陽炎の君 | ナノ
夏の気まぐれ


大学が夏休みに入ってから一週間ほどたった。そのとき私は少し遅めの朝食をとりながら焼きすぎたトーストをかじって、学生期におけるモラトリアムとはこれのことなのだろうかとぼんやりとした頭で考えていた。
三成くんが帰ってきたらしい。東京から帰省したのだと。母親は私へむかってたしかにそう告げた。

「ふうん」
「反応が薄いわね。せっかくの幼なじみじゃない」
「別にそんなことないと思うけど。普通だよ」

石田三成。幼なじみの名前をそういった。彼は高校卒業と同時にこんな中途半端な田舎を出ていき、東京の有名な大学へと進学をはたしていた。
高校時代のことである。進路を決めなければならない時期にさしかかって、いよいよ慌てふためきはじめていた私とは違い、三成くんにはすでに将来のビジョンと呼ぶべきものが確立していたようだった。私が自宅から通えそうな距離にある大学や専門学校のパンフレットと睨みあいをしていたときにはもう、希望していた大学の赤本すら読んでいたほどだ。
私はそんな彼をとてもまぶしく思う反面、夜空に浮かんだ月と同じくらい遠い存在にも感じていた。
やがて数ヶ月がたつと彼は上京していき、私は地元の大学に通いだした。

「ねえ、詩織」
「なあに」
「話のついでだし石田さんのところにお野菜持っていってちょうだい。昨日おじいちゃんから届いたやつ。うちだけじゃ食べきれないし」

背後のキッチンでカレーを作っていたはずの母親が、いつのまにか小ぶりの段ボール箱を抱えて隣に立っていた。どしん、という音を鳴らしてそれを机へ乗せる。真っ赤に熟れたトマトやどっしりと重みのありそうなナス、緑の濃いキュウリなどたくさんの夏野菜がダンボールの中には詰まっていた。
重そうだなと思いながら、なんで私がと口にすると

「家にいてもどうせ怠けてるだけなんだから、少し働いたっていいでしょう。早く行ってきなさい」

と半ば追いたてられる勢いで正論を言われたので、私は仕方なく椅子から立ち上がって出かける準備をするしかなかった。
*
ダンボール箱は想像していた以上に重かった。ずっしりと負担のかかった両腕がとてもだるい。指先に箱のふちが食いこんでいてとても痛い。
三成くんの家まではたった数十メートルほどの距離しかないのだが、荷物と厳しい日ざしのせいで私は次第にまいってきた。うっすらと汗が額に滲みはじめているのがわかる。
夏は嫌いだ、と私は暑さでぼんやりとしてくる頭の中で思った。夏は嫌いだ。海もプールも花火大会も夏祭りもあるし、アイスクリームもおいしいけれど、やはり夏は嫌いだ。
やっとのことで石田家の門をくぐると、敷地の左手にあるささやかな庭ではたくさんの朝顔が綺麗な花を咲かせていた。紫、青、白などという単色のものもあれば、ストライプ柄のようなものもある。水をやられたばかりなのだろうか、全体がキラキラと輝いており、まるで宝石のようだと見惚れた。
玄関の前まで歩いていって、石畳のポーチの上にダンボールを置いてから呼び鈴を鳴らした。すっかりおばさんが出てくるものだと思っていたので、実際に現れた人物を見たとたん思わず口から「あ」と漏らしてしまった。
前々から細い体格をしていたにもかかわらず、またいくらか痩せたような気がする。むこうでちゃんと食べているんだろうとか、不摂生な生活をしているんじゃないだろうとか少し心配になった。それでも頼りない印象を受けないのは、きっと首まわりやシャツから出た二本の腕にはちゃんと男の子らしい筋肉がついているからだ。
どうやら三成くんはなにを言えばいいのか迷っている様子だった。つり気味の瞳をこちらにむけ、口をわずかに開いては閉じ開いては閉じを繰りかえしている。
しかしそのうち

「詩織か。その、久しぶりだな」
「お久しぶりだね」

日常から物事をはっきり言おうとする彼にしては、今みたいな態度は非常に珍しいと思った。私は少し違和感を抱きながら

「東京はどう? やっぱり人って多いの」
「毎日が騒がしい」
「へえ、こっちは相変わらずだよ。そういえばおばさんいる? お母さんが野菜を届けてきてって言うからさ」

私は足元に置いてあったダンボール箱に視線を落として言った。

「今は出かけていていない。だが、ちょうどよかった。用事があって外に行こうとしていたんだ」

そう言われて再び視線を上げると、私は今初めて彼が右肩に鞄をかけていたことに気づいた。服装も簡素ではあったが、大学生らしいおしゃれな格好をしていた。

「じゃあ本当にちょうどよかったね。どこに行くつもりだったの」
「高校だが」
「高校?」

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