アネモネ | ナノ
31


「残っていろ、ですか?」
「そうだ。貴様はここに残っていろ。聞こえなかったのか?」

徳川家康の挙兵を受け、人々が一斉に戦支度へ取りかかりはじめた城内は、かつてないほどの騒がしさで溢れかえった。兵糧の準備をする人、武器を運ぶ人、馬を引く人などが忙しなく動きまわっている。
私は人垣を縫うようにして表門まで歩いていった。そこには三成様がいて、とても立派な白馬に乗った彼は出陣のときを今か今かと待ちわびている様子だった。

「三成様」
「どうした。こんなところまで」
「私も連れていっていただけるんですよね。関ヶ原」

これは非常に重要な問題であった。なにしろ今の私は、最終兵器とも爆弾とも呼べるものを抱えていて、関ヶ原に行って徳川様と三成様の二人がそろった状況で真実を話さなければならないのだ。
だから、貴様は城に残れと聞いたときには一瞬自分の耳を疑った。思わず食ってかかるようにして

「な、なんでですか」
「貴様が来たところでなんになる。足手まといでしかない」
「でもあなたを救うためには、私が関ヶ原に行くしかないんです」

必ずどちらかが死ななければならないのだとしたら、きっと選ばれるのは三成様のほうだ。そうして徳川様は誰にも言うことのできない嘘をこれから一生背負いつづけていくことになってしまう。
悲しすぎるじゃないか。私はそんな未来なんて決して認めたくなかった。
深く頭を下げる。お願いだからどうか連れていってください、と。
しかしそれは彼の「くどい」という一言によってばっさりと切られてしまった。これ以上聞く耳は持たないと暗に言われた気がして、私は引きさがることしかできなかった。
貴様が来たところでなんになる。足手まといでしかない。くどい――悔しいと思った。腹が立った。自分自身に。どうして私は彼の口からこんなことしか言わせられないんだろう。
それから予定どおりに一時間後、三成様は軍勢を連れて関ヶ原へと行ってしまった。
*
自室の前の縁側に座りこんだ私は、すっかり日の暮れた中庭をじっと眺めていた。今夜の月は丸くて綺麗だ。煌々と輝いて地上に光を落としている。
どうしようか、と思った。これからどうしようか、と。たしかに引きさがりはしたものの、決して私は諦めたわけではなかった。別に三成様が一緒に連れていってくれないのなら、こちらから勝手についていけばいいだけの話だ。
ただし問題は、私一人だけでは絶対に関ヶ原へはたどりつけないということにあった。道もわからなければ、最も速い移動手段である馬にも満足に乗れやしない。いっそ、今もちゃくちゃくと戦場へ運びこまれつつある積荷の中に隠れてしまおうかと考えていたとき

「なんにも羽織らずににこんなところで座ってたら風邪ひきますよ」
「島様」

背後から声がしてふりむくと心配そうな笑みをたたえた島様が立っていた。その手には目の覚めるような赤色の羽織りが握られている。彼はそれをゆっくりと私の肩にかけてから隣に腰をおろした。
ずっと思っていたけれど、多分島様は現代にいたら女の子にモテるタイプだ。性格も快活なのに、それでいて空気を読むのもうまい。派手な外見からはチャラチャラとした印象を受けるものの、こうやって近くで見てみるととても綺麗な顔をしていることがわかる。
そういえば私は不思議に思って

「なんで島様がここにいるんですか」

彼は三成様とともに出発したはずではなかったのか。それが今どうして隣に座っている。

「俺は後詰なんすよ。そう三成様に命じられて。兵の全員が城から出たら俺も関ヶ原へむかいます」

夜空を仰ぎながら島様は言った。月が綺麗だな、と先ほど私の思ったことと同じ言葉が聞こえてくる。

「……詩織様」
「はい?」
「俺、死ぬのかな」

心臓をわしづかみにされたような衝撃がそのとき全身を駆けぬけていった気がした。胸がつっかえたようになって、うまく息ができない。
私はやっとのことで

「なん、で」
「だって詩織様には未来が見えてるんでしょう。なら、このいくさの結末だって俺が死ぬのか生き残るのかだってすべてわかってるはずじゃないですか」

とっさに「そんなことわからない」と言いそうになった私は慌てて口をつぐんだ。それがあまりにも無責任にすぎる気がしたからだった。
未来なんかわかるわけがない。私にあるのは知識だ。関ヶ原の戦いで西軍が破れるという知識しか。
私は少しだけ考えてから

「それを知ったところで島様はなにをするつもりなんですか。予言の通りに死ぬのか、生きようとするのか」
「……俺は、死ぬことは怖くないと思ってた。自分の命なんかどうでもいい、って。でも今は違う。三成様に出会って変わったんだ。だからもう二度と命を無駄にしようなんて考えない。来たるべき未来とか予言とか、本当は関係ないんだよ。
俺自身が、死にたいと思うこと、生きたいと思うことが大切だから。三成様のために」

飴色の瞳が月の光に照らされて爛々と輝いている。島様の様子もどこか誇らしげだった。
なんだか以前にも同じようなことがあった気がする。市場に集まる人々。田園風景。風に揺れる稲穂――
急に強い気持ちに襲われると同時に、私は自分の使命を思い出した。そうだ、島様に連れていってもらえばいいじゃないか。関ヶ原へ。

「島様、お願いが一つあるんです」
「え、お願いって?」
「私を関ヶ原に連れていってください」

言い終えてから、そういえばなんだかこういう名前の曲があったなあとぼんやり思った。
島様の首がぐるりと動いてこちらをむいた。ひどく驚いた顔をしている。到底予想していなかったことを言われた、という顔だ。
彼はその表情のまま、千切れそうなほど速く右手を振りながら

「それだけは絶対にむりっす!」
「三成様に怒られるからですか」
「ちゃんとわかってるなら最初から言わないでくださいよ!!」
「だけどもう頼れるのは島様しかいないんです。お願いします。そのときには私のせいにしていただいてかまいません。だから、どうか」
*
関ヶ原というのは田んぼと山に囲まれた自然の多いところだと思っていたのだが、実際は乾いた土がずっと先まで続いているような風景の広がっている場所だった。
私たちが関ヶ原についたときにはすでに戦闘は始まっていたようだった。大量の狼煙。風になびく旗指物の数々。人の叫ぶ声。なにかの焦げる臭い。積み重なった死体の山。
これが戦かと思う。ひどく混沌とした世界だと思った。できればあんまり見ないでください、という島様の声が目の前から聞こえてきた。それでも私はゆっくりと首を動かしてまわりを眺めた。
決して平気だったわけではない。耐えたがかった。少しでも気をぬけば吐きそうになった。
けれどそれ以上に、私はこの光景を見なければならないと思ったのだ。もう二度とこんなことが起こらないようにするために。三成様と徳川様に二度とこんなことを起こさせないようにするために。

「むりを言って本当にすみませんでした」

馬からおろしてもらって島様に頭を下げる。彼は途端に慌てながら

「もういいですって。それよりも、聞いていいですか。詩織様が関ヶ原に来た理由」
「……詳しくは言えませんが、切り札を持っているんです。それがどんな結末を導くことになるかはまだわからない。でも、私が必ず三成様を死なせはしません」
「なんとまあ、殊勝な心がけよな」

そのとき聞き覚えのある声が耳に届いたので、私たちはそちらのほうをむいた。私の「大谷様」と呼ぶ声と、島様の「刑部さん」と呼ぶ声が重なる。

「どうするかと思っていたが、左近を足に使ったか。主もなかなかやる」
「最初から大谷様が三成様におっしゃってくれればよかったんですよ。大谷様しか知ってる人はいないんですから」

実は、私たちはある策を練っていた。松永久秀が生きている(正確には地縛霊らしいが)という事実は時が来るまで誰にも言わないこと。そしてその時とは、三成様と徳川様の二人がそろった状況であること。必ず私の口から告げること。

「それで、三成様はどこに」
「あそこだ」

すっと大谷様様の指が急勾配な坂の上をさした。
私は気づけば走りだしていた。目がくらみそうなほど高い坂の上を目指して。一人じゃ危ないですよとか、好きにさせておけとか言いあう声が遠くうしろから聞こえた気がした。
なにも考えることなく、ただ足を動かすことだけに集中した。次第に息苦しくなってきて呼吸が乱れていく。額にはうっすらと汗が浮かびはじめていた。
ようやく頂上についたとき、三成様は刀を、徳川様は自らの拳をふるって戦っていた。片方が仕掛ければ、もう片方はひらりと攻撃をかわす。まさにどちらが勝っても負けてもおかしくのない互角な戦いだった。
私はゆっくりと呼吸を一度整えてから

「お二人とも待ってください!」

と叫んだ。
あまりにも突然のことだったのか、二人はほぼ同時に動きを止めるとこちらに視線を移した。乱入者が私だと知るやいなや、なぜここにいるという表情をさせた。
なにか言われる前より先に畳みかけてしまおうと思い

「三成様、豊臣秀吉を討ったのは徳川様ではありません。そして徳川様、松永久秀はまだ生きています」

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