アネモネ | ナノ
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ある日、島様とともに「キタノショウジョウ」なる場所へ向かうようにという命令が大谷様の口から私に伝えられた。

「キタノショウジョウ、ってどこですか」
「越前にある城だ。城主は柴田勝家」

越前、ということは現代の北陸のあたりか。ただ昔の地理に疎い私には県名まではわからなかった。

「三成様はご一緒ではないんですか」
「三成が左近に直々に命を下したのだ。一軍を率いて行け、と。だが少々気がかりなことがあるゆえ、お主にもついていってもらうことにした」
「はあ」

微妙に納得がいかなくて間の抜けた声で相槌をうつ。心配ごとがあるというのにも関わらず、どうして私が一緒に行く必要があるのだろうか。それどころか逆に不安が募るだけのような気もする。

「なんだ、不服そうな顔をして」
「不服、というか私がいても足手まといになるだけですよ。なんの役にも立たない。それなのに島様について行けというのは少し納得ができません」

私がそう訴えるように言うと、大谷様様はそんなことはないと首を振ってから

「なんでも左近には柴田勝家に因縁があるらしい。あやつは一度夢中になると他のことが手につかなくなるからな。主はその手綱を握ってくれさえすればよい」
「つまりお守り役、ってことですか」

ずいぶんと大きな子どもができたものである。だいたい年齢からも、そして戦国武将として戦いに身を投じてもいる彼の方が私なんかよりもずっと大人のはずなのに。
一度夢中になるとそればかりを追いかけてしまうというのは、三成様も同じであるように思う。だから多分島様は三成様を好いていて、三成様も左近様を側に置いているのだろう。
そうだ、三成様はまっすぐな人だ。それが時にはとても痛々しいとさえ感じるほどに。

「出発は明後日だ。それまでに準備でもしておくがよい」
「……わかり、ました」
*
無事予定通りに越前へ出発する日がやってきた。天気は快晴、ほどよい風も気持ちがいい。
私たちは三成様と大谷様、それから残った兵士さんと女中さんたちに見送られながら佐和山城をあとにした。

「そういえば、大谷様から島様と柴田様が知り合いだとお聞きしたんですけどお二人はどんな関係なんですか」

馬が歩を進めるたびに規則正しく揺れる島様の広い背中を見ながら聞く。やはり今でも私は一人で馬に乗れなかった。

「いや、ご関係っていうかさ、俺が一方的に興味持ってるだけなんだよね。実は」

島様がそう答える。顔は見えなかったけれど声音が少し困っているように思えた。
しかし彼は続ける。

「勝家は元は織田の重役だったんだ。でも今では、謀反を企てて失敗した男として軍全体から忌み嫌われてる。
今のあいつはさ、昔の俺なんだよ。三成様に出会う前の俺だ。生きることに投げやりになって、腐りきってた昔の俺なんだよ」
「……島様は、柴田様を救ってあげたいとお考えなのですか」
「救うなんてそんな偉そうなこと思ってないよ。だけど本当は、あいつは誰よりも未来を掴みたがってる」
「未来を掴みたい、ですか」

はたして私はどうなのだろうか。正直言って現在も、そして平成にいたころでさえも私は今を生きるので精一杯だった。
ところで柴田勝家という人物は具体的になにをした人であったか。教科書に名前が載っていた記憶はあるが、それ以上のことは出てこない。
今思えば私は知らないことが多すぎたのだ。もう少し真面目に歴史の授業を受けておくべきだったのかもしれない。

「どうかしたんですか」
「え?」
「ずっと黙ってるからどうしたのかなって」
「……ただもう少し歴史の勉強しておけばよかったなって思ってただけですよ」

それから私たちはいくつか日をまたいでキタノショウジョウに到着した。
そこは一面を岩と草と土の地面に囲まれたほこりっぽい場所だった。これが戦場か、と思う。

「あちらさんはもう布陣完璧って感じかな」

視線を四方八方に移しながら島様が言う。

「戦の算段はできているんですか」
「算段っていうか大将叩けばこういうのは終わりなわけなんだから、俺が勝家と戦って勝てばいいんっしょ? 血がたぎるってね」
「ええー……大丈夫なんですか。そんないいかげんで」

大谷様ごめんなさい。すでにもう私は島様の手綱を手放してしまっていたようです。
やがて部隊は、織田軍と向かい合う形で陣をしいた。すべての作業が終わったときにはだいぶ日が傾いており、煌々と火のともる松明を囲んでの酒宴が始まった。明日からの戦に備えての景気づけらしい。

「巫女様は飲まないんですか。お酒」
「まだ未成年なので私は飲んじゃだめなんです」

島様がお酒の入った器を私の前に差し出してくる。松明の光を浴びた乳白色の液体は怪しく輝いていた。

「ミセイネン?」
「……ああ、つまり元服がまだ終わってないってことです。私のいた時代では20歳で大人だとみなされていたので。まあでも成人式に乱闘騒ぎとかあるんですけど」

ずいぶんと遅いんですねと言いながら島様は持っていた酒器に口をつけた。喉仏がかすかに上下する。
ふと空を仰ぎ見ると漆黒の夜空には満天の星空が広がっていた。空はため息が出るほど広くて、一粒一粒の星が濃くはっきりと見えた。平成にいたころはこんな綺麗な夜空は見られなかった。
戦前の夜の空気はどこか高揚感と不安に満ちている。いよいよ始まるという高揚感と、始まってしまうという不安だ。そうしてそんな思いを抱えながら夜は過ぎていく。

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