石田、こっちを向いて。 | ナノ
石田、こっちを向いて。


体育館はどこか浮き足立った雰囲気に包まれていた。

「明日から夏休みが始まりますが、みなさんくれぐれもハメを外しすぎないよう――」

壇上の上で校長先生が全校生徒にむかって語りかけている。テンプレートもテンプレートな挨拶だ。思わずあくびが出そうになり、慌てて口に手を当てた。
今日は一学期の終業式だった。そう、明日から夏休みなのである。高校最初の夏休みだ。なにをしよう。海に行きたい。夏祭りに行きたい。花火も見たいな。
けれどまずそれらの前に、私にはやっておかなければならないことがあった。
――詩織くん、いいんだよ。もういいんだよ、自由になって。僕も歩き始めるから。
先輩は私を抱きしめながらそう言った。その声は落ち着いていて安堵を感じさせるものだったけれど、どこか絞り出しているようでもあった。
自由になる、とはどういうことなんだろうか。わたしはずっと先輩に縛られていたということなんだろうか。私が石田くんとつきあうことが、自由になるということなんだろうか。
よく、わからない。だけどいつまでも答えを先伸ばしできるわけではない。
今日しかないと思っていた。明日から夏休みが始まってしまうから。終業式日の今日しかもう石田くんと会う機会はない。
*
なにを話したらいいのか延々と考え続けていたものの、結局浮かぶことはなく、そうこうしているうちに終業式も成績表の受け渡しも担任の先生の諸注意も終わっていて、気づけば下校の時間になっていた。軽い足取りでクラスメイトたちがどんどんと教室を出ていく。
――もう、しょうがない。当たって砕けろ、だ。
密かにそう決意を固めて私が鞄を肩にかけたとき

「ねえ、一緒に帰らない?」

友人がやってきて言った。

「ああ、ごめん。ちょっとまだ学校に用事があってさ」
「そっか。わかった。夏休み、どこか遊びにいこうね。連絡するから」
「うん」

じゃあね、と手をふって友人は踵をかえした。そのまま教室の出入り口へと歩いていったが、急に立ち止まるとこちらをむいて

「詩織」
「なに」
「辛いときは本当になんでもいいから話すのよ。そりゃあ言いづらいこともあるだろうけど、友だちなんだから」

その言葉は私の胸に強く迫ってきた。温かかった。だけど同時に少しばつも悪かった。きっと彼女は私の嘘なんか一発で見抜いていたのだ。
私はまるで自分にも言い聞かせるみたいに、一言一言ゆっくりと噛みしめながら

「……ありがとう。でももう、大丈夫だから」
「嘘じゃないのね?」
「うん」
「ならいいのよ。じゃあ、またね」
*
「石田くん」
「野田」

彼は教室の窓の近くでたたずんでいた。他の生徒は誰もいなかった。
まるで私が来るのを知っていて、待っててくれたようだと思った。

「なんか久しぶりに話すね」
「お前が私を避けていたからだろう」
「それは……」

正論すぎてぐうの音も出なかった。

「だがようやく返事とやらが決まった。そうではないのか?」
「そうだよ。だから私はここに来た」

そう言った自分の声は思いのほか震えていた。緊張していた。無意識に強く握っていた手のひらの中がじっとりと汗ばんでいくのがわかった。
偉そうなことを口にしたわりには、頭はやはり真っ白だった。だけど、言わなきゃ。伝えなきゃ。なんでもいい、私の素直な気持ちを。

「私、先輩から聞いたの。先輩が私を好きだったこと。だけど婚約者がいたこと。そして石田くんは最初から――」
「そうだ。私は最初からお前を愛していた」

翡翠色の瞳がまっすぐこちらにむけられる。窓からさしこんできた夏日が彼の髪に当たって、キラキラと輝いていた。綺麗だった。

「先輩は謀って私たちに偽装恋愛をさせた。さすがにその話を聞かされたときは騙されたと思って腹が立ったけど、結局、私も石田くんも先輩もみんな悪かったんだよ。そしてみんな悪くもなかったんだよ」

自分を責めることと他人を責めること。それは全く違うようでいて、本質は一緒だ。人は誰かのせいにしなければ生きてはいけないから。
もう、やめるんだ。私は自由になりたい。歩き始めたい。

「正直言うと、私が先輩にむけていた気持ちを石田くんにもむけられるかどうかはわからない。でもたしかなことが一つだけある。私はこのまま石田くんと別れることになるのは嫌だと思ってしまった。身勝手なわがままだとは思ってる。だけどこれが私の精一杯の答えです」

そう言葉をしめると、急に石田くんが背をむけたのでなにごとかと思った。
ひょっとして照れてでもいるのか? あの石田くんが? そう言えば心なしか耳たぶが赤くなっている気もする。
私はなんだか嬉しくなってしまって、弾んだ声で

「石田くん、恥ずかしがってるの」
「う、うるさい!」
「ええ、酷いなあ。ねえ、こっちを向いてよ」

石田くんが私をふりかえると、彼の銀色の髪がかすかに踊った。

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