アネモネ | ナノ
01


不思議な光景を見た。
私は水に浮かんでいる。海ではなくて、多分あれは恐ろしく広い湖だったんじゃないかと思う。
強い風が吹いて水面を揺らした。波打った水が私に覆いかぶさって、体は水中へと叩きこまれる。
まるで水底に吸い寄せられるように沈んでいく。不思議にも呼吸はできて、もがくこともあがくこともせず、私はすべてに身を任せていた。水中から見上げた空はとても青かった。
 



目を開けて一番に飛びこんできたのは青空だった。雲一つない。それからたくさんの落葉した木々が視界の端に映った。
私は物騒にも地面に大の字を描いて寝ていた。上体を起こすと、降り積もっていた落ち葉が音を立てながら体を滑り落ちる。
ここはどこなのだろう。少なくとも家の近くではないことは言える。近場にこのような場所はないはずだ。
夢でも見ているのか。いや、そもそも私は眠っていたんだっけ。今より前、自分がなにをしていたのかという記憶がごっそり抜けてしまっている。
私は立ち上がって辺りを歩いてみることにした。楽観的に、もしかしたら誰かに会えるかもしれないと思った。
しばらく歩いていると、ここは山の中らしいということが分かってきた。
時折、風の吹く音に混じって鳥のさえずりが聞こえる。

「お主か」

後ろから声が聞こえて、私は気づけば反射的に振り返っていた。
人、なのだろうか。私は今自分の見ているものが信じられなかった。
頭部に頭巾と鎧兜を合わせたような物をかぶっている。後ろに付いているは蝶のモチーフであろうか。上半身に紅白の鎧、下に股引らしき物を履いている以外は、すべて包帯で巻かれていた。
そしてなによりも驚いたのが、浮いていたことである。魔法の絨毯ではないけれど、謎の浮遊する乗り物に胡坐をかいて座っているのだ。
なんだこれ。私は唖然とするしかなかった。私の目の前で一体なにが起ころうとしている。

「お主か」

今度はもう少し強い口調で。喋るのに合わせて口元の包帯が上下する。

「あの、なにがですか。私、信じてもらえないと思うんですけど、気づいたらこの山の中で寝ていて。だからなにもかもさっぱりで。ここ、どこなんですか」

狐につままれる気持ちというのは、こんな感じのことを言うのだろうかとぼんやり思った。
蝶々さん(これからそう呼ぶことにした)はなにかを納得したように、確信のこもったような頷き方をした。その表情は包帯のためにわからない。

「主の名はなんと申す」
「名前? 詩織ですけど……野田、詩織」
「そうか。なれば我とともに来やれ」
「はい?」

そう言うなり蝶々さんはくるりと背を向けて、私が通ってきた道を戻り始めた。
知らない人にはついて行くな。子どものころ、耳にたこができそうになるくらい親からも祖母からも幼稚園の先生からも言われたことがある。けれどそれは多分私だけじゃなくて皆もだ。
蝶々さんは「一緒に来い」と言った。私ははたしてそれに応えてもいいのだろうか。
私は迷った。けれど数秒のちに答えを出して、私は蝶々さんを追うことにした。
蝶々さんはきっとなにかを知っている。ここがどこなのか。どうして私がここにいるのか。これが夢なのかそれとも現実なのか。そんな予感がした。
そしてなによりも、蝶々さんの言葉に逆らってはいけないような気がしていた。

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