拾参



 結論から言えば、収穫はゼロだった。
 華ちゃんの家の玄関先に押しかけた私たちを迎えたのは、やはり例の母親らしき人物であった。彼女は榎木津さんの顔を見るなり最初のほうこそ、あらあらまあまあみたいな表情をしていたのだが、自分たちは娘さんが通っている学校の教師と同級生であるという嘘の素性と彼女を心配してやってきたのだという目的を告げるやいなや、やはりものすごい剣幕でこちらをまくし立ててピシャリと扉を閉めてしまったのである。
 ――とはいえ。
 私にはなにもわからなかったとしても、あの短時間のうちに榎木津さんにはなにかが見えていたのかもしれない。
 華ちゃんは今どういう状況にいるのか。虐待などされていないのか。本当に狐に憑かれていないのか。
 彼女の母親の目を一度通して、榎木津さんにはいったいなにが見えたんだろう。
「榎木津さん」
「なんだ」
「なにか見えましたか?」
「――窓に」
「窓?」
「人がうじゃうじゃ、いや、三人だけか。男たちがずっと張りついている」
 彼はそう言ってスプーンを手に取ると、プリンを一匙豪快に掬って口の中へと運んでいった。うまい! と元気な声が店内に響きわたる。
 華ちゃんの家をあとにした私たちは、近所を歩いていて見つけた喫茶店で呑気にお茶なんかをしていたのだった。お店の前を通りすぎようとしていたまさにその瞬間、榎木津さんが「僕はお腹が減った!」と突然言い出して止める間もなく中に入っていってしまったのである。
 まあ、だから、しょうがないとも言える。プリンアラモードに舌鼓を打っているこの状況はしょうがない。榎木津さんが勝手に私の分も頼んじゃっただけだし。残すなんてもったいないことできないし。昭和の固めプリンもおいしい。
 ――それにしても、窓にずっと人が張りついているってどういう状況なんだ。しかも男たちが三人。華ちゃんは母子家庭だと聞いたから、お父さんとその友人……とかではなさそうである。まるで刑事の張りこみのようだけれど、なにかの動きをずっとそこで監視しているということなのか。
 しかし、華ちゃんの安否についてはなにか手がかりが得られなかったのだろうかと私が再び口を開こうとした時、急に視界の外から
「わっ、大将じゃないですかあ!」
 と榎木津さんに負けずとも劣らない元気な声が聞こえてきたので、出鼻を挫かれてしまった。
「おお、君はトリ頭くん!!」
 榎木津さんが私の背後に視線を送りながらそう言ったように見えたので首だけ動かしてうしろをふり返ると、青年が一人立っていた。
 三、四歳ぐらい年上であろうか。やや目と目の間隔がつまっていることを除けば、爽やか系の好男子という印象を受けた。全体的にしっかりとした体つきをしており、人懐っこい笑みを浮かべている様を見ているとまるで大型犬みたいだなと思った。
 彼は私と目があうなり
「あっ、すみません。ご婦人とのデートの最中でしたか」
 と言ってやや姿勢を正すと頭を何度かかいた。
「うむ、空気の読める下僕は下僕の中でも優秀な下僕だ下僕王だ!!」
「ちょ、榎木津さんなに言ってるんですか。ただの調査の帰りですから。ええと、あの、どなたかは存じませんが私と榎木津さんはそういう関係ではなくててですね、遠い親戚でしてね」
 この人設定忘れてるんじゃないだろうなと私は訝しく思いながら慌てて訂正すると、青年はなぜか「おおっ!」と感嘆したような声を上げた。それから急ぎ足で正面までまわってきて
「あなたが噂の益田さんの言ってた大将の親戚の女性ですかあ。ははあ、たしかに似てますねえ。髪の色とか、光に当たると茶色に見えるところとか一緒ですよ」
 いや、噂ってなに。益田さんと同じこと言ってるし。だから髪は染めてるんだって。根元がプリンになってきて最近黒染めしてしまおうかと迷っていたのだが。というか血の繋がりはない親族関係になってなかったっけ。
 私がぐるぐるそんなことを考えているうちに
「あ、僕は鳥口守彦といいます。赤井書房っていう出版社で雑誌の編集をしてます」
 彼は――鳥口さんは気づけば目の前のソファ席に腰かけていた。鳥口、をトリ頭か。相変わらず榎木津さんのネーミングセンスは独特である。
「とてもいかがわしい雑誌の編集者だ」
「い、いかがわしい?」
「ああ、その、カストリ雑誌でして……」
 名称だけは聞いたことがある。現代でいうところの、ポルノ雑誌みたいなイメージが強い。
「――トリ頭くんのもあの家に用があったのか?」
 鳥口さんの頭の上あたりを見つめながら、ふいに榎木津さんはそう言った。
「あ、あの家、とは」
「ほら、玄関先に、なんだったかなあ。花だよ花。歌の歌詞にも出てくるじゃないか。それが玄関先にいっぱい咲いていた家だよ」
「もしかしてチューリップのことですか?」
「そうだよそれそれ!」
 華ちゃんの家の玄関先にはチューリップの植えられたプランターが沢山並んでいたのだった。
 鳥口さんの記憶の中に、なにか気になるものを榎木津さんは見つけたのだろうか。
「ああ〜そういえばそんな家の前を通った記憶もありますねえ。いや、実はちょっと興味深い話を聞きまして。お二人は坂口弘明という議員はご存じですか?」
「知らんな」
「すいません誰ですかそれ」
 現代にいたときだって正直政治に関心がなかったのだから、今のこの状況においてなにをか言わんやである。榎木津さんも同じく興味がないのだろうなと思った。
 鳥口さんは「うへえ」と意味のわからない、多分感動詞ではあろう言葉を発してから
「清廉潔白って売りが有名の議員ですよ〜!! まあ本当におもしろいぐらい今まで叩いても叩いても塵一つ出てこなかったわけなんですが、なんと近ごろこの近所で女性と密会をしているという噂を聞きつけまして。實録犯罪もネタ不足なので、とにかく記事になりそうなものならなんでも取ってこいってんで僕は南奔北走してたわけですよ」
 下世話だなあ、という言葉が口から出かけて私は慌ててそれを飲みこんだ。っていうか東奔西走だろう。なに南奔北走って。
「下世話な男だな」
 あ、榎木津さんが代わりに言ってしまった。
「うへえ、相変わらず大将は手厳しいですなあ。まあそれで、僕は先ほど無事に密会場所にむいてそうな路地を発見できたんですね。さすがに真っ昼間に現れることはないでしょうから、喫茶店にでも入って時間を潰そうとしていた時に大将たちを見つけたという」
 ――うん? ちょっと待てよ。
 華ちゃんの家の前。窓。ずっと人が張りついている。男たちが三人。まるで刑事の張りこみのように。議員の密会。路地。
「あの、鳥口さん」
「なんでしょう」
「その路地から、さっき話に挙がった家って近いですか? 見えます?」
点と点が繋がるような気がしてきた。私はふと考えついたことがあっているのかどうか、それをたしかめるために鳥口さんに尋ねてみた。
「見えるもなにもその家の裏側がちょうど路地になってましたけど」
 ――やっぱり。
 わかっちゃったかも。狐の正体。



 翌々日。
 私たちは再び華ちゃんの家を訪れていた。
 ――榎木津さんと鳥口さんの話を聞いていて私がふと閃いたこと。それは、鳥口さんと同じように例の政治家のスキャンダルをすっぱ抜きたい人たちがいて、華ちゃんの家の中でずっとターゲットがやってくるのを張っているんじゃないか、という推理だった。張りこみしていることを外部に漏らされては困るので、華ちゃんとそのお母さんはきっと監禁されているのだ。
 人がずっと窓に張りついている。おそらくそこから見える方向に密会場所がある。鳥口さん曰く噂が流れ始めたのが一週間前ぐらいからだというので、日数的にも辻褄はあうと思う。
 私がそのようなことを説明すると、鳥口さんは坂口議員の密会以上に面白いネタになるかもしれないと食いつき始め、榎木津さんは「ようしわかった! それならマスオロカと猿にも手伝わせよう!!」と言って急に席を立ってしまった。瞬時のうちに彼はなんらかの作戦を思いついたようであった。
 ――その詳しい内容を、私は実は説明されていない。益田さんや関口さんに役割を振る過程で一応はあったらしいが(榎木津さんによるまさに神の啓示みたいな感じだったそうなので、本当のところ説明と言っていいのかどうかは怪しい)その間私は紘子ちゃんの家に行って調査の進捗具合を報告していたのである。
 今日は榎木津さんに引っぱられるまま、とりあえずついてきただけだ。益田さんに尋ねてもみたのだけれど、ニヤニヤするばっかりでなにも答えてくれなかったし。
「あの、榎木津さんこれからなにをー―」
「ふふん、見ていればわかる。おっ、出てきたな」
 私たちは塀の壁にくっつくようにして華ちゃんの家の玄関先をうかがっていたのだが、ちょうどその時誰かが二人急いだ様子で外に飛び出してきたのだった。薄暗くてよく見えなかったけれど、体格のシルエットからしてどちらも男性ぽかった。
 ――私の予想が正しければ、あの人たちが華ちゃんと彼女のお母さんを監禁しているパパラッチなのだろうか。
「一人、は残ったか……まあいいだろう。サンノマエくん行くぞ! これは素早さが命なのだ!!」
「え、あ、ちょ」
 榎木津さんがいきなり駆け出してしまって、しかし私も彼を追うしかなかったので慌てて走り始めた。
「開いているな!」
 と言って榎木津さんは勝手に玄関の扉を開けてしまった。
 それ不法侵入っていうのでは!?
 普通はなにがあるかわからないから警戒して潜入とかするものなんだろうけど、榎木津さんにはそんな常識などない。
 上がり框で靴を音一つさえなぜか騒がしく、部屋の奥から人相の悪いゴツイ男が出てきて
「なんだお前は!」
 と榎木津さんに食ってかかった。
「君は母子を保護してきたまえ!」
「え、えええ……」
 ようやく靴を脱ぎ終え廊下にすっくと立った榎木津さんは、目は男のほうにむけたまま私にそう言った。
 ――だ、大丈夫かな。榎木津さん。雰囲気的にこれから絶対殴りかかってくるでしょ、あの男。身長は高いけど、華奢だし喧嘩強そうには見えないんだけどな。
 まあ私がいたとしても意味はないのだが。足手まといになることは確実である。
うしろ髪を引かれる思いがなかったわけではないが、それでも私は榎木津さんの言葉に従ってわけがわからないなりに素早く男の横を通り抜けると、華ちゃんと彼女の母親を探しにむかった。
 数十分後。
 彼女たちを無事に発見し、軽く事情を話してひとまず外に出ようということになりそろそろと玄関へと戻ると、榎木津さんが男三人分の屍(多分気絶しているだけなんだろうが)を前にして高らかに笑い声を上げている光景が目に飛びこんできた。美しい顔には傷一つついていなかった。
 だから、いや、これどういう状況!?


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