで目にしたことのある、大正とか昭和とかの景色みたいだなあと思って首を捻りながら歩いていると、レジの近くの椅子にどっかりと腰をかけて新聞を読んでいた男性の姿が目に飛びこんできた。読売新聞らしいのだが、紙もインクもどこか煤けて見える。
 私はスタスタ近づいていくと
「あの、それって今日の新聞ですか」
 と店先に立って聞いた。
 緩慢な動作で新聞から顔を上げた男性は私を見た途端、怪訝な表情を浮かべた。黒縁の丸フレームの眼鏡がやや厚い頬肉に埋まりそうになっている。彼は私の頭の天辺から足の爪先までを値踏みするかのような目をむけてきてから
「そうだけど」
「少しお借りしてもいいですか」
「ああ、どうぞ」
 新聞を受けとると、素早く一面の上部に視線を走らせた。日づけは。
 昭和28年。6月26日。
 急に眩暈を覚えて、世界が遠のいていく感覚がした。昭和28年だって? 西暦だといつになるんだ。いや、わからない。けれども、戦後からまだそれほどたっていないということだけはたしかだ。ということは、五十年代ぐらいになるのか?
 タイムスリップ。タイムトラベル。タイムリープ。似たような単語が頭の中をぐるぐ ると回り始める。
 私は、過去にやってきてしまったのか。
 頭が痛い。ガンガンする。気持ち悪くなってきた。
「なんだその小さな板のような物は!!」
 思わず地面にしゃがみこみそうになっていたそのとき、あらゆるものを吹き飛ばすかのような朗々とした声がすぐ後ろから聞こえてきた。
 額に手を当てながら首だけを動かすと、男性が一人お店の外に立っていた。
 背が高く、とても綺麗な人だった。ハンサムな美形である。白すぎる肌は白磁のようで、鳶色の瞳がより一層鮮やかに見えた。
「電話か!? テレビにもなるのか!? 本も読めるのか!? 京極堂にも教えてやりたいものだな!!」
「え、あ」 
 な、なんだ。なんなんだ。タイムスリップしてしまったと思ったら、どうして次の瞬間にはイケメンに絡まれているんだ。
 ていうか、この人めっちゃ顔のぞきこんでくるな。近いんですけど……シトラスのいい香りがする。
「ちょっと榎さん! 勝手にどこか行かないでくださいよ!!」
 バタバタと足音がして、もう一人男性が視界に飛びこんできた。今日はそれほど気温が高いわけでもないのに、彼はびっしょりと汗をかいていた。全体的に小柄で、猿人類を思わせる顔つきをしていた。
「君がノロノロと歩いているからだ、この亀」
「はあ? あんたがいきなり走ってったんじゃないですか」
 突如始まった二人の言い争いに、私と古本屋の店主は一瞬だけ互いの立場を忘れたように目配せをしあった。どうします? どうしたらいいのかねえ? そのとき、自分がまだ片手に新聞を握りしめていたことを思い出してそっと返した。
「そうだ関君! おもしろい女性がいたんだよ。僕たちが見たこともないものをたくさん知っている」
「なんですかそれ」
「彼女だ」
 ビシリと指をさされて、私は体が強張るのを感じた。当然のことながら、未だに上手く現状を把握できないでいる。
 小柄な方の男性は、そこで初めて私の存在に気づいたらしく、一度こちらを見たものの目があうとすぐに視線を逸らしてしまった。玉のような汗が額を覆い始める。
「どうした関君。顔色が悪くないか」
「彼女の服装だよ。見たこともない作りをしているが、肌が出すぎてはいまいか」
「最近のご婦人方の流行ではないのか」
「僕はそんなものは知らないよ。けれども、街中で着るには目立ちすぎていると思うよ」
 小声で会話を交わしてはいるようなのだが、至近距離なので当然内容は聞こえてくる。なるほど。だからやけに視線を感じたわけだ。たしかに令和の時代には普通だろうが、昭和となると人々の目には派手に映るのかもしれない。上着、いらないと思って駅前のコインロッカーの中にキャリーバッグと一緒に置いてきちゃったんだよな。
「ふうん。そうか。そういうものなのか」
 美丈夫の方はなぜか頻りにうんうん頷くと、ふいに羽織っていたジャケットを脱いで私の肩にかけた。体型がまったく違うこともあり、裾が太ももにかかるくらい長かった。
「気が変わった。僕は探偵社に戻る」
「はあ!? なに言ってんですか!? 元を正せばあんたが嫌がる僕を連れて無理やり……」
「僕が気が変わったと言えば変わったのだ!! 絶対なのだ!! 君、一緒に来なさい。まずはその小さな板のような物から説明してもらおう。鞄の中に入っているんだろ」
 私はそのときようやく“小さな板のような物”がスマホをさしているのだと気づいた。
 それからもう一つ。
「あなた、探偵さんなんですか」
「いかにも!」
「ど、どうか助けてくださいぃ……」


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