アネモネ | ナノ
20


「お客様、ですか」
「ああ、お客よな」

朝目が覚めると、そんなに遅い時間というのでもないのに妙に城が騒がしかった。兵士さんたちはほとんどが屋敷の外に出ていたし、女中さんたちはみんなが廊下をバタバタと行き来している。
近々戦があるとも聞いておらず不思議に思ったので大谷様に聞いてみたところ、お客さんが来るという返事をもらったのだった。

「そのお客様って誰なんですか」
「甲斐の真田幸村だ」
「真田、幸村……」

それは教科書レベルの日本史しか頭に入っていない私でも知っている名前だった。
彼は日本一の兵と評され、江戸幕府を創設した徳川家康を3度も翻弄したと聞いている。そのような大物がやって来るというのだから、城じゅうが浮き足立っているのも無理はないだろう。

「おお、ちょうどいらしたようだ。あれが徳川も恐れた男、真田幸村だ」

大谷様の指さす方向に沿って目を向ける。話で聞いている限りではどんなにいかつい人だろうかと思っていたら、細身で長身の人物だったので驚いた。しかしまだ春先だというのに、素肌の上から真っ赤な革ジャンのようなものを羽織って首には貨幣を通したネックレスをつけている。ただその顔は恐ろしく整っていた。男性にしてはかわいらしいというか、おそらく年ごろの女性に見せたあかつきには黄色い悲鳴が鳴り止まない、そんな容姿を彼は持っていた。

「お久しゅうござる、大谷殿。このたびの同盟締結の申し入れ、まことに感謝いたす」
「あいかわらずの真面目な態度よなあ。堅苦しい挨拶などよい、よい」
「だが佐助が――大谷殿、隣の御仁はいったいどなたでしょうか。そのように不思議な着物は見たことがありませぬ」

真田様が視線を大谷様の方から私へと移す。栗色の瞳がまっすぐ私に注がれていた。まるで私の正体を見抜こうとでもするように。

「こやつは巫女よ。西軍に勝利をもたらすな」
「ほう。そなたが噂の……いや、失礼いたした。某は甲斐の真田幸村と申す。こたびはお館様の名代として近江へ参った次第。以後よろしくお願い申し上げる」
「いえ、そんなご丁寧にしていただかなくとも……こちらこそ歴史に名高い真田様とお会いできて嬉しいです」

真田様が頭を深く下げたのでつられて私も深く頭を下げる。
この人はきっと西軍のいい同盟相手になってくれるだろう。

「それでは詳しい話でもいたそうか。三成が今か今かと痺れを切らして待っておるゆえ」
「おお、それは悪いことをいたした。さっそくご案内をお願い申し上げる。それでは巫女殿、また機会があればどこかでお会いいたしましょう」

そう言って大谷様は踵を返して歩き始めると真田様はそれについていった。しばらくそのうしろ姿を見ていたが、私も踵を返すと自分の部屋に戻ることにした。
そういえば、とふと歩きながら考える。真田幸村の死因はなんだったっけ。
それはたしか、大坂夏の陣であったと記憶している。彼はその折、傷ついて疲れた体を神社の境内で休ませていたところを敵軍に打ち取られたのだった。
この世界もそうなのだろうか。そして豊臣秀吉が徳川家康に殺されたという私の知っている歴史とそれは違えど、結末は変わらないのではないだろうか。いずれ来るべき徳川との戦いで三成様は破れて死んでしまうのではないだろうか。
そしてきっと、私はそれをどうにもできるはずがない。
部屋の襖を開けると、しわくちゃになった布団が私が目覚めたときのままの形を保って中央を陣取っていた。特に代わり映えのしないいつもどおりの自室だ。
しかしなぜか違和感があった。なんと言ったらいいのだろうか、とにかく私が部屋から出ていったあと私以外の別の誰かがここに入ったような気配がするのだ。そしてその気配は続いているように思える。つまりそれはまだ、中に誰かがいるということだろうか。
じっ、と天井を見つめる。なんとなくそこから視線を感じるような気がしたのだ。

「いやあ、バレちゃったかあ」
「あ、あなた誰ですか」

しばらくの間そうしていただろうか、突然天井版の1枚が外されたかと思うとひょっこりと人の顔が現れた。そしてそれは天井裏から降りてきて、畳の上に綺麗に着地をする。

「俺は猿飛佐助。真田の忍びさ」

私はその名前を聞いてひどく驚いた。猿飛佐助といえば真田幸村に仕えたというあの伝説の忍者ではないか。
しかしその身なりは、本来忍ぶべき忍びがしていいようなものではなかった。逆立てた茶色の髪。銀に鈍く光る額当てをつけて、顔に緑色のフェイスペイントをほどこしている。そしてなによりも迷彩柄の装束がひどく目立つ。
もしかしたら島様と話があうかもしれないな、などと勝手なことを頭の片隅で思った。

「せっかく隠れて西軍の巫女の正体を探ろうと思ってたんだけどなあ。残念。大将――幸村様は必要ないって言ってたんだけどね」
「正体って、私は別になにも……」
「なにもってわけないでしょ。乱世のまっただ中に忽然と現れた年端もいかない素性不明の少女が、石田三成の巫女をやってるって聞くんだもん。それはおかしいと思わないほうがおかしいよ。
噂だと暗殺を予言したりだとか、それからあの毛利元就までもがあんたを攫ったって聞くじゃないか」

視線を向けられてはっきりと言われる。
なるほど、真田様の言っていた噂というのもこのことだったのだろうか。けれどそれらはすべて私がしたくてしたわけでは決してなく、ただ偶然の積み重ねによって起こったにすぎなかった。

「だけど」

その瞬間、彼の険しかった表情がふっと和らいだ。

「俺様の考えすぎだったかもしれないな。たしかにあんたの正体は実際にこうして顔をあわせた今でもわからない。だけどあんたはいい目をしている。大将と同じ、まっすぐな目だ」
「まっすぐな、目」

それはいったいどんな目なのだろう。出会ってからすぐのこと、私をじっと見つめていた彼の瞳を思い出す。それは凛とした中に、己の強い決意の光を宿しているような瞳だった。
はたしてそれが彼の言うまっすぐな目であるのだろうか。
しかし私はその目をもつ人物をもう1人知っている。三成様だ。彼の瞳の中にもたしかに真田様と等しいものがあるような気がする。
私がそんなことを考えていると、まあ大将共々よろしくねと言って猿飛様は軽い笑みを浮かべた。

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