「榎木津さん」
 ――なんだここにいたのか、って探偵事務所を出てくる前に中禅寺さんのところに行くと言っておいたのだが。聞こえてなかったのかな。いや、聞いていなかったのかもしれない。
 どうしたんですか、なにかご用でもありましたか、と私が言おうとしたら彼は
「先ほど紘子という女学生が事務所を訪ねてきた」
「紘子ちゃんが?」
 紘子ちゃんというのは、私が榎木津さんの口利きで紹介してもらった仕事先の代書屋さんの一人娘である。
 歳が近いので仲よくなった。
 なぜ彼女が薔薇十字探偵社に……? 親戚の家(益田さんにもそうごまかしたように、対外的に私は榎木津さんの親戚になっている)に住んでいて、家主は探偵であることは話したけれど……
「僕に依頼を頼んできた」
 榎木津さんはそう言いつつ靴を脱いで、縁側から直接座敷の中に入ってきた。ほどよく日の当たる場所に座る。彼の定位置だ。
「榎さんに依頼!」
 私が半ば混乱していたところに、中禅寺さんの高い声音が聞こえてきた。この人もこんな声出すんだな。その表情をうかがえば、彼は笑いをこらえきれないような顔をしていた。
「受けるのか?」
「受ける!」
「珍しく乗り気だなあ。いつもは嫌がるじゃないか」
「女学生の頼みなのだからな。断る理由はない」
 なんじゃそれは。
 呆れて榎木津さんを見ていると中禅寺さんがこちらに顔を寄せてきて、私の耳元でこっそり「榎さんは女学生が好きだからね」と言った。
「それでお前にも手伝いをだな――」
「僕は嫌ですよ。忙しいんです」
「忙しい? どこが? 座敷でゆっくり茶を啜りながらヨンノマエくんと話していたじゃあないか」
 この前より数字増えてるし。榎木津さんはいつまでたっても私の名前を覚えてくれない。ハナから覚えるつもりがないのかもしれないが。
「これから忙しくなるんだよ」
「これからねえ……」 
 じっとりとした目つきで榎木津さんが中禅寺さんを見る。
 今、彼の視界にはどのような光景が映っているのだろうか。帳場にやってきた私の姿。和菓子屋さんの紙袋。少し渋めのお茶。
 ――沈黙。
 私はなんだかそれに耐えきれなくて、慌てて口を挟んだ。
「あ、あの、紘子ちゃんはどんな依頼をしにきたんですか」
「それはあのバカオロカが今から話す」
「え」
 バカオロカって、益田さん? ああ駄目だ。私の中でもバカオロカ=益田さんという榎木津さんのニックネームの方程式が着々と成り立ってしまっている。
 彼が人さし指を縁側のほうにむけたのでそちらに視線を送ったのだが誰もいなかった。おかしいなと思っていると、少ししてから人が駆けてくるような足音とへろへろした声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと榎木津さん急に先行かないでくださいよ〜! よくあんな坂走って上れますねえ」
「益田さん」
 榎木津さんが指さしているまさにその地点に、彼は登場してきた。
「あ、一さんこんにちは。っても今朝もお会いしましたよね。中禅寺さんもこんにちは」
「おいマスカマ挨拶なんて後でいいから依頼内容をさっさと説明する!」
「最初に挨拶除いたらなんも残らんでしょうに。第一、説明しろって探偵には守秘義務というものがあってですねえ」
 益田さんはそう言いながら靴を脱いで座敷に上がった。伸びてきた前髪が乱れていた。彼は最後まで空いていた、榎木津さんのむかい側に座った。
「手伝わせるんだから立派な関係者だ」
「だから僕は嫌だって言っているでしょう」
「まあ中禅寺さんがいれば心強いですけどねえ」
 ――益田さんが語ってくれたのは以下のような内容であった。って結局話すんかい!!
 

 紘子ちゃんと同じクラスで友達の華ちゃんという子がしばらく学校に来ていないのだという。担任の先生曰く“風邪で寝こんでしまっている”らしいのだが、どうも紘子ちゃんはそれを疑っているようなのだ。
 自分がコックリさんなんて誘ってしまったから、華ちゃんは本当は狐に憑かれて外に出られなくなってしまったんじゃないかと考えているそうなのである。
 

「一度家にも行ってみたって言ったんですけどね。対応してくれた華ちゃんのお母さんの様子もなんだか尋常じゃなかったってんで、いよいよ疑いが深くなったらしいんですわ。でもこんなこと誰に相談したらいいかわからなくて困っていた時に榎木津さんのことを思い出して探偵を訪れたですって」
「狐憑き、ですか」
「一さんはどう考えられます?」
「え、ええ……どうって……にわかには信じがたい話ですね、としか」
 現代から昭和へとタイムスリップしてきてしまったと主張している人間が言っていいことではないかもしれないが。
「ですよねえ。まあ僕も同じ感想です。普通に風邪で寝こんでいるだけだろうと」
「でも尋常じゃなかったってどういうことなんでしょう。もし虐待とかだったら……」
「いやいや、それは――ありえるのかなあ。どうなのかなあ。華ちゃんは母子家庭だそうなんですが、お母さん思いの優しい子だと僕は紘子ちゃんから聞きましたよ」
「じゃあ母親の恋人とかが」
「そもそもコックリさんというのはね」
 その時、ずっと沈黙を守っていた中禅寺さんが会話に割って入ってきた。
「長くなりそうだから終わるまで僕は寝ている!」
 そう言った榎木津さんは、大きな体をいつかのように畳の上へ横たえた。


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