Girls,be ambitious! | ナノ
かき捨て


「憎悪が! 永劫に! 輪廻する!!」
「ちょっとお兄ちゃん、そんな憎悪の味にまみれた感じのお蕎麦は食べたくないんだけど」

隣でそう声を上げながら蕎麦を打つお兄ちゃんに、私は少し不満気に言う。
あ、けっこうまだ手にくっついてくるな。意外と難しい。
福井旅行二日目の朝。私とお兄ちゃんは蕎麦打ち体験に来ていた。
蕎麦粉と小麦粉はあらかじめ練ってくれていた物から作る。しかしこれがけっこう大変だ。ぁなり力と体力がいる。職人さんってすごいなあ。

「はい、それでは次に今練ってもらった生地を麺棒を使って伸ばしてもらいます。なるべく四角形になるように気をつけてくださいね」

講師さんがぐるぐると部屋の中をまわりながら言う。私たち以外にも何組か蕎麦打ち体験に来ている人たちがいるのだ。
……どうしよう。全然四角にならない。むしろどんどん遠ざかっているような気さえしてきた。ずっとお父さんと二人暮らしで、家事は私の担当だったから料理は得意なはずなのに。もしかしたら関係ないのかもしれない。
ふと隣のお兄ちゃんを見る。なんと綺麗に四角形に蕎麦がたいらに伸ばされているではないか。そしてそれを三つ折りにした物を包丁を使ってものすごいスピードで切っていく。
お兄ちゃんの隠れた能力がこんなところで判明するとは……

「君、なかなか筋があるね。どう、うちで働いてみない?」

すかさず講師さんがお兄ちゃんのそばにやってきて、感心した声を上げる。
しかしお兄ちゃんは

「いえ、私は医者を目指しているので」

ときっぱり言った。すでに蕎麦を全部切り終えている。

「へええ、そりゃ納得の包丁捌きだ」
「包丁とメスではだいぶ勝手が違うと思いますが……」
*
ザルの上に山盛りに乗せられた蕎麦を箸ですくい、つゆにつける。それを一気に啜り上げる。

「ううん……」
「どうした」
「これ、蕎麦じゃないよ」
「……じゃあ今まで私たちが作っていた物はなんだったんだ」

蕎麦である。私たちが手ずから打った蕎麦である。
しかし、違うのだ。なにかが違う。蕎麦とはすでに別物、というかなにか麺らしきものにつゆをつけて食べているというだけの気がするのだ。そして、そのうちにだんだん自分が自分の意思で蕎麦を食べているのか、食べさせられているのかわからなくなってくる。

「おいしくないっていうか、なんだろう。蕎麦屋さんで食べるお蕎麦とは違う味がする……ぶちぶち切れて食べにくいし。やっぱりプロのが一番だってことだね」
「……母上と父上になってさしあげたらお喜びになると思ったのだが」
「ああ、私、お兄ちゃんにあんな特技があったなんて思わなかったよ。本当にお蕎麦屋さんになれるんじゃないかと思った」

そういえばお兄ちゃんが包丁を握るところを初めて見た気がする。そう、お兄ちゃんは料理がからっきしダメなのだ。いや、家事全般と言ったほうがいいだろうか。きっと一人暮らしなんかしたら最後、家じゅうが汚部屋と化して足の踏み場もなくなり、一日三食コンビニ弁当あるいは忙しさにかまかけてご飯を食べないことも出てくるかもしれない。それは、すべて国民は健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、という日本国憲法の条文に明らかに違反した生活だ。憲法違反だ。
だからこそ、そんなお兄ちゃんが見事な包丁さばきでもってお蕎麦を切っていくところを見たとき、私はひどく驚いた。

「……私は医者を目指していると――いや、まあ、それなりに楽しかった。ありがとう」

お兄ちゃんは薄い唇の両端を少しだけ上げて微笑んだ。普段はナイフみたいに鋭い表情が一気に柔らかくなる。もし島さんなんかがこれを見たらびっくり仰天して裸足で逃げ出すに違いない。

「ううん、お兄ちゃんが喜んでくれたならよかったよ。私も嬉しい。ところで、今から行きたいところある? 夕方の電車までにはまだ時間あるし」
「そうだな……」

しばしの沈黙。福井ってほかになにがあったっけ。恐竜博物館。丸岡城。永平寺。
お蕎麦を食べながら考える。今さらながら、なんか、福井の観光名所って地味に渋いところが多いな。

「東尋坊はどうだ」
「東尋坊ってあの東尋坊? よくサスペンスドラマの崖のシーンでよく使われてるとこだよね」
「サスペンスはよくわからんが、まあ崖だな。眺めが綺麗だぞ。ここからそんなに遠くもないし、どうだ?」
「わかった。じゃあ東尋坊に行こうか」
*
「私、東尋坊ってもっと閑散としてるかと思ってた」

お兄ちゃんは知らないと言ったけれど、私はサスペンスドラマのあの荒涼とした崖のシーンでしか東尋坊を知らなかったため、すっかり殺風景な場所だとばかり思っていた。しかし今、私たちが歩いている道の両脇にはずっと先までお土産屋さんが並んでいる。

「あ、見て見てお兄ちゃん。変なTシャツがあるよ」

店先にずらりとTシャツが置かれているお土産屋さんが目に飛びこんできた。
黒地に白で、芋けんぴ殺人事件と書かれている。これは自分が食べようと思っていた芋けんぴを誰かに食べられてしまった、ということなのだろうか。っていうか、芋けんぴ人じゃないな。

「……私が犯人です。左近にでも買ってってやろうか」
「それ、島さん多分二重の意味で泣いちゃうと思うよ。ああ、芋けんぴTシャツと一緒に送るとちょうどいいかもね」

もはやどこに行ってきたのかわからないお土産のチョイスである。

「すまない、これを一つ」
「はい、千五百円お願いね」

島さんどうするんだろう。お兄ちゃんからもらったら、着ないわけにはいかないだろう。けれどおしゃれな彼が外へ着てくるとは考えにくいので部屋着とかになるんだろうか。
お土産屋さんを出て再び奥のほうへとむかう。
歩いているうちにだんだん目の前の景色が開けてきて海が見えてきた。

「これって日本海なんだよね」
「そうだな」
「へええ。私初めて見た。すごいなあ」

思わず小走りになって近づいていく。
ただ青い海ばかりが延々と先まで続いていて、普段私たちが過ごしている陸地がなんとちっぽけであるかということを思い知らされたように感じた。水面に光を受けてキラキラと輝いている様子はとてもまぶしい。

「写真撮ろうかなあ」

ぼそりと私が呟くと

「映るぞ」

追いついてきたお兄ちゃんの声がうしろから聞こえた。

「へ」
「霊が映る」
「そうなの」
「東尋坊は自殺の名所なんだ。下を見てみろ。ああ、あまり身は乗り出すなよ」

崖のゴツゴツとした岩肌と、海。波が寄せては返し、岩に白波が砕け散っている。その勢いは凄まじく、先ほど遠目で見たときとはまったく異なる印象を受けた。怖い。わずかに足が震えた。
たしかに、ここは確実に死ねそうな気がする。あまり意識していなかったけれど、それなりに高い場所だし飛びこんだら最後着水の衝撃で激痛とともになすすべもなく海中へと沈んでいってしまうだろう。

「本当に幽霊が映るの」
「ああ」

その顔は至極真面目で、私は少し面食らった。珍しい。お兄ちゃんがそんな非科学的なことを言うなんて。

「私、お兄ちゃんは生粋の現実主義者だと思ってた」
「昔、父上にそう教えてもらったんだ。ここへ来たときに」
「それって前のお父さん?」
「そうだ」
「へえ、面白いお父さんだったんだね」

そのあとすぐ事故で亡くなってしまったんだがな、と答えたお兄ちゃんの声は珍しくぼやけていた。
そうか。私は気づいた。この土地はお兄ちゃんとそのお父さんの最後の思い出の地だったのだ。大切な場所だったのだ。そして旅行先に福井県を提案したのは、お兄ちゃんだった。
ふと島さんの言葉を思い出す。三成様がどこか嬉しそうにスケジュール帳を見ていた、という島さんの言葉を。
ああ、嬉しいな。胸がじんわりと温かくなっていく。どうしてそう感じるのか理由は説明できなかったけれど、非常に満たされたような心持ちだ。

「お兄ちゃん」
「なんだ」
「今さらかもしれないけど、私たちがこうやって兄妹になったのもなにかの縁だと思うの。だから、これからもいろんなことを話して、共有して、一緒に遊びにいこうね」

お兄ちゃんはかなり背が高いから、自然と見上げるかっこうになる。
ふいにお兄ちゃんは右手を持ち上げると、私の頭を軽くニ、三度なでた。無言のメッセージ。わかる。それはきっとお兄ちゃんも私と同じ思いということだ。

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