アネモネ | ナノ
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「お前が三成の巫女、なんだな」
「はい」

どうしてこうなる。私は一方では緊張
で押しつぶされそうなりながらも、そう思わざるをえなかった。
今、私の目の前にはなんとあの徳川家康がいる。
家康といえば私はすっかりタヌキおやじと言われるように、腹の底からずるがしこそうな雰囲気をぷんぷんあふれさせている男だと思っていたのだがまったくそれとは異なっていた。見た目はスポーツマンのように爽やかで明朗快活な、実に好印象を受ける人物である。朗らかな口調で人当たりもよさそうだ。
しかし決して油断してはならない。彼は豊臣秀吉を殺した男であり、石田軍に身をおいている私は彼にとって間違いなく敵だ。いつ命の危険にさらされてもおかしくない。
さて、そもそもなぜ私がこんなことになっているのかというと、すべては昨日にさかのぼる。
島様の言葉どおり陣を捨てたあと、私たちはそれと同じくして撤退することになった織田軍・伊達政宗とともに逃亡を始めた。しかしその道中事件が起こる。みんなよりも先に逃げだしていた私の目の前に突如巨大なロボットが立ちふさがったのだ。
まるでその立ち姿は映画やアニメで見るようなものとなんら変わらず、思わず唖然として見つめているとあとから追ってきていた島様たちが口々に戦国最強だの 本多忠勝だのと口にする声が耳に入ってきた。柴田様が言っていたように「一人」と数えるのだとしたら、とても見えないけれど彼も人間なのだろうか。身長はゆうに二メートルを超えているし、全身を鉄の塊のような鎧でがちがちに覆っている。
動けなかった。足がすくんだ。体がいうことをきかなかった。逃げろと叫んでいる声はたしかに聞こえていたのに。
それからの記憶がまったくなくて、気づけば私は見知らぬ部屋の布団の中で寝かされていた。
このシチュエーションには覚えがある。それはわりと最近のことで、あのときは毛利元就の兵士に攫われたのだった。多分今回もそうだ。私は多分今回も攫われている。状況から察するにきっと今度の犯人は徳川家康だ。こんな短期間のうちに二回も誘拐にあわなければならないなんてこと、いったい誰が予想しただろうか。
しかしともかくここが本当に徳川家康の城ならば私は大変どころではすまない。私がいくらへっぽこだといっても、なんの抵抗もできずやすやすと徳川家康に捕まってしまってしまったこと。そしてそれを見逃してしまった島様をはじめとする石田軍の兵士さんたち。おそらく三成様からの厳しい叱責があるに違いない。もちろん私自身にも。無事にもし帰ることができたら絶対にどなられる。いや、そもそも帰れるという保証はないのだけれど。今の私はいわば人質だ。
しばらくはそのようなことを考えながら横になっていたのだが、ふと襖が開かれるとその先には山吹色の着物に身をつつんだ女性が座っていた。彼女は私が目を覚ましたことを確認してから、家康様がお待ちですと言って広い部屋へと私を案内してくれた。そこは佐和山城でも何度か訪れたことのある大広間とよく似ていた。
中に入ると、すでに一人金色の鎧をまとった人物があぐらをかいて座っていた。右腕と腹の部分はがばっと皮膚が外気にさらされる形となっていて、隆々とした立派な筋肉が見える。まだ若い青年のようだった。

「詩織、といったか。まずは手荒な真似をしたことを謝らねばならん。すまなかった」
「い、いえ。もう慣れましたから」

自分の目の前に座した私に向かって彼が一番最初に言ったのがそれだった。深く頭も下げてくれるのだから逆に申し訳なくなる。
こんなんじゃ駄目なのに。臆している場合ではないはずなのに。天下人と徳川幕府三百年のブランドはそれほどに大きいということか。
だが、なによりも私にはまず聞かなければならないことがある。

「あの」
「なんだ?」
「聞きたいことがあるんです。どうして私を攫ったりしたんですか」
「……ずいぶんと単刀直入なんだな」

少し困ったような口調になる。眉がわずかに八の字を描いた。
私がすみませんと思わず謝ると、彼はまあそれが普通だろうなとつぶやいてから

「決して無体を働くためや人質にするためにお前を連れてきたわけではないよ。そこは信じてほしい。ワシはただ、お前に会ってみたかった。会って話をしてみたかったんだ。
お前は、三成をどう見ている」

三成様を私がどう見ているかだって? 彼はなぜそんな質問をするのだ。
しかしそのような疑問を抱く一方で、私は三成様の姿を脳裏に描きだしていた。力強さを感じながらもけれどどこか儚さをたたえたうしろ姿、ときおり見かける憂いを含む表情、そして燃え上がるような強い意志を宿した瞳。

「彼は――三成様はまっすぐな人です。よくも、悪くも。だから主君である豊臣秀吉をなきものにしたあなたを殺すことに血眼になっている。
けれど私はそれが愚かだとは思わない。最初こそそんな彼が私には恐ろしく映っていたし、自分から彼を遠ざけてもいた。だけど今は違う。彼はとても美しい。私はそんな彼のそばで生きたいと、そう思った。彼が私のことを命がけで助けてくれたように」

まるで洪水のようだ。考えるよりもずっと先に言葉のほうが溢れでてくる。ほとんど無意識の状態といってもいい。それは私にとって初めての経験だった。
しばらくは静かに私の話を聞いていた徳川様だったが、やがて私がしゃべりおえると急に神妙な表情をその顔に浮かべた。それからゆっくりと重そうに口を開く。

「どうやらお前には、本当のことを教えておいたほうがいいのかもしれない」
「本当の、こと?」
「ああそうだ。本当のことだ」

まるでそれは自分自身にも言い聞かせるふうな調子だった。私にはそれがどうしてだか戒めのようにも思えた。
少しの沈黙のあと、彼は一息に、言った。

「秀吉殿を殺したのはワシではなかった」
「……え?」

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