アネモネ | ナノ
32


「三成様、豊臣秀吉を討ったのは徳川様ではありません。そして徳川様、松永久秀はまだ生きています」

そう言った瞬間、二人は一斉にわけがわからないという顔をした。無理もない。今まで真実だと思っていたことがすべてひっくりかえされてしまったのだから。

「巫女殿、それはいったい……」

最初に口を開いたのは徳川様のほうだった。
私はやはり畳みかけるようにして

「お話はひとまずあとにしましょう。今は松永久秀のもとへむかうのが先です。居場所はわかっています」
*
空を飛んでいるというワクワク感はどちらかといえばなく、直接体に吹きつけてくる風に座っていてもバランスを崩しそうになる。うしろでは轟々とエンジン音のようなものが鳴り響いていた。
私たちは徳川様の機転により、本多忠勝の背中に乗って目的地へとむかっていた。

「なぜ貴様がここにいる! 城に残っていろと言ったはずだろう!!」

耳がキーンとなるほどの大声で三成様には怒鳴られた。白い額には何本もの青筋が浮かんでいて、鬼にも近い形相をしている。

「島様に連れてきてもらったんです。でも私が勝手にむりやり頼んだことなので、島様には怒らないであげてください。そういう約束なんです」

懇願するように頼むと、そんなことは知らんという冷たい返事が返ってきた。背中をむかれてしまう。
私は心の中で密かに謝った。島様ごめんなさい。あとで二人まとめてお説教コースになりそうです。

「それよりも詳しいことを教えてほしい。松永が生きているとはどういうことなんだ?」

徳川様にそう言われ、私は順を追って今までのことを二人に話しはじめた。徳川様が私に教えてくれたこと。そしてそれに大谷様は気づいていたこと。松永久秀はまだ本当は生きていて、けれど地縛霊であることなどを。
すべてを言い終えたとき、あたりにはなんとも表現しきれない空気が漂っていた。唖然とか、落胆とか、とにかくそのような感情がごちゃごちゃになって空中に混沌としたまま放りだされてしまったかのようだった。
突然ガタン、という音がして私の右隣に座っていたはずの三成様の姿が消えていたことに気づいた。不思議に思い、目を反対側にむけると彼が徳川様の体の上に乗っかってその首を締めていたのでひどく驚いた。

「貴様は何度私を謀れば気がすむんだ!! 答えろ家康!!」
「三成、ワシは……」

先ほどよりもさらに大きな声で叫ぶ三成様に、どんな言葉をかけていいのか私はもうわからなくなっていた。
小手越しにでも見える、一本一本の指が高く盛り上がった三成様の手。次第に血色が悪くなっていく徳川様の顔。そうとう苦しいはずだ。それでも抵抗しようとする様子はまったくなかったので

「殺さないで!」

思わずそう言いながら私は三成様の両肩をつかんだ。
まるで水をうったような瞬間がその場に訪れた。人の声だけじゃなくて、空を飛ぶエンジン音でさえも。
ゆっくりとこちらをむいた三成様の瞳からは、赤色の液体があふれていた。血涙だった。涙は彼の白い頬に跡をつけて首筋へと流れていく。

「なぜ貴様が家康の肩を持つ!?」

それは世界じゅうのなにもかもから拒絶を受けたような表情だった。自分はずっと一人だ。永遠に一人だ。自分を理解してくれるものなんていない。自分が信じられるものなんてこの世にありはしない。

「違う! そうじゃない!! そうじゃなくて、三成様に殺してほしくなかった。徳川様を。あなたが手を下さなければならないのはこの人じゃないはずです。きっと、必ず。
だからその手を離してください。お願いします」

肩をつかんでいる手にぎゅっと力をこめた。普段は広くて大きいはずのそれが、今ではとてもちっぽけに見えていた。
やがて三成様は諦めたようにして徳川様の首から指を離すと馬乗りの姿勢を解いてくれた。うっすらと喘ぎながら徳川様が体を起こす。

「……すまなかった、三成。それでもワシはお前に生きてもらいたかったんだ」
「貴様の思惑など知るものか。いらぬ世話だ」
「そう、だよな」
「だがコイツの言うとおり秀吉様の真の仇は貴様ではない。松永久秀だ。私は貴様を殺さないと決めた。それでも豊臣から離れた過去は決して拭えない罪であることを心の臓まで刻みつけておけ」
「ああ、わかった。ありがとう」

そこで徳川様はぱっと空気を切り替えるようにして

「ところで今はどこへむかっているんだ?」
「豊臣秀吉と松永久秀が最後に戦った場所です。彼はおそらくそこに」
「なにか根拠でもあるのか。以前行ったとき誰かがいる様子はなかった」
「……臭いと、夢です」

あの場所ではタンパク質の焦げたような臭いがしていた。しかもそれは私にしかわからなかったらしい。
毛利軍の兵士さんに攫われる直前まで見ていた不思議な夢のことも気にかかる。あの場所で男が二人互いに対峙していた夢だ。あれはきっと単なる夢ではなくて、実際に起こったことだったに違いない。
私がそのようなことを徳川様と三成様に語ると、不思議だなあと呟く声やフンと鼻を鳴ららした音が聞こえてきた。
ふと思い出したのは大広間での出来事だった。私は三成様の暗殺を未然に防いだ。突然脳内に映像が流れこんできたことによって。
どうしてあんなものが見えたのか、やはり今でもわからない。見なければならなかったのか。
予言。不思議な力。未来を変えることのできる力。私の与えられた――いや、違う。これはきっと、私自身がいつしか欲しいと心から望んでいたものだった。
エンジン音が静かになって、体がふとななめに傾く感覚を得た。どうやら着いたらしい、という徳川様の呟く声が聞こえた。
じゃりじゃりと互いに砂を鳴らしながら私たちは地上へと降りたった。以前と同じく、やはり岩に囲まれた空間におそろしい広さの砂地が広がっているだけだ。殺風景という言葉がよく似合う。

「少しばかり遅い到着だったね。待ちくたびれてしまったよ。東照と凶王。そして巫女よ」

それは長身の立派な体格をしている男だった。音もなく、影もなく、まるで空気中のあらゆる粒子が一瞬にして集まったように唐突に私たちの前へ現れた。
白と黒のコントラストがきいた戦装束を身につけ、髪を高い位置でまとめている。彫りの深い顔立ちはハンサムな印象を受けると同時に、どこか底知れぬ恐怖感も抱かせた。
破滅、という一言がふと頭の中に浮かんできた。灰燼に帰してしまうほどの強い炎ですべてが焼かれ、なにひとつとして残らず消えさる。彼によって。この男は危険だ。ありとあらゆる意味で。
私たちは彼にはたして勝てるのだろうか。

「答えろ松永! 秀吉様を葬ったのは貴様か!!」

最初に松永久秀へ詰めよったのは三成様だった。般若のお面よりももっとすごい形相をさせて前方を睨みつけている。

「ああ、そんなこともあったかな。随分と昔のようにも感じてすっかり忘れてしまったけれど。まだ私の肉体がこの世に存在していた時分のことだったか」
「……殺すっ!! ……殺してやる!! 十六寸にまで斬り刻んでやる!!!」
「いけない三成! 今、松永はただの地縛霊にしかすぎない。闇雲に傷を与えたとしても、完全に奴がこの世界から姿を消すことはないんだ。根本をなんとかしないと」
「根本、だと……」

根本。私もその意味を考えてみる。
地縛霊というのは本来、自分が死んだことを受け入れられなかったり理解できないでいて、その場所や建物から離れられずにいる幽霊たちのことだ。しかし彼の言い方を推測してみるに、どうやら自分が死んだ事実を受け入れて理解もしているらしい。
己の死、それ以外になにか強く松永久秀を現世へと繋ぎとめているものがあるのだろうか。だとしたらそれは――

「あなたの目的はなんですか」
「君だよ。その能力、先読みの巫女にも劣らないと聞く。私は君を望んでいた。だから呼びだしたのだよ。焔の香りと、私の見せた束の間の夢でね。そして君たちは見事にやってきてくれた。感謝するよ」
「ふざけないでください。私は巫女でもないし、この力だって与えられたものじゃない。私が望んだんだ。私自身が望んで手に入れた力。他の誰でもない三成様のために。三成様を生かすために」

まんまとはめられていた事実に恥ずかしさや憤りのようなものを覚えたけれど、まず口から飛び出してきたのはそんな言葉だった。誓い、とでも言っておこうか。
松永久秀は鼻で笑ったような様子を見せたあと「君の事情など私は知らないよ」と口にしてから緩慢とした動作で片腕をあげた。
私は思う。夢と同じだ。あのときは途中で目が覚めてしまったけれど。

「それでは始めようか。巫女を賭けて、ね」

彼の白手袋に包まれた指がパチンと鳴ると、仕組みはわからないがものすごい爆発音と爆風に襲われた。次いで周囲を熱い空気がとりかこむ。
ゆっくり薄目を開けばもうもうと舞い上がっている砂煙のなかで、三成様と徳川様が松永久秀の刀を受け止めている光景が目に飛びこんできた。戦闘はすでに始まっていたのだ。

「なんだか久しぶりだな。こうしてまたお前とともに背中を預けあう日が来るなんて思ってもみなかったよ」
「余計な口をきくな。死にたいのか」
「三成はあいかわらず厳しいなあ、っと!」

金属音を響かせて徳川様の手甲が刃を弾く。その隙を狙って三成様が刀身をふるったけれど、動きを読んでいたかのように松永は素早くうしろへと下がった。
打ってかかっては避け、避けては打ってかかるという動作が互いに繰り返された。人数ではこちらが有利であるが、松永はむしろ余裕そうな表情さえして私たちを嘲笑っているふうだ。
そもそも、と思う。彼には肉体がないわけで、どれだけ攻撃をしようとも無駄になってしまう。徳川様の言っていたように。
すべての問題は私にあった。欲されている私がいる限り、その執着を現世にとどまる糧としている松永久秀もまた存在しつづけるからだ。
だから答えは簡単だった。私がいなくなればすべてが終わる。
私はふと思い出してスカートのポケットを探ると櫛を取りだした。木で作られた小ぶりの櫛。渾身の力を使い、彼らのほうへむけてそれを投げつけたと同時に今までとは比にならないくらいの大きな爆発音がしてあとの記憶はない。

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