アネモネ | ナノ
16


戦が始まろうとしていた。

「私は刑部とともに少数の兵を連れ西へ向かう。残りは城の守りと井伊攻めへあてることにする」

石田様暗殺未遂により一時中断となった軍議は、そう締めくくられた。
そして私は西へ行くことになった。つまり石田様、大谷様と一緒ということである。
石田様を襲った犯人は結局彼の言葉どおり捕まえられることはなかった。しかし、その後ある一つの噂が城内を駆け巡りはじめたのだ。
三成様の暗殺を指導したのは亡き太閤様の養子でいらっしゃった方ではないか、と。
その噂の真偽を確かめるため、石田様直々に西は備前という場所へ向かうことになった。どうして私も同行することになったのかはわからない。大谷様の命で、ただついてこいと言われただけだからだ。だが今回も厄介なことになりそうだという予感には妙に確信めいたものがあった。
出陣するにあたっての城の様子は、さながら引っ越し前の慌ただしさのようだった。
籠城となった場合に備えるため、玄米と味噌が乗った荷車が大量に運ばれてくる。女中と鎧を着こんだ兵士さんたちがバタバタと廊下を走る音。

「戦が始まろうとしているんですね」
「詩織様は、戦は初めてですか?」
「平成の日本は戦争を放棄してるんです。世界ではまだ残っているのが現状ですが」
「やっぱり詩織様のお話は俺には難しいっす……」

すっかり自室となっていた部屋でぼうっとしていると、島様がやってきた。彼と会うのは、遠乗りに連れていってもらって以来だった。

「島様は井伊攻めへ向かわれるんですね」
「三成様とご一緒できないのは残念ですけど。でもしっかり働いて、三成様のお役に立ってきたいっすっ!」

キラキラと輝いた瞳で島様はそう言った。本当にこの方は石田様のことが好きなんだな、と実感する。

「詩織様もお気をつけてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
*
翌日はまだ日の登らないうちの出発となった。
私は例によって、今回も石田様と一緒に馬に乗っている。列が一斉に進みはじめると横をすっと島様が通り抜けていった。彼の横顔には興奮と緊張が入り混じっていた。
石田様と大谷様と数人の兵士さんと一緒に、以前通った琵琶湖沿い道を走る。今日も琵琶湖はまぶしいくらいに輝いていた。
すべてを陸路で行く、というのが今回の備前までの旅程である。しかも堺を経由して四国へ向かったときとは異なり、備前に到着するまで大きな町がないらしい。それはつまり泊まる場所がないということを意味していた。私たちは野宿を覚悟しなければならなかった。
数時間ほど走り続けていると急に広い場所に出た。周りをぐるっと岩に囲まれた空間の中にただ砂地だけが広がっている。

「……なんか、臭いませんか」

私がそう指摘するとゆっくりと馬の動きが止まった。それに合わせて、大谷様と兵士さんたちも立ち止まる。


「臭い? 我にはわからぬが」
「なんか、ちょっと焦げ臭いんですよ。おかしいなあ。感じませんか?」

ドライヤーを使っていて危うく髪を焦がしかけたときが一度ある。その際に嗅いだ臭いとよく似ていた。タンパク質を焼いたときの、臭い。


「大谷様。もしや、この場所は……」
「そういえばこのあたりで太閤が徳川に討たれたと聞いているな」
「ここで、ですか」

改めて周囲を見回してみる。過去に戦があったとは思えないほど閑散としたなにもない場所だ。いや、戦があったからこそなのか。

「行くぞ。不愉快だ」

石田様のひどく苦々しい声が聞こえた。力強く馬の腹を蹴った振動が伝わってきた。
激しくなにかに後ろ髪を引かれる思いを抱えたまま、それでも私は黙って景色が流れていくのを見ているしかない。
*
その夜は幸運にも野外で睡眠をとらずに済んだ。というのも道中で寝泊まりできそうな建物を見つけたからだ。そこはすっかり朽ち果ててしまっていた、元は寺と言われるべき場所であったが、一晩であれば十分だということになって今夜はお世話になることにした。
一番の奥の部屋を私、その前の部屋を石田様と大谷様、そして出入り口に最も近い場所で兵士さんたちが一夜を過ごすことになった。
腐って抜け落ちかけた床の上に筵を敷いて寝転がる。隙間風が冷たい。
ふと平成のことを思い出す。明日の寝床を食事を、そしてなによりも命の心配をする必要がなかったことがどれだけ幸せであっただろう。どれだけ私はその幸せに気づいていなかっただろう。
そんなことを考えていたらいつの間にか私は眠ってしまっていた。そして、不思議な夢を見た。
あの砂地に私は立っている。だけれどいるのは私だけではなかった。多分男が二人いる。多分というのは、逆光で姿がシルエットと化していて性別が正しく判断できなかったためだ。けれど二人とも立派な体躯をしていたのでおそらく男なのだろうと思った。
一人の男が、もう片方の男の首あたりを掴んで体ごと浮かせた。宙ぶらりんとなった男は抵抗しなかったものの、緩慢とした動作で片腕を上げる。
次の瞬間――

「急げ! 凶王に感づかれる前に巫女をあのお方のもとへお連れするのだ!」
「そんなことわかっている! 口ではなく手をさっさと動かせ!!」

突然どたどたと騒がしい足音が耳に入ってきて、私は現実へと引き戻されてしまった。暗闇の中で詳しい状況はわからないが、聞き覚えのない人たちの声だった。

「決して乱暴はするなと言われている。傷をつけぬよう気をつけろ」
「しかし、あのお方も酷なことをなさる。噂ではまだ女童というではないか」

声が次第に近づいてくる。
すぐ横に人の気配を感じたとき、私の体は寝ていたかっこうそのままにふわりと抱き上げられた。お腹あたりに圧迫感と、頭に血がのぼる奇妙な気持ちの悪さを覚える。彼らは私が起きていることに気づいていないらしく、外へと続いている扉を開け放つとすたすたと歩いていく。
もしかして、これは、ものすごくやばいことになっているんじゃなかろうか。もしかして、私、攫われてる真っ最中?

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