アネモネ | ナノ
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"巫女様ってもしかしたら三成様のこと好きなのかなーって思いまして"
はたしてそう言われたのはいつのことだったか。あれはたしか毛利元就に攫われてからすぐのことだった気がする。石田様から三成様と呼ぶようになった私に対して島様が言ったのだった。
そのとき私は「わからない」と答えた。だからもちろん今だってわからない。私が三成様を好きなのかどうか。
けれどあのときとは違うことがある。それは私が思っていた以上に――いや、むしろ予想外なほどに三成様が私に対して好意を持ってくれていたことだ。そもそもこの人はこんなに饒舌にしゃべる人だったっけ。

「どうした。聞いているのか、貴様」
「え、あ、はい……」

すっかり惚けていた私にやっと気づいたのか、三成様が一旦言葉を切ってそう言う。彼は腑抜けた返事をよこした私にむかって双方の目をギロリと釣りあげた。
これが蛇に睨まれた蛙というやつか、とどこか他人ごとのように思う。私はその睨まれたままおそるおそる口を開く。

「だ、だって」
「だって?」
「その、急に言われても困るっていうか、心の準備ができてないっていうか、その前にあんなこと言われるなんて思ってなかっていうかそれよりも私はずっと怒られるものだと、ばかり……」
「怒る? なぜ私が貴様に怒らねばなるまい」

それは思ってもみない返答だった。まるで質問に質問で返されたような感覚を私は覚える。
彼は釣りあげていた目を急にきょとんとさせていた。言っていることの意味がわからない、という感じである。その表情に私はこの人は以外と純粋な子どもっぽい顔をすることもあるんだなと思った。
私は今一度自分の気持ちも整理をするように

「なぜってそんなの三成様が一番憎んでらっしゃる徳川家康の城に連れさられた挙句言葉まで交わしてしまったわけで……だからそれはそれはものすごく怒ってるんだろうなと思ってたんですけど。島様が死ぬほど大目玉を食らったって言ってましたし。違うんですか?」
「……違わないが、少し違う。私がもっとも嫌悪していたのは私自身だ。私が無力なばかりに貴様を危険な目にあわせた。二度もな。もう決して貴様を手離さないと決めていたのに」
「そ、それは、なんというか、どうも」
「織田の傀儡相手ならと思っていたが、家康がまたしても割りこんでくるとは……いったい何度私の邪魔をすれば気がすむのだ!!!」

実にいまいましげに三成様が吐き捨てるようにして言う。その表情は先ほど見せていた険しいものに戻ってしまっていた。
何度というのは、きっと徳川様が豊臣秀吉を殺したことも含まれているんだろうな、と思った瞬間私は息がつまりかけた。違う、そうじゃない。豊臣秀吉を殺したのは松永久秀だ。
今さらながらに私は大変な秘密を持ってしまった、と思った。これは今のこの日本の西と東という軍勢を形作っている根幹を揺るがしかねない大問題である。それくらい徳川家康が豊臣秀吉を討ったということは日本じゅうの誰もが知っていることであるはずなのだ。
言ってしまおうか、と甘い誘惑に負けそうになる。しかしその一方で、言ったところでどうなるのかという疑念が頭をもたげてくる。
本当は苦しかった。一人で抱えこまなければいけないその重圧と不安に押しつぶされてしまいそうだった。そしてなにより腹立たしかった。
腹立たしい。ここに来てから初めて私はその感情を抱いたことを気づく。どうして私なんだ。どうして私に彼はあんなことを言ったんだ。
三成の隣で生きたいとお前がそう願ってくれたから? そんなの私が知るわけないじゃないか。そう願っていたのは本当はあなたの方だったんじゃないのか。だから日本じゅうを騙してまで嘘をついたんじゃないのか。

「……なんで私だったんだ。なんで私がこんな時代に来なきゃいけなかったんだ」

地獄にあるというぐらぐらと熱湯を沸かす大きな釜がまるで腹の底にあるような気持ちがした。私はもう自分が怒りたいのか泣きたいのかなんなのかわからなくなっていた。ただ全てをここでぶちまけてしまいたかった。
もう、疲れた。疲れきっていた。
そのとき強い力で制服の襟元を掴まれた。そうしてぐいと三成様のほうに引き寄せられる。
顔が近い。彼の翡翠色の瞳に写りこんでいる自分の顔がくっきりと見えるほど私たちの間には距離がなかった。

「貴様は私に言ったのではなかったのか!」
「言ったって――」

なにを、と言う前に彼は床めがけて私の体を突きとばしてしまっていた。うう、という呻き声が自然と口から漏れでてくる。すぐ近くで藺草のにおいがした。
私は打った後頭部をさすりながらゆっくりとなにがなんだかわかっていないまま起きあがった。突然三成様に襟元を掴まれたことも、彼に言われたことも。

「見つけるんだろう! 貴様が! 貴様がここに来なければならなかった理由を貴様自身で!!」
「あ……」

それはたしかここにやってきてからすぐ、三成様に連れていかれるまま行った瀬戸内の海の上で私が彼に告げたことだった。思い出した。
不思議な力を持っている、未来を変えられる、と言われた。けれど私はそんなことはどうでもよかったのだ。ただ私は自分が戦国時代に来なければならなかった理由が知りたかった。
だから私はそのために今まで生きてきたんじゃなかったのか。そうだろう? 違うのか?

「……ごめんなさい。なんかみっともないところ見せちゃって。外で一度頭を冷やしてきます」
「いや、私こそすまない。つい頭に血がのぼった」

それ以上三成様はなにも言わなかったので私はそれが肯定の返事だと判断して静かに立ち上がった。去りぎわにちらりとうかがった彼の表情は親とはぐれて途方に暮れている少年のように見えた。

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